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5. アットホームな職場でホワイト

 廊下に出てドアを閉め、私は「ふう」と息をついた。


 ……ラファエル様と、キス、してしまった……。


 理由は分からないけど突然。

 特に何か言われたわけでもないけど急に。


 いや待てよ。この世界でのキスの意味と元の世界のキスの意味は違うかもしれない。

 一体どんな意味があるのだろうか。あまりにも驚いて聞くのを忘れてしまった。

 とにかく早とちりはいけない。勘違いしてはいけない。自分のモテ無さ加減は想像以上だと自戒しよう。


 この屋敷には図書室があって、よく本を貸してもらっては勉強していたのだが、蔵書の中に小説はなかった。情緒に関すること、というか恋愛的なお作法は、実は全然知らない。

 法律書で婚姻らしき事項はあったので、婚約やら結婚やらに行き着くまでのアレコレはあるのだと予想している。あとは、輿入れの際にどういう手順を踏むとか、どんな準備が必要だとかをマナー本で見かけた。私が知っているのはその程度だ。


「アンジュ! で、どうだった?!」

「旦那様とはうまくいったのか?!」


 メイド長と執事長が廊下の向こうの方から音も立てずに素早く近づいてくると、興味津々といった様子で問い(ただ)してきた。


「えっと、旦那様の補佐をするようにと。それから旦那様の隣の部屋に住むよう言われました」


 そう、私は出世した。

 キスされたあと、前振りもなく部署異動を命じられたのだ。

 下働きの平民が、貴人の近くに。異例の大出世である。


「まあああ! よかったわねえええ!」

「すぐに部屋の準備を! これはめでたい!」


 メイド長はぎゅーっと私を抱き締めてくれて、執事長は祭りのような盛り上がりで喜んでくれた。


 使用人部屋で少ない荷物をまとめていると、同僚たちから「おめでとう」と口々に声を掛けられた。既にメイド長から知らせが届いていたらしい。


「アンジュは前から旦那様のこと大好きだったものね」

「こんなこともあろうかとあの部屋はみんな念入りに掃除してたのよ」

「ありがとうございます」


 私の出世をみんな我が事のように祝ってくれて、本当に良い人たちばかりだ。


 二階の部屋に足を踏み入れる。荷物は衣類だけなのですぐに移動できた。


 今日から広い個人部屋。フフフ。


 たまに私も掃除担当になることがあるので勝手は分かる。なんと、この部屋には浴室があるのだ。お湯は汲んでこないといけないけど、湯船に浸かることができる。湯船といっても単にシャワーの受け皿みたいなもの。日本みたいな洗い場もない。

 いつか湯船として使ってみたい。けどしばらくはいつもの通りみんなと水浴びかな。


「来たか」

「?!」


 どこからともなくラファエル様の声。

 きょろきょろと辺りを見回すと、ラファエル様がなぜか私の部屋の中にいて、私の方へやってきた。

 近い。近いんですけど。


「驚かせたか。ここが俺の部屋と繋がっているのは知っているだろう?」

「あっ! そ、そうでした」


 繋がっているので、私はしばらくこの部屋もラファエル様の部屋の一部だと思っていたのだ。


「急だから何も用意していないのだが、なるべく早く仕立屋を召喚しよう」

「職人の方々をお呼びするのですね。どのような物をご所望ですか」

「そうだな。正装(フォーマル)のドレス……、アフタヌーンドレス、イブニングドレスの両方とも作っておこうか」

「かしこまりました。服飾職人をすぐに手配いたします」


 早速の仕事だ。

 ラファエル様が着る……わけじゃない、よね? どなたかにプレゼント? いや、詮索するのは無粋というもの。補佐としての初仕事を務めねば。


 こんな時のためにたくさん勉強したのだ。召喚状の書き方なら図書室に参考資料があったはず。書いたら執事長に添削してもらおう。ついでに御用達のお店の有無も確認だ。

 ダメなら自ら街に出向いて依頼するし。それくらいできるし。


「アンジュ」


 図書室に行こうとする私の腕をラファエル様が捕まえる。上体を無理矢理振り向かされると、そのまま彼の胸の中にぽすんと収まった。片手で肩を抱かれ、片手で頬に手を添えられて上を向かされると、ラファエル様の唇と合わさる。


 え、また?!

 どういう意味なの?!

 何も言わないし!

 補佐的立場になるとする慣例みたいなもんかね?!


