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新史・源氏物語  作者: John B.Rabitan
雲隠れ
174/251

 やはり四宮には、宮中に戻ってもらった。

 源氏にとっては外孫になる若君も健やかに育っており、生まれてから満一年目も過ぎた。年が明けたら数えで三歳になり、いよいよ着袴の儀となる。

 すっかり上手に歩き回り、感情も芽生えてきて、乳母が一番神経をとがらせる時である。なにしろ、一日中目が離せない。


 源氏は冬の日のつれづれに、西ノ対に渡って明石の御方と対座した。

「このばばでは、もう若君のお相手は役不足ですわ」

 思えばついこの間、姫の成長を心に刻んでいたような気がする。その姫がいつのまにか、成長しつつある子の母親になっているのだ。

「やはり子供には、子供の遊び相手が必要だね。薫をここに呼ぼう」

 と、源氏は言った。

 明石の御方もそれに賛成したので、その源氏の言葉通りにやがて薫は高松邸から西宮邸に呼び寄せられた。その母があのような状況では、ともに高松邸で暮らさせていてもあまり意味がない。ただ、次女の中君だけは高松邸においておくことになった。

 薫ももう十歳で、すっかり分別あるお兄さんぶりを発揮していた。

 形の上では薫は若君の叔父になるが、まるで弟に接するように若君を慈しんだのである。まだ親王ではなく王という称号にすぎない若君のことを「宮様、宮様」と呼び、まだしゃべるに至っていない若君に優しく言葉を教えようとしたりしていた。


 年も暮れた。

 昨年は先帝の喪のため中止になった一連の正月の行事も今年はことごとく復活し、そのひとつである太政大臣大饗も小野宮邸で開かれ、源氏も左大臣として出席しない訳にはいかなかった。

 はるか遠い昔にはこの屋敷で、女房たちから「お帰りなさい」と迎えられこともある源氏だ。長男が生まれたのも、この屋敷でだった。そのまま母親亡き後も長男はこの屋敷の西ノ対で育ったのだが、今の源氏にとってこの屋敷に行くのはまるで敵地に乗り込むような気持ちだった。大昔の舅の関白太政大臣は、今や源氏の最大の政敵なのである。

 儀式的な杯のまわしが済むと、お定まりの催馬楽が始まる。曲は「席田むしろだ」だった。


 ――席田の席田の伊津貫川にや住む鶴の……


 ところが、そこで不意に歌が途切れた。そして、誰もが目に涙を浮かべていた。

「いかが、致した」

 関白がとがめる声にも、力がなかった。

「先帝がおわしましたなら……」

 と、最初に一条大納言が言った。目くじらを立てたのは小一条右大臣だ。

「新しい年の祝いの席ですぞ。そこで涙されるなど、不吉な……。おのおの方、関白殿の饗にて失礼ではありませんかッ!」

 そう言って怒ること自体、正月の席にはふさわしくなかった。しかし参列者の胸の中には正月のめでたさよりも、先帝や先帝の御代への追慕が居座っていた。

 先帝がおわしましたなら……その続きは源氏の頭の中にもいくらでも浮かぶが、すべてが仮想にすぎなかった。


 春の除目では、今度は源氏の方が関白側を無視して好き勝手をすることにした。まず一条大納言の次弟の内蔵頭くらのかみを参議に取り立てた。そして月が変わってからさらにその弟の頭中将を、参議を飛び越えて一気に中納言にした。彼はすでに非参議の三位であるから、冠位相当の資格はあった。ただ、蔵人頭と中将は兼職としてそのままにしておいた。もちろん、関白には何の相談もしていない。

 当然のこととして先例に違うという抗議が後で関白からきたが、源氏は帝がご正気の時にすでに勅許は得ていたのである。幸いなことに、帝は血がつながらない関白よりも、母の兄弟の庇護者である源氏のいうことはよくお聞きになる。

 だが、帝は人格をお持ちでない。反対側の関白の申し上げることもよくお聞きになるから困ったものだ。

 しかも、左大臣である源氏以外の人は、ことごとく関白を通さなければ帝の御意をお伺いすることもできない。本当は左大臣といえども源氏とてそうなのであるが、彼は関白を無視している。要は先手必勝だ。


 予想していた反動は、割と早くに来た。新中納言頭中将の家の郎党が小一条右大臣家の郎党と、乱闘騒ぎを起こしたのである。しかも新中納言任官のその日のうちにだ。何が原因なのか、またどちらが先に仕掛けたのかは分からない。だがこの乱闘で、右大臣家の舎人の一人が死んだ。それに憤慨した右大臣家のものが、新中納言の屋敷に乱入しての一戦にまで発展した。

 叔父甥のこの争いは郎党同士のこととして、右大臣と新中納言の話し合いで何とか表面上は収まった。だがこれで小野宮関白と小一条右大臣の兄弟の線と、同じくその兄弟であった故九条前右大臣の遺児たちと源氏の線との対立は一気に表面化した。


 そこで新中納言の長兄の一条大納言は源氏との結びつきをより強固なものにしたかったのであろうか、源氏に対してある申し出をしてきた。

 彼のさらなる弟で、亡父から見れば五男になる右兵衛督は昨年他界していたが、まだ幼い姫を忘れ形見として遺していた。その自分にとっての姪を、薫の加冠の折の添伏にというのである。

 源氏は断る理由もないので笑って許したが、まだまだ先のことだと思っていた薫の加冠ももうすぐなのだということを実感させられた。桜の莟もようやく膨らみかけた頃のことで、このごろは年月がたつのが恐ろしく早く感じられる源氏であった。


 その桜も咲いて、そして散った頃、西宮邸にまた疫病神が来た。しかも、夜も更けてからであった。

 疫病神の左兵衛尉は妹の明石の御方のいる西ノ対ではなく、寝殿に通してほしいと依頼してきたという。いかに妻の明石の御方の兄で、自分の従弟であっても、ここのところ不穏な言行のある老人の来訪に、源氏は少々不快感を覚えた。

 もし血縁がなかったら、このような申し出は一蹴するところである。

 とりあえず東ノ対に通して源氏が渡ると、なんと左兵衛尉は狩衣姿であった。髪も烏帽子の下で振り乱されている。少なくとも左大臣の私邸を訪れる礼ではない。しかも源氏を見るや否や、膝を進めてその袖をつかんだのである。

大臣おとど! 大変なことに、大変なことになり申した!」

尋常ではない取り乱しように、源氏はものすごく嫌な予感がしていた。

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