6. 美食倶楽部に所属したい
朝使用人たちの食事室に行くと、なぜかラファエル様のお世話をするよう促された。仕方がないのでラファエル様のお部屋に行ったら、昨夜のように一緒に朝食をとることになった。
どうやら毎食そういうルールなようで、みんなはこの事を知っていたらしい。
出世した途端、私だけご馳走。メイド長や執事長よりも。
これが既得権益というものか。
受け入れちゃうしかないじゃない!
にやにやしてしまうが、みんな温かい目で見てくれた。本当に好い人たちしかいなくて、やっぱり顔がにやけてしまう。
執事長から、仕立屋さんより早速返信があったと知らせを受けたので、ラファエル様に予定を確認しなければならない。広いお屋敷の裏手にある広い鍛練場に向かう。
午前中から昼過ぎまで、ラファエル様は軍事力増強のため兵士たちの訓練を行っている。
ここの領地自体が巨大な森に面しており、魔物との遭遇率が高い。領内の平和を守るために、こうした鍛練は欠かせない。
ラファエル様は国から魔物退治を仰せつかっている、とっても強くて頼りになるお貴族様だ。王都から離れた辺境の地だけれど、国からお金がもらえるから財力もあって、遠縁ではあるが王家と親戚でもあるから権力もあって、貴族の中では結構上の地位らしい。
身分とか他の貴族との序列とかも勉強しないとやっていけないので、少しずつだけど覚えつつある今日この頃。
鍛練場では既に訓練が始まっていた。遠目から声を掛けるタイミングを伺う。
「お、おい、あれ!」
「もしかしてあの子……!」
訓練中の兵士さんの何人かが私に気付いてくれたので、軽く会釈する。
そのうち、私の存在が気になるのか、ザワザワし始めてしまい、とうとうラファエル様も気付いてくれた。今がチャンスと駆け寄る。
ラファエル様も近づいてくる。
「どうした。こんなところで何をしている」
「旦那様、昨日のドレスの件です。返信が来まして、いつでも召喚に応じるそうです。いつになさいますか?」
「では今日にでも。午後は時間を空ける」
「かしこまりました。……あの、お邪魔してすみませんでした!」
訓練の手を止めてしまったので、他の方たちにも頭を下げる。
兵士さんたちは「いいよ~全然気にしないで~」と手を振ってくれたり「アンジュちゃんまたおいでよ~」とお誘いしてくれたり、みんな優しい人たちばかりだ。
「こいつらのことは気にしなくて良い。というか、こんなところまで来なくても、他の奴に頼めばいいだろう」
「そのようなことはいたしません。これは私の仕事ですし、本当は旦那様のおそばにずっといたいくらいです」
「……はぁ。お前は……」
片手で口を覆い、言葉を飲まれてしまった。ラファエル様は優しいから、私に気を遣っているのだろう。
「私、ダメでした……?」
こういうときはハッキリ注意してもらわないと。
すると、ラファエル様の手が伸びてきて私の顎を軽く掬う。何か仰るのかと思いきや、軽く唇同士が触れ合う。
「もう行け」
「は、はい!」
こんな大勢の人がいる中でもキスするくらいなのだから、本当にただの慣習なのだな。
何も注意されなかったので、行動としては間違っていなかった、と自分で評する。しかしキスのタイミングやニュアンスについてはまだ理解できていない。果たして慣れられるのだろうか、この慣習。
特に機嫌を損ねた様子はなかったので、とりあえず命令通りその場を後にした。
邸に戻るとすぐに返信の返信を書いて送付をお願いした。
昼下がりの午後、仕立屋さんが三人揃ってやって来た。オーナーさんとデザイナーさんとパタンナーさんだそうだ。
応接室に案内して、昨日ラファエル様が仰っていた依頼を伝える。「こちらでしばらくお待ちください」と紅茶を置いて、ラファエル様を呼びに行く。
「なんだ。全部お前が決めて、交渉する時だけ俺へ知らせてくれれば良かったのに」
「そうはいきません! 旦那様に見ていただかないと!」
応接室にお通ししてソファに座らせ、私は斜め後ろに待機する。
