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新史・源氏物語  作者: John B.Rabitan
宿木(やどりき)
228/251

10

 更衣ころもがえが済むとすぐに薫はよき日をぼくし、兵衛の君を三条邸に迎えることにした。

 ところがその直前に、摂政太政大臣が東二条邸で催す藤花の宴に薫も招かれた。

 当日、寝殿の南面は御簾がすべて上げられ、その中に摂政の椅子があった。薫の座は殿上で、摂政の次男の権大納言やすでに右衛門督となっていた五男の権中納言と同列だった。身内扱いである。その宴が始まる前に、摂政はわざわざ薫のそばに寄ってきた。薫が平伏すると、立ったまま摂政は笑っていた。

「今まで意識しておりませなんだが、そなたはわが亡き弟の婿殿ですからね。つまり、ただの甥というだけではなく当家の婿殿ですから、完全な身内なのですよ」

 兵衛の君との結婚を公にしたことは、薫が思ってもいなかったような副作用まであったのだ。そういえば自分にとって、摂政太政大臣は義理の伯父ということになる。いや、今までもずっとそうだったのだが、全く忘れて意識していなかっただけだ。

 すでに薫にとって摂政太政大臣は母方の叔父であるが、これは世間的にそうなっているだけであって事実ではないことを薫は今なら知っている。

 だがこれは公言できないことだけれども、自分の出生の秘密からすると、摂政太政大臣は薫の父方の伯父である。さすがにそれは摂政もそして姉さえも知らない事実である。

「かたじけのう存じます」

 薫がひと笑いしてから、摂政は自分の席へと戻った。その足取りは弱々しかった。心なしか顔もやせ衰えたように見える。

 身舎もやにはほかに、源左大臣の席もあった。摂政より十歳近くも年長で、昨年古希の祝いがあったから、こちらもかなり枯れている。

 摂政の長男の内大臣の席は、摂政の椅子のそばだった。父が入ってくるまではまだ宴も始まっていないのにどんどんと酒を飲んでおり、もうすっかり出来上がっている。とにかく、内大臣の酒豪は有名だった。その常の酒飲み相手で内大臣の従兄である按察使大納言もともに飲んでいたが、摂政のお出ましで身舎から出て自分の席についていた。

 さらにこの席には内大臣の長男と次男もおり、長男は昨年十月に蔵人頭となって頭中将と称され、次男は右中弁右少将で、ともに二十歳と十七歳の若者として宴に花を添えていた。

 そういった若者たちを見るにつけ、薫は自分の衰えさえも感じてしまう。彼らの自分の年齢を見る目は冷たい。それに対して摂政や源左大臣などからは、その若さがうらやましがられる。つまり薫は、宙ぶらりんの世代であった。

 皇族ではこの東二条邸で暮らしている冷泉院の三宮のほかには、式部卿宮と匂宮の親子、そして匂宮の弟でこの春に十三歳で加冠を終えたばかりの常陸宮も参列していた。

 そのほかの殿上人たちは庭の藤花の下に敷かれた畳の上に席が設けられており、薫も本来ならあそこが自分の席だったのだと殿上からその庭の畳席を見下ろしていた。

 やがて儀式的に杯が回り、楽人も参入して演奏や舞いも始まった。夜になると篝火も焚かれ、宴は盛況を迎えていた。

 趣向の一環として薫が披露したのは、父光源氏の筆跡になるきんの譜二枚が五葉の枝に結いつけられているもので、母から借りてきたものである。さらに薫は、母からは秘伝の楽器類も借り出してきていた。すべて母がその実父である朱雀院の帝から伝えられたものである。

 そうして、さっそく殿上での楽が始まった。源左大臣が和琴、匂宮は琵琶を取り、薫は懐から笛を取り出した。その笛が光源氏ではない実の父親の形見であることを、今の薫はすでにもう知っている。

 さらに料理が出て、そちらの方は源左大臣の息子の源宰相左兵衛督が取り仕切っていた。

 座も乱れ、いつもの飲み仲間であるほぼ同世代の内大臣と故堀川前関白の四男の按察使大納言も互いに顔を赤くして差しつ差されつしていた。そこへ薫も呼ばれた。


 その翌日、兵衛の君は三条邸に移り、新築された西ノ対に入った。薫はほかに通う所があるわけではなく毎日ここに帰ってくるのだから、妻が来たとて不都合はない。それでも今までの自分の生活を壊したくなかったので、西ノ対で同居することはしなかった。結婚という二文字に自分が束縛されることだけは、色めいた意味ではないにしても御免だったのである。だが妻の来た日は、さすがに西ノ対に渡った。

 妻が形通りの御礼の挨拶をしたあと、女房たちは下がって妻と二人きりになった。

「まるで、夢みたいな話です。本当にこんなに幸せでいいのかと、恐くなります。本来でしたら私の方で殿のことを何もかもお世話しなければならないのに、私には何の後見もなく……」

「いや。そうとばかりも言えないよ」

 薫はこの妻のお蔭で、摂政太政大臣から摂政家の婿として扱われたことなどを話した。

「摂政の大臣おとどは、あなたを自分の娘同然のようにお考えだ」

「そんな……」

 彼女は自分を「幸せ」といった。本人がそう思っているのだからそれはそれでいいが、果たして本当にそうだろうかと思う。

「幸せって、何が幸せなんだろう」

 薫は妻の顔を見ずに言った。

 妻の答えは、すぐにはなかった。やがて、ゆっくりとその顔が上がった。

「ほとんど幻の存在でございました殿が、ある日突然にいらっしゃって、私をこんな御殿につれてきて下さいました。これが幸せでなくて何でしょう」

 薫は答えるすべがなかった。そこで、妻の顔を見た。そして、心の中で、ため息をついた……少しも似ていない、と思う。

 兵衛の君は、当然のことながら宇治の大君とは似ていない。つまり、大君を失った心の穴を埋めるには、この妻では役不足ということになる。

 大君の代用にはならない。それでいて女というものが自分にはべり、その女を抱く……その行為でますます大君を思い出してしまう。亡き人への思いが、ますます募ってしまう。

 大君を忘れるため、執着心を取るためのこの女を自邸に呼んだはずだったのだが、これでは逆効果だ。しかしこの女は薫のそんな内心などつゆ知ることもなく自分の全人生を薫にゆだね、そして幸せだと称している。薫はこの女が、ますます哀れに思われてきてしかたなかった。

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