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新史・源氏物語  作者: John B.Rabitan
御法 (みのり)
154/251

 秋の除目では、左大臣の次男がようやく参議の座に列した。

 宰相中将と同年齢である。左大臣の次男は長男亡き後、小野宮左大臣家の嗣子となっていた。九条前右大臣家の嗣子の参議就任に遅れること三年で、「一苦しき二」は今でも生きているようであった。

 その頃、中宮のさらなる懐妊が発表になった。そして故中務卿宮の娘である麗景殿女御の腹にも御子が宿った。帝もすでに三十代後半であらせられる。

「まだまだお盛んだな」

 と、つい自分の立場と比較して、源氏はつぶやいて苦笑した。そして宰相中将の四十賀の宴も新嘗祭で忙しくなる前にと、その頃に一条邸で執り行われた。

「感無量だね」

 後宴の乱れた席で、源氏は宰相中将に自ら酌をした。

「私の四十賀もついこの前のような気がするのに、もうあれから十年がたってしまったよ」

「私の場合も、すぐだということですね」

 そう言って笑う宰相中将の目元には亡き父の前右大臣の面影が確実にあり、源氏は亡き友と相対しているような錯覚さえ覚えた。宰相中将は声を落とした。

「ところであちらにおられる大納言殿のご子息の我が婿殿も、ここのところはほとんど我が屋敷で起伏していますよ」

 宰相中将は、少し離れた席でほかの者と談笑している左兵衛佐を目で示した。源氏物語それを、横目で見た。

「仲も戻ったか。その折は迷惑をかけたな」

 女二宮の出家で、とにかくは一件落着したようだ。

「子供もかわいいと見えまして」

「そういえば私は、まだその私の孫の顔をほとんど見ていないんだが」

「そうですか。一度、お立ち寄りくださいまし」

「いろいろと忙しいけど、ぜひそのうちに。それにしても、二条邸には年取った夫婦が西ノ対にいるので、せがれも帰りづらいのだな」

 二人は声をあげて笑った。

「女二宮様もお気の毒でしたが、一宮様は東宮妃として落ち着かれましたから、ひと安心ですね」

 宰相中将の言葉に、源氏はまたふと中宮の気になる言葉を思い出した。――東宮妃となったとて、女一宮は決して幸せにはなれない……。

 不吉なことは考えまいと、源氏は首を横に振った。

「時に女三宮様、すなわち私の妹となっております愛宮様はどうされてますか」

 来ると思ったら、やはり来た質問であった。こちらの方もまだ、全く幸福になるめどは立っていない。

「裳着も終わりましたのに、このままでは何だか……。一応は我が妹でありますから」

「そう責めないでくれ。とにかく……」

 源氏は笑ってそう言ってから、酌をしてごまかした。そこへ瓶子を持って源氏の長男の左兵衛佐がやってきたのが救いとなり、宰相中将の相手はその婿殿に任せて源氏は自らの席に戻った。


 冬になり、新嘗祭も無事終えて人々は春を待っていたが、閏の十二月が入って春の到来は一カ月お預けとなった。その間、年内に大雪が降り、宮中の庭ではあちこちで雪の山が作られた。二条邸でも童女たちに雪の山を作らせ、部屋の中から源氏と紫の上はともにそれを見ていた。

「いつぞや童女たちに雪合戦をさせたことがありましたね」

 妻の言葉に源氏は微笑みながらも、すぐにいつもの意見をするときの顔つきになった。

「このごろは、昔のことばかり口にするね。もっと、これからのことを考えたらどうかね」

「そのようなものが、果たして……。昔の思い出で十分ですわ。それだけが宝物ですから」

「またふた言目には悲しいことばかり」

 今年は何とか、二人そろって年が越せそうである。そして来年もと、源氏は祈っている。

「さて、今日は遅くなってでも参内しないと」

 源氏は立ち上がって、女房たちを呼んだ。もう昼近くになっている。

「奨学院に、せめて勧学院と同じ年給をと思っているのだよ。それを帝に申し上げなければいけないのでね」

 勧学院は摂関家の私学であり、奨学院は皇族のための学問機関であるが、今や奨学院よりも勧学院の方が年給額が多いのが実情だ。皇族出身の源氏としては、何とかしなければならないとかねてから思っていたのである。

 束帯に着替えさせている間、源氏はそのことを妻に説明していたが、妻は黙ってうつむいていた。やがて着替えも終わり、源氏は出かけていく。

「殿」

 妻は、そんな源氏を呼び止めた。

「今年は殿の五十賀もできませんでしたね」

「そんなことは……」

「いいえ。これからのことを考えよとの仰せでしたから、たとえ一年遅れでも来年こそは賀を致しましょう。皆さんに、お集まりいただきましょうね。私へのお気遣いはご無用に」

「分かった。考えておくよ。では、行ってくる」

「行ってらっしゃいまし」

 妻が珍しく未来のことを話題にするので嬉しくて源氏は笑顔でそう言ったが、見上げる妻の瞳にはなぜか涙が浮かんでいるのを、源氏は見てしまった。


 年明けは、二日の小朝拝にて四宮が勅剣を賜ったことから幕が開いた。まだ童形ではあるがすでに十三歳で、日増しに聡明さを増してきていた。兄の東宮が即位したらよき補佐として、そして場合によっては次期皇太弟と目されている皇子であった。

