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新史・源氏物語  作者: John B.Rabitan
花の宴
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 二月の二十日過ぎ頃に、紫宸殿で桜花宴が開催された。例によって源氏は親王扱いでの、この公宴への参列だった。

 その直前に、今まで右大臣代行をしていた按察使あぜち大納言左大将が、春の叙目で正式に右大臣へと昇格した。その任大臣饗も兼ねているという。

 右大臣にとっては、いい話ではないはずだ。独自に任大臣大饗を設けることができずに、公宴とともにである。左大臣の胸ひとつでそのようなことは決まるはずだが、自分の兄の右大臣に左大臣が自らそのような仕打ちはするまい。

 もっとも新右大臣は摂政左大臣よりも五歳も年上の同母兄なのだが、これまでの経歴もことごとく弟に後れをとっていた。

 だが今回はこれまでと違い左大臣の背後に糸を引いている存在があると、源氏は嫌というほど感じていた。そしてその存在が目をかけている故本院大臣の嫡男の大納言右大将が、叙目では按察使大納言となった。

 その後、中納言右衛門督(えもんのかみ)の薨去などがあったが、中納言は左大臣家とは遠縁の傍系であるので、宴は予定どおり行われることになった。

 当日はよく晴れていた。紫宸殿の南の桜は満開であった。紫宸殿の高欄の下には幕がかけられ、十八段の階段の上には文台が置かれていた。庭の中央にも台があり、またその背後には大きな舞台も設けられている。

 文人もんにん楽人がくにんはすでに参入していた。源氏は南廂東側の親王席に着くことが許されていた。その日ばかりは左中将でも近江権守でもなく故院の皇子みこ、帝の兄として遇される。東側の南廂は、左近の桜を愛でるにはいちばんいい場所だ。

 ところが席につくや否や、源氏はまた身舎もやの御簾の中からあの視線を感じた。源氏はなぜ自分が顔を見たこともない弘徽殿大后に、これほどまで疎んじられなければならないのか、どうも納得できなかった。

 思い過ごしならいい。しかし、先日の藤壷の宮からの話で、大后から疎まれは思い過ごしでないことは分かっている。

 状況を考えれば、分からなくもない。源氏は左大臣家の女婿。しかも妻の母はその本院大臣の娘ではない。さらに源氏自身が故院の最愛の皇子ときている。国母として同じ故院の皇子を帝として盛りたてようという人からは、おもしろくない存在だろう。

 理屈ではそう割り切っても、まだ心情的にはなぜなんだというつぶやきが彼の中を去らない。

 やがて昼前に、帝が玉座にお出ましになった。親王はじめ公卿そして殿上人は探韻たんいんを賜って詩を作り、それを披露しなければならない。皆、次々に庭に降りて自らの韻宇を奏上する。

 源氏の番になった。彼が文台から取った紙に書かれてあったのは「春」という宇だった。

「『春』という文字を頂きました」

 声高く奏上する。ややあって殿上人の一人たる頭中将も、自分の韻宇を披露した。

 ひととおり終わると酒宴へと移った。舞台では舞楽が始まった。その頃にはもう、日もかなり西へ傾いていた。

 楽のもよろしく、舞台の上の『春鶯囀しゅんのうてん』の舞いに、源氏はうららかな春の風を感じていた。こういった公宴への参列も公務のひとつではあるが、少なくとも日常の雑多な務めから解放感が得られることも事実だ。自ら杯も進む。

 突然、蔵人の一人から声をかけられたのは、そんな気分に源氏が酔っていた時だった。

「帝の内々のお召しでございます」

 こんな席で何だろうと源氏は酔った足どりで、それでもひそかに人目をはばかって玉座の脇へ近づいた。そこへ摂政左大臣が近寄り、そっと源氏へ耳うちした。

「帝は源氏の君の舞を、御所望でございますぞ」

「え?」

 源氏は慌てて摂政を見た。

「しかし、私は酔っておりますし」

「あの大嘗祭の折の青海波がお忘れになることがおできにならない御様子で、ぜひにとの仰せでございますれば」

 源氏は苦笑した。御年十一歳の帝が爺相手にだだをこねたのであろう。

「帝の御直々の仰せを賜るなど、まろにとりましてはうらやましい限りですな」

「分かり申した」

 源氏は腰をあげざるを得なかった。

 舞台にあがった源氏に、誰もがどよめきの声を発した。折しもあの試楽の時と同様、夕陽が南庭を赤く染めぬいている。

 光源氏――今や二十歳。若さがいちばん乗りきっている時だ。

 舞いながらも彼は、やはり御簾の中にいるはずの弘徽殿大后を意識せずにはいられなかった。分が悪い。こちらからは見えないのに、向こうからは見られている。またもや何か嫌味でも言っているのではないかと、ふと感じてしまう。

 しかしながらその時の源氏は、自分を見つめているもうひとつ別の視線が、同じ御簾の中にあるような気がして仕方がなかった。

 次に舞ったのは頭中将だった。曲目は『柳花苑』で、これも見事だった。大嘗祭の折の源氏の舞の相手だったのでまた帝が所望されたのか、あるいは頭中将の父の摂政左大臣の見栄からかは分からない。

 その後も舞は続き、日も暮れてから各自の作った詩の献文、そしてそれに対する博士たちの講詩と移っていった。ここでも源氏の詩は好評だった。

 帝が還御になられると、あとは無礼講の直会だ。

 源氏はさっそく親王扱いからただ人の左中将へ戻り、頭中将をつかまえた。

「いやあ、見事だったじゃないか、君の舞は」

 頭中将はただ笑っている。篝火かがりびに照らされた舞台の上では、余興の舞がまだ続いていた。

 庭の敷で二人は、座って酒を汲みかわした。はっきりいって源氏は、もうかなり言葉がまわらなくなっている。源氏はにやにやしながら、頭中将を肘でつついた。

「君は舞うことを予想して、ひそかに稽古をしていたのだろう」

「ばれたか」

 頭中将も大笑いをする。

「ばれたかではない。それで御衣おんぞまで賜ったのだから、はっきり言ってこれはずるい」

 源氏も笑った。そこに頭中将が杯をさらに勧める。

「おい、ちょっと待ってくれよ。今日は帰れるかなあ」

「いいさ、宿直とのいしていけば。それより君だって、博士たちに詩も何もかも、人の追随を許さないって言われてるぞ、このォ」

「まあな」

 またもや笑いが、暗い空に木魂した。

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