5 呪い
「ルナ!」
イリスが私の名前を叫び、抱き起こす。
彼女の不安そうな顔が目に入った。
……何?
何が起きたの?
全身に力が入らない。
「手遅れ、だね」
その声はサーナだ。
手遅れ?
「兎が喋った?!」
イリスが困惑している。
「早ければ今日にも死ぬだろうね」
「な、なんで? なんなのこの兎、縁起でもないこと言わないでよ」
「事実を言ったまでだよ、証拠を見せてあげる」
サーナが私に近づいて来る。
何をするの?
上着の裾をくわえた辺りで分かった。
痣をイリスに見せるつもりだ。
「サーナ、それだけはやめて」
私は言葉だけで静止しようとするがサーナは構わず服を捲る。
痣を見たイリスは静かに驚きの声を零す。
「え? この痣は……」
「ルナは私と契約して強大な力を得たの。力を得る代償は魂。いや、命と言った方が分かりやすいよね。命を削る事で人並み外れた力を発揮できるようになる。その痣は命の灯が消える前に現れるの」
イリスは困惑した顔を私へ向ける。
「もしかして私のために契約したの? 冒険者になるために力が必要だったんでしょ?!」
イリスは責任を感じてるのだろう。
声を荒げて言った。
でもイリスとは関係ない。
私は顔を横に振って否定する。
「違うよ、私がイリスと出会った時には既にそうだった」
イリスのせいじゃない、とは言ってもその顔は晴れない。
「助かる方法はないの?」
「それは……」
言えない。
それだけは絶対に言えない。
人を殺せば助かるなんて言えるわけがない。
私は視線をサーナに向けて頭の中だけで言葉を送る。
(サーナ、人を殺したら助かるってのは言わないでよ)
私の言葉が届いたのかサーナは私の耳元に近づき、ボソッと返事をする。
「言わないよ。それにもうルナは動けない。だから人を殺せない、意味がない」
それを聞いて安心した。
安心したけど、もう私は駄目ということだね。
イリスには悪いけど、大切な人に看取られるのも悪くない。
ごめんね、イリス。
短い間だったけど、最後に私は幸せな時間を過ごせて嬉しかった。
ありがとう。
「病院に連れて行く!」
大声をあげたイリスは私を抱えようとする。
でも力が足りなくて持ち上がらない。
引きずるのが精いっぱいのようだ。
疲れたのか途中で引きずるのを諦めた。
「ルナが死ぬなんて嘘よ、嘘なんでしょ? 嘘って言ってよ! 突然すぎるよ……」
イリスは私を抱きしめながら涙を溜める。
ごめんなさい。
もっと早く決断できてれば……。
「まだ助かる方法はあるよ」
サーナが口を開いた。
もうないはずじゃ……?
私以外なら可能ってこと?
嫌な予感がする。
「教えて、ルナは絶対死なせない!」
そう言った後、イリスは力強い眼差しを私に向ける。
私を絶対助けるという強い意志を感じる。
「イリス、あなたの命を捧げることで彼女に掛かった“呪い”を解除することができる。そうすればルナは死なずに済む、痣も消える、そして契約で手に入れた力も消える」
予感が当たった……最悪だ。
私に教えなかったのは、私がイリスを説得して思い留まらせると思ったからだろう。
イリス、その方法は絶対駄目。
あなたのいない世界なんて見たくない!
「……分かった」
「駄目、イリス。私、イリスがいないと生きていけない。死んだように生きたくない!」
イリスは必死に訴える私を見つめて辛そうにニコリと笑う。
「ルナがそう思うように私だって、ルナがいない生活なんて……考えられない」
命を投げ出すほどに私の事が大切なのだと分かってとても嬉しかった。
私は必要とされてた。
でも、これは私の問題だ。
私が背負わないといけない。
「でも、駄目。絶対契約したら駄目」
イリスは悩んだのか沈黙を始める。
しばらくしてから笑みを浮かべると彼女の口が開いた。
「もう私は大切な人を失いたくない。もう私にとってはあなたはとても大切で大好きでかけがえのない人なの。まだ若いルナにはもう少し未来を見て欲しい。だから……ごめんね、ルナ」
私の知らないイリスの過去は、私の言葉よりも重かったようだ。
イリスはサーナと契約を交わしてしまった。
体の動かない私には止める術はなかった。
馬鹿!