仕立屋さんたちはラファエル様が現れたと同時に、目に見えてびくっと体をこわばらせた。緊張したのが一瞬でわかる。
恐ろしいほどの美貌なので、致し方なかろう。神々しさは目に毒。目を反らす気持ちもわかりみしかない。まぁ私は逆にガン見ですけどね。愛で方の違いですね。チラ見もそれはそれで良きですけどね。
「何をしている。アンジュもこちらに来い。話が始まらないだろう」
なるほど、補佐が進行役を務めるということか。
遠慮なく隣に座り、話を進める。
デザイナーさんが何枚かドレス画を用意してくれていたので、テーブル上に全て出してもらい、重ねて並べて見比べる。
「旦那様、お好みのものをいくつか見繕ってみてください」
「アンジュはどんなデザインが好みなんだ?」
「え、私です? 形はこれとか……? 色だとこれとか……」
突然世間話を振られる。
仕立屋さんたち緊張しちゃってるから場を和ませるためか。ラファエル様ったら気配り上手。
「そうか。ではこのドレスにしよう。色はこれで。似たデザインの色違いで他にも用意してくれ」
よりにもよって私が選んだタイプに決定した。そのままオーナーと商談を始めようとしたので、さすがに止める。
「旦那様! 私のただの参考意見です! 着る人のことを考えたドレスにしてください!」
「……何を言っている」
女心がわからないタイプの男かー! プレゼントする本人が選ぶことが大事なのにー!
いや待てよ。ラファエル様はプレゼントのことなど一言も言っていない。
「もしかして……、旦那様が着るですか?!」
「なぜそうなるんだ!」
「だって旦那様はとてもお綺麗だから、ドレスも絶対お似合いですから」
「……本当に何を言っている」
よくよく聞いてみた結果、私が着るためのドレスだった。
補佐として共に行動する機会が増えるため、TPOに合わせた服装が必要なのだそうだ。稀にだが王都へ登城しに行くこともある。さしあたっては、高貴な方を出迎える時のために数着用意するとのこと。
そもそも補佐なのにメイド服なのがおかしいらしい。普通は私服勤務なんだと。
使用人だから問題ないと思ってた。私服なんて同僚たちからもらったものしか持ってないんだけど。
そう言ったら、なんか私服まで買ってくれることになってしまった。さすがに私服は既製品にしたけど、コレ経費で落ちるよね? プレゼントになってしまったら、お礼に返せるものはない。
私の採寸をしなければならないため、ラファエル様は執務に戻り、私は衝立を持ってきて、パタンナーさんに測られながら女同士四人で服について語った。小柄な私にも似合うよう、少しデザインを変えてくれることになった。
もうこれオーダーメイドじゃん。絶対高いやつじゃん。
生まれて初めてのオーダーメイドが福利厚生によるものとは贅沢極まりない。
私服はお直しだけなので、一週間後にはできあがる。
来てもらうのは忍びないので、仕立屋さんまで取りに行くことにした。私の服と知ってたら、今日はわざわざ召喚なんてしなかったのに。
「無事に発注は終えたか」
「はい。今日は私のためにありがとうございました」
「必要経費だ、気にするな。今後欲しいものがあればお前個人の権限で購入しても良い。いずれは俺の財産の一部を運営してもらうことになるだろうしな」
「はぇぃ?! めめめめっそうもないことでございますぅぅ! 私にはまだ早いですぅぅ!」
「まだ早い、か。そうだな」
意味深長な雰囲気を醸し出して妖しさ満点のラファエル様は、それはそれはセクシーでいらっしゃる。私はいつだって彼に魅せられている。
大好きです、ラファエル様。
それからは、補佐の仕事という勉強漬けの日々が始まった。教師を派遣してくれて、マンツーマンレッスンである。
言葉遣いだけは褒められたが、焦るとコミュ障が発症してめちゃくちゃなトークになってしまうので、結局基本から教わることになった。
ヒアリングはできてるの! ヒアリングは!
喋りがダメになるだけ!
