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新史・源氏物語  作者: John B.Rabitan
絵合
85/251

 その修理大夫より文が届いたのは、それから半月後だった。やはり源氏の期待どおりに、彼は国府の郎党を動員して、明石の姫の一大捜査に踏み切るという。

 源氏はその文を握り、東ノ対へ急いだ。

「姫が戻りますは必定。もしかすると我が《《やや》》もともにかも知れません。と、なりますと、この対の屋では手狭。姫ともどもお住まいになれる新居をと考えております」

 入道は新居云々はどうでもよかったようだ。姫の捜査が始まった、姫が戻ってくる……それだけでただ狂喜していた。

 実のところ源氏はすでに、新居の普請にかかっていた。場所は三条坊門の南、西洞院大路の東の一町だ。二条邸からは四町ほど離れているが、折よく空地になっていたその土地が手に入ったのである。

 だが秋ばかりが深まっていく中で、備前にいる修理大夫からは何の捗々《はかばか》しい連絡はなかった。

「行くか」

 かつては一度決めた決心を、源氏は再び思った。今度こそ良清を連れていこうと思った。

 明日はそのことを、宮中で上呈する。そう決心した夜、いつになく大雨が大地をうがち、源氏はその激しい雨音でなかなか寝つけなかった。


 翌朗、早くに宮中より緊急の召しがあった。慌てて参内した源氏は、宜陽殿の入り口で左近の陣の方から来た権中納言に会った。

「遅いなあ、源氏の君。もう日は高いじゃないか」

 権中納言の顔は笑ってはいなかった。何か真剣な表情でひきつっている。

「夕辺の大雨でなかなか寝つけなくてね、頭がまだ半分眠ってるんだよ。何だい? 召集の理由は? 知ってるんだろう?」

「頭が眠っているどころの騒ぎじゃない。みんなてっきり左近の陣に集まるのかと思って待っていたら、参議は誰も来ないじゃないか。何だか大納言は宜陽殿の座についているっていうし、君は今ごろ来るし」

「すまんすまん」

「とにかく入ろう」

 源氏が宜陽殿に入ると、ほとんど同時に他の参議達も入ってきた。遅刻は彼ばかりではなかった。

 小野宮大納言が、ゆっくりと口を開いた。

「今日、大宰府の駅使が到着した。本当は昨夜遅く到着したのだが、官人は退出したあとだったし、宿直とのいが応対に出たが何しろあの大雨だ。お知らせするのが今日になってしまった」

 人々はざわめき始めた。大宰府からの使役と聞いただけで、大方その内容は分かる。

「賊は平定されたのでは?」

 伴宰相が声をあげると、また無表情に大納言の口が開いた。

「残党があったのかもしれぬ。あるいは、この間の前伊予掾とは別の海賊かもしれぬ。何しろ前伊予掾が任国へ下る以前から、瀬戸内の海は海賊の巣窟だったのだからな」

「で、駅使はなんと?」

 本院大臣家の宰相左兵衛督が尋ねた。

「くわしいことは書いておらん。今日未明に摂政殿の小一条邸に届けられ、その命によってさっき左大臣殿が外記げきに命じてうえの御覧に入れるべく持たせたがな。とにかく、また瀬戸内で海賊が暴れまわっているらしいとのことだ」

 源氏は眉をしかめていた。何たることか……自分が備前下りを決意したら、必す事件が起こる。これでは備前行きはまたもや中止となろう。何か見えない力に阻まれているようにさえも感じてしまう。

「幸い、修理殿が備前守として任国におられる。その征西大将軍の任もまだ解任されてはいないはずだ。しばらくは彼に任せて、様子を見ることにしよう」

 大納言の言葉も、源氏はうわの空だった。せっかく修理大夫が明石の姫君の一大捜査をしてくれることになったのも束の間、この状況ではそれも無理だろう。

 源氏は思わす、瓜はじきをしていた。

 具体的な状況は、三日後に分かった。備前国の駅使が到着したのだ。それによると武装した海賊が備前の森浜に上陸し、そのまま山野に姿を消したという。すでに備前守修理大夫は播磨、美作、備中の国府に激をとはして兵を集め、要害を警固するよう手は打ったということだった。

 上陸したとなると都に攻め上るつもりではと、公卿たちは恐れおののいた。その賊を捜査するために動員されている国府の兵は、本来ならは明石の姫の捜査に動きまわっていたはずなのだ。

 朝廷ではとりあえず、山陽道の諸国に官符を発することになった。だが、事態はわりと早くに決着がついた。二、三日後には播磨に姿をあらわした賊は赤穂にて官軍と合戦に及び、ついに賊の頭目をつかまえたと播磨国からの飛駅が届いた。

 そして時を移さずに、再び修理大夫からの源氏のもとに文が届き、姫の捜査を再開してくれる旨を伝えてきた。源氏はひと安心だった。宮中の空気も、かなり落ち着いてきたようにも見えた。残党も征伐したということで、ここにようやく長かった東西の兵乱も終結したという意識を人々は持ったようであった。


 暦の上では冬になっていたが秋の風物詩である紅葉はこれからで、ようやく都の周りの山々も色づきはじめていた。

 折しも朝廷から、修理大夫召還の命が下されることになった。これで源氏の備前下りも機を逸してしまったことになる。だが、修理大夫が帰京しても捜査は続くであろうし、すでに源氏は修理大夫からの新しい文を受けとっていた。