 東宮にとっては、元服してからの初めての正月となる。その東宮と同じ十五歳の源氏の次男も、そろそろ元服させなければならない。そして、それは急ぐ必要もあった。源氏の子は三人で、それに薫も加えれば一応四人ということになるが、そのうち紫の上腹は次男の一人だけである。姫と薫は紫の上にとっては養子・養女にすぎない。妻は日々に弱っていく。だから、せめて実の子の加冠の姿を、その目で見せてあげたいと源氏は思ったからであった。

 正月早々の幕の内に、源氏の次男の加冠は西宮邸で行われた。この日ばかりは紫の上も二条邸から戻り、起きて御簾越しに我が子の晴れ姿を見ていた。諱は宰相中将の次男と同じ文字で始まり、下の一字が兄と共通でもあった。ただ、一人前の男としての門出を実母に見てもらえたという点では、異母兄の左兵衛佐よりも幸福かもしれなかった。

 しかし、その実母の命の火も細くなりつつある。いずれにせよ源氏の次男は、今後は官人見習いとして宮中に出仕することとなった。


 その宮中に、朝から慌ただしい日がやってきた。二月の初のの日の、子の日の興である。主役は童形の四宮で、洛北の北野で鷹狩を催すことになっていた。朝は曇っていたが昼前には晴れ、四宮は出発のあいさつに清涼殿の前庭に現れた。この日ばかりは左大臣をはじめ公卿もほとんどといっていいほど殿上に伺候し、当然その中に源氏もいた。

 供は故中務卿宮の遺児である頭中将、左中将、式部大輔の三人と桃園中納言、さらには中宮権大夫である故前右大臣の次男と、その弟で昨年の正月に還り殿上した故前右大臣の三男の兵部大輔であった。つまり完璧なまでに、左大臣側とは敵対する故・前右大臣側の人々ばかりである。そういった人々に守られて、四宮は狩りに出かけていくことになる。

 全員が狩り装束で、そのままの姿での参内などこれまでにないことであった。内裏の中に馬のいななきが響き、滝口の武士は別としても無地の狩衣を着た地下人が庭を多勢うろついている光景なども、この日ばかりのものである。

 帝も中宮も、御簾の中から四宮の晴れの姿に見入っておられた。その昼御座ひのおましの向かって右の弘徽殿の上の御局みつぼねも今日は格子が上げられ、御簾だけが下ろされて、その下からはひしめき合うように女房たちの衣の裾がはみ出していた。

 内裏の外も大宮大路の北辺まで、物見の車がぎっしりと立てられているという。

「今年は、春のうちに賀茂の祭りですね」

 公卿の席からは御簾越しでなく、四宮を直接見ることができる。源氏の脇にいた宰相中将が、源氏に耳打ちしてきた。源氏も上機嫌で、何度もうなずいていた。

 ことがうまくいけば、今まさに狩りに出発しようとしている若き皇子が、源氏の姫の将来の夫となる。東宮に対する四宮は、故朱雀院と今の帝の関係に等しい。

 亡き前右大臣は賭けだといって今の帝が皇太弟になる前にその娘、すなわち今の中宮を入内させたが、その賭けは見事に勝ちであった。源氏にはそのような野心はなく、ただ姫の幸せを願うだけだが、東宮が即位して中宮の言葉どおり御子に恵まれなければ、四宮は確実に皇太弟となり、ゆくゆくは帝となる。

 そうなると源氏の姫の中宮冊立も夢ではなく、今は冥府にいる明石入道の遺言がすべて実現することになる。今の中宮の地位に、源氏の娘がつくのである。その時点で国母となるべき今の中宮は源氏の亡き親友の娘であるし、また妻の妹でもある。かつての弘徽殿大后との間のような、ぎくしゃくとした摩擦は起こるはずもなかった。

 そんなことを考えているうち、ふと源氏はあることに気がついてため息をついた。

「大納言様、どうなされました?」

「あ、いや」

 宰相中将に問いかけられて我に返った後も、源氏の中でその空虚さは続いていた。

 源氏は自分の将来のことに思いを馳せていたが、その将来に自分自身が出てこないのである。いつしか、子の行く末のことばかり案じる老人になってしまった。四宮の即位、姫の中宮冊立――しかしそれらのことを、自分は生きて見ることができるだろうか……できないような気がしてならない源氏であった。

 さらに気になるのは長男や次男、それに行く末の定まった姫などではなく、まだ幼い薫のことであった。ひいては、その陰の実母である女三宮である。今、女三宮は高松邸の深窓でひっそりと暮らしているが、このままでいいはずがない。だからといって、今後どうすべきかもわからない。帝への手前もある。やはり薫の身が成り立つようにし、そして女三宮も身が落ち着くまでは、自分はまだまだこの世に存在していなければならないのではないかと源氏は思っていた。

 狩りに出かけた四宮は、ひと時ばかり後にはもう取れたての雉を二羽献上してきた。そしてその夜、戻った四宮を囲んでの帝によるささやかな宴が開かれ、音楽の遊びもあった。公卿たちは皆禄を賜ったが、その頃には四宮はもう退出していた。

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