1話
リーン伯爵家の令嬢エラティーナの夢は、騎士になることだった。
エラティーナの生まれたロスリード王国では、女性でも騎士になれる。
女性の王族や年頃の令嬢には、同性の護衛を付けたいと思う者も多く、それなりに需要のある職業である。
エラティーナが騎士に憧れることになったのは、伯父の存在が大きかった。
リーン伯爵家の長男として生まれた伯父だったが、幼い頃から剣の腕に優れていた。そして十五歳の年に騎士団の試験に合格して、史上最年少で正騎士となった。
伯父が正騎士となったことで、リーン伯爵家は父が継ぐことになったらしい。
そのことがきっかけなのか、伯父と父はあまり仲が良くなかった。
両親は王都の屋敷にいることが多く、兄は王都にある貴族学園に通っている。だからまだ幼いエラティーナは、ひとりで領地にある屋敷にいた。
その屋敷に、伯父は休暇のたびに訪ねてきてくれた。伯父の生家でもあるし不仲の父も不在なので、訪問しやすかったのかもしれない。
「いつか私も、伯父様のような騎士になるの」
そう言った、まだ七歳のエラティーナを抱き上げて、楽しみにしていると笑ってくれたのだ。
それからは、暇を見つけては剣を教えてくれた。
まずは、剣を振るところから。
まだ幼いエラティーナのために、訓練用の剣を用意してくれたので、自分の部屋でひたすら剣を振った。
十歳になる頃には、力では劣るエラティーナに、スピードを重視した剣を取得するようにアドバイスをしてくれた。
だから、いかに素早く剣を振るうかを念頭にして、訓練を続けた。
「エラティーナには、才能があると思うぞ」
「本当に? 私も、伯父様みたいな騎士になれる?」
「ああ、きっと。もう少し体が成長したら、もっと上達する方法を教えてやる」
そう言われて、嬉しくてたまらなかった。
「ありがとう、伯父様。私、もっと頑張るわ」
けれど、その約束が果たされることはなかった。
伯父は、五年前に魔物との戦闘で命を落としてしまったのだ。
エラティーナは、十二歳になったばかりだった。
伯父は、押し寄せる魔物の群れから仲間たちを守り、彼らが無事に撤退するまで、足止めをした。
その結果、多くの命を救った伯父は、英雄と讃えられた。
伯父の訃報を聞いたエラティーナは、残された伯母のもとに駆けつけ、今にも倒れそうな伯母を献身的に支えた。
騎士なのだから、戦いで命を落とすこともある。
その現実を目の当たりにして、エラティーナはもう一度、本当に騎士を目指したいのか、真剣に考えることになった。
伯父は偉大な騎士で、たくさんの命を救った英雄だ。
けれど伯父ほどの人でも、命を落とす危険性がある。
自分には、それだけの覚悟があるのか。
ただ、伯父に憧れているだけではないのか。
(私が騎士を目指すのは、華やかで名誉な職業だからではない。大切な人たちや、この国を、この手で守りたいから)
その決意を伯母に伝えると、伯母は涙ぐみながら、エラティーナに伯父の形見となった剣を渡してくれた。
魔物との戦闘で最愛の夫を亡くしてしまった伯母だったが、エラティーナに騎士になるなとは、一度も言わなかった。
「あなたに持っていてほしいの。あの人の遺志を、どうか受け継いでほしい」
「でも」
大切な形見の剣を、自分が貰ってもいいのだろうか。
迷ったが、伯父と伯母の間には子どもがいない。きっと伯父のそれを望んでいるだろうと言われて、受け取ることにした。
それからエラティーナは、騎士の試験に向けて訓練を重ねた。
父と兄は王都の屋敷からほとんど戻らず、母もまた毎日のようにお茶会やパーティに出かけていたから、領地の屋敷にいるのは、エラティーナだけ。
だから思う存分、剣の訓練に熱中することができた。
伯父から教えてもらった基本をしっかりと守り、さらに年を重ねるごとに、自ら試練を課して、努力を続けた。
そして、伯父の死から五年。
十七歳になったエラティーナは、輝くばかりに美しい令嬢となっていた。
ゆるくカーブを描く金色の豪奢な髪。
迷いのないまっすぐな瞳は、深い海のような藍色。
鍛えられて引き締まった体は、女性らしい丸みも帯びている。
美しいドレスを身に纏えば、深窓の令嬢にしか見えないだろう。
けれどエラティーナの剣技は、現役の騎士にも劣らないくらい、優れたものになっていた。
この年、エラティーナは騎士の試験に挑んだ。
本当は伯父と同じ十五歳で受けたかったが、まだ試験を受けるには実力不足だと感じ、さらに訓練を重ねていた。
試験の前日には伯母の屋敷に行き、試験を受けることを報告した。
伯母はとても喜んでくれて、エラティーナならきっと合格すると言ってくれた。
伯父の遺志。そして伯母の願いを受けて、きっと騎士になってみせると、エラティーナも誓う。
父と母には騎士試験を受けると手紙を出したが、とうとう試験の当日まで返事はなかった。
けれど、騎士になるのはとても名誉なこと。
とくに女性騎士は数が少ないこともあり、腕が良ければ近衛騎士に選ばれることもある。
試験 結果が出るまでは、緊張の毎日だった。
合格者は、十五人だけ。
けれど、エラティーナは見事、その十五人の中に入ることができた。
幼い頃から憧れていた騎士に、ようやくなれる。
伯父もきっと喜んでくれるだろう。
これからも鍛錬を重ね、伯父に負けないように、立派な騎士になってみせる。
そう誓った。
だが父は、エラティーナが騎士になることを許さなかった。
試験に合格したことを手紙で報告する。
娘にはまったく関心のない父だったが、さすがに喜んでくれるだろうと思っていた。
だからいつになく返事が来たときも、そう信じて疑わなかった。
けれど父からの手紙には、エラティーナが想像もしていなかったことが書かれていた。
騎士になることは許さない。
リーン伯爵の名で、辞退の届け出を出したこと。
婚約が決まったので、その準備を進めること。
「……どうして」
目の前が真っ暗になった気がして、エラティーナは手紙を取り落とし、机に手をついた。
騎士の試験に受かっても、それを辞退してしまうと、もう二度と試験は受けられない。
夢が叶ったと思った途端、それが潰えてしまった。
しかも、リーン伯爵家の当主である父の名で出したのであれば、取り消すこともできなかった。
「しかも、婚約だなんて」
相手として書かれていた名は、マローナ侯爵家の嫡男、セルディ。
母親の親戚筋で、昔から何度か顔を合わせたことがある。
けれど彼はエラティーナをひどく嫌っていて、こちらを見るなり、顔を顰めて視線を逸らすようなひとだ。
そんな男と、父は結婚しろと言うのか。