そんな言い訳もしつつ、礼儀作法、舞踏、乗馬と、まるで体育のような授業を受け続けた。晩餐会や舞踏会に私も同席することがあるらしい。余裕ができたら楽器も習う必要があるそうだ。
日本では縁のなかった勉強に心踊らせる毎日。
特に乗馬は楽しくて、漫画で学んだみたく毎日掃除しに行った。厩務員さんとも仲良くなれて、馬のみんなとも仲良くなれて、一挙両得である。楽器も早く習いたいなぁと弾くのを楽しみにしている。今は授業のほとんどを礼儀作法に費やしているけれど。
忙しくも楽しい日々を経て、いよいよお茶会という名の本番がやってきた。
まだ慣れていないので、お相手はラファエル様のお知り合いの方一人だけ。なんと、聖女様がやってくることになった。正確に言えば、聖女様が一方的に来訪を告げたのでラファエル様が予定を合わせたのだが。
「あいつはいつも突然なんだ。悪いな。だがこれも良い機会だと思って欲しい」
「はい。粗相のないように精一杯努めます」
「あまり固くならなくていいぞ。聖女と呼ばれてはいるが、俺と面を付き合わせられる程度には豪傑なやつだからな」
聖女様はラファエル様より濃く王家の血が流れており、もし王家に子どもがいなければ即座に王位継承候補に並ぶほどのやんごとないお立場の方である。ラファエル様と親戚でもあり、幼馴染みなのだそうだ。時々辺境の領地にいらっしゃっては立ち寄るらしい。
そんなやんごとなき方とのお茶会に、補佐の私がなぜか同席している。ラファエル様の後ろに控えていたのだけれど、聖女様が座れというから。
「まあー……。本当にずいぶん可愛らしい子をそばにおいたものねー、ラファエルー」
同席した私の方を食い入るように見つめて、私の自己紹介より先に感想を述べられた。
やばい。授業で教わったお茶会の手順と違う。もう喋れない。想定外なトークは即時対応できないのである。
「まったく。こういうことには耳が早いな」
「当ったり前じゃない! あの野獣に美女がってもうすごい噂が広まってるわよ! そのうち私だけじゃなくて貴族連中もこぞって声をかけてくるわよ!」
「ち。面倒な。あからさまに俺を嫌悪する連中に付き合えと?」
聖女様、なんか思ってたのと違う。かなり自由奔放。
「フフン。私の後ろ楯、必要でしょう~? 欲しいでしょう~? 当てはあるわよ。そのために来たんだから」
「話が早くて助かる。こちらでも何とかしようとはしていたんだが……」
「しようとしたことが間違いね。ラファエルが依頼するとただの脅迫になるわ。余計な問題起こさないでちょうだい」
聖女様、表現が直接的。
確かに、もしラファエル様から迫られでもしたら、すべて受け入れてしまうに違いない。美の神から下民へのお願いなど、むしろご褒美ありがとうございますと感謝するだけだ。
よく分からないが、どうやら野性味溢れた方に意中の女性がいらして、その応援を頼みたい、みたいな話題だった。しかもお相手はたいそうな美女だそうだ。
私は口を挟むことができず、お茶を飲みながら聞いているだけ。
聖女様は想像していたより明るくて気さくで親しみの持てる方だった。なのに王族の威厳も持ち合わせているものだから、纏うオーラがハリウッドセレブのよう。ラファエル様と並ぶととても眩しくて、更に憧憬の念を強めることになった。
「あっあのっ、私はアンジュといいますっ。よろしくお願いしますっ」
お茶会もお開きになろうかというときに、ラファエル様に促されてようやく私は自己紹介を終えた。
よし。あまり喋らなかったから粗相はなかったぞ。
「……まあ。本当に可愛らしいわ」
聖女様は「こちらこそよろしく」とにっこり笑ってくださり、「ラファエルのこと、頼むわね」とラファエル様のことまで気遣ってくださった。
補佐は私しかいないから、これからますます精進せねばなるまい。ラファエル様の頼れる片腕となれるように。
「はい。旦那様に相応しい存在となれるよう鋭意努力いたす所存です」
「うふふ。貴女が彼の元に来てくれて本当によかったわ」
聖女様とのお茶会は、お二方とも私の働きに期待していることを示唆された。改めて、お仕事頑張ろうと心に誓ったのだった。