「源宰相殿に奉る

 一、吾をして姫御を捜査し給はしむるの件。

 右国府の兵郎を用い一大捜査すとは雖も、今に至りても未だ其の消息有らず云々。然るに山中に一宇の尼堂有りて貴種の姫御前有るを聞く。探ると雖も海賊兵士堅くこれを守りて寄ること能はずてへり。近況(くだん)のごとし

 辛丑年十月

 備前守」(原漢文)


 少なくとも、手がかりはつかめたようだ。

 だが、その文にある尼寺の姫が明石の姫であるという保証はどこにもない。それに海賊の兵が守っているというのもへんだ。海賊はまだ完全には一掃されていないようである。もしその姫が明石の姫なら姫は海賊に拉致されたということになり、そうなるとまず無事でいるはずはない。どんな辱めを受けているか。

 なにしろ気位の高い姫だから、そのようなことになったらまず生きてはいないと思う……源氏は身が張り裂けそうになった。今すぐにでも、飛んでいきたい。

 そう思っていた時に、宮中よりの召しがあった。

 ついに太政大臣の摂政辞任の表が受埋されたということだった。その勅答を小一条邸にもたらしたのは太政大臣の三男で、この春に蔵人頭と左中将--すなわち頭中将に任じられていた者だった。ちょうど権中納言左金吾と小一条左衛門佐の間に入る兄弟である。さらに勅答のみならす、中務なかつかさ大輔が詔書をも小一条邸へと伝えた。

 ――「万機の巨細、百官(すで)べ、皆太政大臣(あすか)まうせ。然る後に奏下仁和(にんな)の故事のごとくせよ」――(原漢文)

 すなわち太政大臣は摂政辞任は認められたが、同時に関白に任じられたのである。仁和の故事とはこの太政大臣の父の故堀川関白の初めての関白就任の時のことだ。太政大臣は亡き父の次に、二人目の関白となったのである。

 その祝いのため、源氏は小一条邸を訪れた。

 摂政から関白になった太政大臣は、苦笑していた。

「まだまだ天は、この老いぼれに安息を下さらないようだな」

 しばらく歓談が続いた。源氏にとって気になるのはその席にあの白虹日を貫く小一条左衛門佐が同席していたことだった。この男は関白太政大臣の末っ子でこの小一条邸に関白と同居しており、この場にいて当然なのだが、終始不機嫌な顔つきで無言で座っているのが気味悪かった。

「ところで源氏の君様、ひとつお願いがござるのだが」

「何でございましょう」

「今年の大原野祭で、源氏の君様に上卿になって頂けぬかと思いましてな」

「え?」

 目をむいたのは源氏ばかりではなかった。同席していた左衛門住も、若さに任せて父に食ってかかった。

「父上、何をおっしゃいます! なぜわが一族の氏神の祭りに他氏の者を」

「そなたは、黙っていなさい」

 まず自分の息子を叱りつけておいて、穏やかな表情に戻ってから関白は源氏を見た。

「どうですかな」

「はあ」

 源氏は返答に窮した。自分の意見とて左衛門佐と同じだったからだ。大原野社といえは関白の一門の氏神、その祭礼の上卿を一門ではない源氏がというのはまずい。

「あ、あのう」

 源氏が言いかけた時、左衛門佐は苦々しく立ちあがった。そのまま源氏を睨みつけると、退室していった。源氏は言葉を続けた。

「大納言殿や権中納言殿では?」

 関白は首を横にふった。

「あの二人は争っておる。どちらかを上卿にしたら、波が立つ。それに、筋を通せば大納言となろうが、わしは権中納言にさせたい。しかしそうしたら、穏やかでは済むまいしなあ。頭中将や今ここにいた左衛門佐では身分が低すぎる。それに」

 関白は自邸だからその必要はないのだが、声を落とした。

「本院の家にこの役をとられたくない」

 その気持ちは分かる。ほかに太政大臣の兄の枇杷左大臣には男児は一人で、すでに出家している。

 そして関白は普通の口調に戻った。

「そこで源氏の君様に」

「しかし、私は御一門では」

「いやいや、権中納言の婿であらせられる以上、一門も同然」

 ここは、引き受けるしかなかった。そうなるとまた源氏はその当日まで今度は祭事にも追われ、身の自由はほとんどなくなる。

 だが、関白太政大臣の頼みとあれば、源氏はむげに断れなかった。


 そのことは、その晩のうちに妻には告げた。祭りの上卿を引き受けたとなると、潔斎のためしばらくは西ノ対にも渡れなくなるからだ。

「まあ、でもすごいことですね」

 妻は目を丸くしていた。源氏は笑った。

「また、忙しくなるよ」

 笑ったけれど、源氏はため息をつきたい気分だったのだ。そんな源氏の内心を、さすがに妻はすぐに察していた。

「明石の御方は、その後は?」

「まだ見つからない」

「かわいそうに。早く見つかって、都に上って、お幸せになって頂かなくては。そうでないと私、嫉妬もできませんわ」

 妻はにっこりと微笑んだ。

「おかしなことを言うなあ」

 源氏もまた笑って、そんな妻を小袿の上から抱きしめた。源氏は分かっていた。この妻はどこまでも優しいひとなのだと。

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