「できそうか? 召喚が手間なら執事長にでもやらせればいい」

「……っ、い、いえっ、とんでもないですっ! お任せくださいっ!」


 ラファエル様は普通のご様子。お変わりなく愛想なく。

 私だけが焦っているので、男女の営み的な意味は一切ないのだろう。危ない危ない、冷静に接しなければ。


 とはいえイケメンからのキスなんて一生縁のないこと。美の神から口付けをいただけるとは大変な誉れである。役得だと思って受け入れておくべきだ。


 一礼して部屋を出て、いそいそと手紙をしたためた。初めてなのですごく時間がかかったけどなんとか書けた。執事長に報告と送付の手続きをお願いして作業完了だ。

 終わった頃には夕食の時間が迫っており、急いで旦那様の食事の支度。といっても料理人たちが作った料理を運ぶだけだけど。


 その前に執務室にいるラファエル様に、いつものように声を掛ける。


「失礼いたします。旦那様、夕食のご用意ができました。本日もこちらへお運びしますか」


 利き腕を痛めながらも、ラファエル様は仕事を怠らない勤勉な方だ。ここ一週間、仕事の合間に食事をするという生真面目さを見せつけられた。


「いや、今日はもう仕事は仕舞いにして、部屋に行こう」

「かしこまりました」


 怪我してるから無理しないで欲しいとずっとお願いしていたので、ようやく聞いてくれたと安堵する。

 部屋に食事を運んでソファテーブルにセッティングしていると、ラファエル様がやって来てソファに掛ける。

 準備が整い後ろに下がろうとしたところで、ラファエル様の腕に羽交い締めにされてバランスを崩し、彼の足の間にちょこんと座る形で一緒に席についてしまった。


「ももも申し訳ありませんっ!」

「俺の腕が心配だと言ったよな? 食べさせてくれないか?」


 あ、そういうこと。

 なんだびっくりした。何事かと思ったわ。食事介助ね。

 立ち上がろうとワタワタしたけれど、彼の言い分に納得し、了承した。どうりでなかなか立ち上がらせてくれなかったわけだ。


 まずは前菜ですね?

 皿とフォークを持つ。が、後ろを振り向いたところで無理のある姿勢だし、身長差もあって食べさせづらい。仕方がないので「失礼します」と断って体ごと向き合い、彼の片足を跨いで膝立ちになった。膝立ちになってもまだラファエル様の方が背が高いけれど。


「あの、私お邪魔じゃないです? 普通に立つ方が良いです?」

「いや、これで良い」

「はい、では、どうぞ……」


 少量の野菜にソースを付けてフォークに載せて差し出す。「あーん」なんていう日本語に相当する変な言葉は知らない。

 幾度か繰り返してサラダが半分になった辺りで、なぜか皿とフォークを取り上げられた。


「次は俺がやる」


 ラファエル様がフォークに野菜を載せると、私の口元に寄せてきた。


「ほら、口を開けろ」

「はぇ? あ、私は食べるですか?!」

「そうだ」

「これは旦那様の分! 私の食事、違うです!」

「問題ない。料理長には伝えてある、今日から二人分用意するようにとな」


 いつもより量多めだなぁとは気付いていたが、まさか私の分とは予想だにせず。ラファエル様付になると食事まで豪華になるのか? 福利厚生が半端ない!


「旦那様のお手は必要ありません。後ほど残りを食べますので、旦那様はお好きなだけ召し上がってください」

「だめだ。お互いに順番に食べる。これは譲れない」


 座るように促され、彼の片足を跨いだまま腰を下ろす。

 給餌されるがまま、口に入れて咀嚼。飲み込んだタイミングでまた給餌。


「次はスープにしようか」


 サラダの皿を置くと、続けざまにスープ皿とスプーンを器用に片手で持ってくる。


「あわわわ私が、私がしますので……!」

「早くしないと冷めてしまうぞ」


 再びラファエル様からの給餌が始まる。仕方なくスプーンを受け入れ、食事を続けた。

 パンは二つに分けて手で食べさせ合い、メインの肉は全部切り分けてから交互に口に運ぶ。

 たっぷり時間をかけて食事をしたおかげか、かなり満腹になった。料理も美味しかったし。


 ラファエル様はこの後も仕事があるらしく、私は私で片付けがある。それが終われば今日は退勤で良いと許可をもらったので、早々にテーブルを片付けて自室に戻った。


 普段ならこの時間にみんなと食事しているところだが、せっかく時間ができたので読書することにする。

 きっと勉強させるために早く業務を終わらせてくれたのだろう。

 良き上司じゃないか。期待に応えられるよう、早く仕事に慣れるよう、知識を身に付けねば。


 その前にいつも通り水浴びに向かう。使用人たちが使う一階の浴場だ。朝シャワー派の人が多いので、大体夜はいつも私の貸しきりになっている。

 このときばかりは贅沢気分。個室の浴室を使う必要すらなく特別感を味わえる。


 シャワーを浴びてから部屋に戻り、ベッドに入って本を読む。明かりは枕元の瀟洒なランプ。


 ん~、今の私、オシャレ。

 ベッドもふかふかだよ。


 うとうとしてたらいつの間にか朝になっていた。


 寝心地最高すぎじゃない?

 雇用主はセレブだし、待遇は良いし、福利厚生は充実してるし、申し分のない就業先である。一生就いていきたい。

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