イリスの馬鹿!
そしてイリスとサーナとの契約の効果が現れ始めたのか私の体は徐々に動くようになり、逆にイリスは鈍くなっていく。
ついには倒れそうになったイリスを私は強く抱きとめる。
呪いが解けたせいで私には力が無いようだ。
イリスの体はとても重く感じられた。
私は彼女の顔に目を向けると清々しい顔をしていた。
「ごめんねルナ。それと今までありがとうね。あなたのおかげで店を潰さずに楽しくやって来れた。だからお礼は返さなきゃね」
そんなちっぽけなことのために命を差し出されても困る。
あなたの命はそんなに安くないのに。
「サーナ! イリスとの契約を取り消してよ! できないなら私の命でイリスを助けて!」
イリスだけは死なせない。
私が死ぬときはイリスに見送られたい……!
「残念だけど今のルナの魂の量では足りないの。イリスから分け与えられた魂の全てをルナが受け継いだわけじゃないからね。どうしても助けたいなら十分な量の魂を持った人を連れてくるしかない。でもそれはお勧めしない。探してる間にもイリスは息を引き取るだろうからね。最後くらいは一緒にいてあげた方がいいと思うよ?」
頭が真っ白になった。
私は今どんな顔をしているのだろう?
どうなってるかよく分からない顔をイリスへ向ける。
イリスは笑顔を作った。
私のために無理矢理作ってるんだろう。
悲しいまま終わりたくないんだろう。
「私もまだ若いけど、ルナはもっと若いから。だから私の命を託すね。きっといいことあるよ。私の分まで幸せになってね。私の事、忘れないでね……約束だよ?」
そう言ってイリスは震える手で私の頭を撫でた。
約束したくなかった。
イリスがいない世界で幸せになれる気がしない。
でも約束しなきゃいけない。
じゃないとイリスの想いが無駄になってしまう。
「分かった。絶対幸せになるし、あなたのことは忘れない」
その後、イリスの意識が途切れるまでずっと側にいた。
涙を堪えてイリスが辛くない様にと、いつも通りニコニコと話をした。
「私、本当に死ぬのかな? このまま何事もなく生きられたりしてね」
イリスがそう言ったので私も本当は死なないんじゃないかと思い始めた。
そうなれば良いと思った。
でも、彼女の体からは力が抜けた。
やっぱり彼女は死んだ。
最後は穏やかだった。
「おやすみなさい、イリス」
途端に声がよく響いて聞こえるような気がした。
耳がキーンとする。
なんだろう、現実感がない。
また彼女は時間が経てば目を覚ましていつも通りの日常が始めるのだと、そんな気がした。
だからしばらくは悲しくなかった。
サーナはいつの間にか姿をくらまし、私の前には姿を表さなくなった。
サーナに復讐したいという気持ちはあまりなかった。
私も悪いのだから。
……また一人になった。
イリスを墓に入れて数日が経った。
家の中は未だにイリスがいるかのように彼女の物が溢れている。
イリスには家族がいないからこれらをどうするかは私が決められる。
片付けてしまうとイリスがいない現実を突きつけられるから、気持ちが落ち着くまではそのままにしておこうと思った。
「イリスー、ご飯食べようー」
私は彼女の名前を呼ぶ。
もちろん返事はない。
私の声しか響かない。
私一人しかいない。
足音も私一人の分だけ。
……寂しい。
また頭を撫でて欲しい。
辛い。
死にたい。
でも死ねない。
イリスの死が無駄になってしまう。
呪いは解けたというのに、呪いのように重くのしかかる。
幸せにならないといけない呪い。
だから生きなきゃいけない。