3. 時の流れは加齢とともに早く
メイドの中で一番早起きなのは一番下っ端の私。
まず城中の窓を開けて換気をする。すると他のメイドたちがやってきて、一緒に掃除を始める。みんなで食事を取ったら、それぞれの仕事に取り掛かる。
今日の私の最初の仕事は、ラファエル様のお世話だ。
「失礼いたします」
コンコンとノックをするのが目覚まし代わり。お湯を張った洗面器とタオルをワゴンに載せて入室する。重いカーテンを開け、美麗な襞がつくように九十九折でまとめてからタッセルで留める。
振り向くとラファエル様が上半身を起こしていた。お目覚めになられたようだ。
「……お前、昨日の」
「旦那様、おはようございます。本日よりお怪我が直るまでの間、私がお世話することになりました。よろしくお願いします」
ペコリとお辞儀をする。
一介の使用人である私のことを覚えてくれていた。優しい主である。
「世話はいらん。普段も特に必要としていなかったはずだが」
「はい。ですが私のせいで利き腕を傷めてしまったようですので……」
「お前のせいではないし、ヒビが入っているだけでたいしたことはない」
「ヒビ! 骨折です! ダメです! 安静に!」
腕をついて起き上がろうとしたので慌てて止める。
「……お前、俺が怖くないのか?」
「怖い?」
思えばそんなことを聞く機会は多かった。
「旦那様は私共のような者でも雇ってくださる素晴らしい方、怖いけど」「旦那様はどんな魔物にも立ち向かって国民を守ってくださる勇敢な方、怖いけど」といった具合に。
日本の方言で「こわい」が「かたい」と同じ意味で使われることもあるので、方言の一種かと思っている。愛想がなく、あまり笑わないことを「こわい」と表現するのだろう。
異世界語の微妙なニュアンスにも大分慣れてきたと自負するぞ。
そして私にとっては「こわい」より、むしろそこが「クールでカッコいい」に該当する。だから、答えは決まっている。
「旦那様の怖いところは素敵です!」
「……まだ言葉に慣れていないのか……? 俺を恐ろしいと思っているのではないかと尋ねたのだが」
恐ろしい? それは確かに怖いと同じ意味合いだ。
いや待てよ。これは私のヒアリング力の問題かもしれない。やんごとないラファエル様を表す言葉は殊に勉強したが、その中で「恐ろしい」に近しい用語があったはずだ。
「はい! 恐れ多いです!」
「……いや、そうではなくて……。はぁ。まぁ良い、お前がそうしたいなら好きにしろ」
「はい! ありがとうございます!」
湯に浸したタオルで、洗顔のお手伝いをする。
美しい顔が間近に迫り、緊張と高揚で鼻血が出そうである。寝起きですら美しいとは何事だろうか。
「朝食はお部屋で召し上がりますか? ダイニングルームに移動されますか?」
「いつも通り部屋で食べる」
「かしこまりました。それでは、お食事お持ちいたします。旦那様はしばらく休養のご予定ですので、お着替えの必要はございません。そのままでお待ちください」
そんなこともあろうかと、料理長には既にお願いしてある。カトラリーもテーブルクロスも実はワゴンに積載済みで、準備に抜かりはない。あとはワゴン上のものを載せ替えれば良いだけだ。
一旦廊下に下がり、載っていた洗面器とタオルだけを抱えて階段を下りて洗濯室に置いてくる。調理場で食事を受け取ったらまた階段を上る。朝食はプレート二枚とパンの入ったカゴだけなので一往復で済んだ。今度は食事をワゴンに載せて、再びドアをノックして入室する。ソファがあるローテーブルにクロスをかけてから、てきぱきと食事を並べる。
「朝食のご用意ができましたのでこちらへどうぞ。あの、私に掴まってください」
「必要ない。俺は軽傷だぞ」
「ですが……! では、お食事のお手伝いをしますので!」
「必要ない。なんださっきから。何のつもりだ」
休みだと伝えたのにラファエル様は着替え終えているし、ちゃっちゃとテーブルについて食べ始めているし、まるで取り付く島がない。
「私がもたもたしていたせいでお怪我されたので……、せめて何か助けになればと……」
「魔物を目の前にして動けなくなるのは仕方がなかろう、お前はまだ子どもなんだから」
「子ども?! 私子どもです?!」
確かにこの世界で私は小さい方だけども!
日本では選挙権を持つ大人なんですけども?!
いや待てよ。異世界では平均寿命が全く異なるということもあり得る。
そもそも世界が違うのだから、人間とはいえ別種と考えた方が確実だろう。エルフやドラゴンが長命種というのは地球ですら常識の域。別の種であるならば、さもありなんだ。たかが20歳程度では、彼らにとっては子どもにすぎないのだろう。
「わかりました。でも、お休み予定はちゃんとお休みしてください。旦那様、体大事に」
「……ああ」
「お食事が終わるまで私はここに待機します」
「いや、用があれば呼ぶから下がってくれ」
「かしこまりました」
結局ラファエル様は私の助けを必要としなかった。でもこれからもお世話は継続しようと決めていた。
自分にできることなら、どんな小さなことでも何でもしたい。
それに、不思議なことに、ラファエル様には侍従がいない。だからこそ私みたいな下っ端でもお側につくことが許された。やっぱり秘書的な存在がいないのは変なのだ。
今日はラファエル様の予定を執事長から聞いてお伝えしたのだが、そういうの執事長も助かるって言っていた。やっぱり秘書的な存在はあってしかるべきなのだ。
そう自分を鼓舞して、愛想のないラファエル様に仕える日々を送る。
ラファエル様は毎日美しくて、毎日麗しくて、何ら苦はなかった。
推しがいる生活は潤うと世間では謳われていたが、これが推しという存在。非常に尽くしたい。
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「今日もアンジュは旦那様付きなの?」
「もう一週間よ。よく続くわねぇ」
「はい。旦那様大好きなので。旦那様尊いので。旦那様格好良いので」
好きなものを好きと明言することは良いことだ。今の私は前向きに生きているのである。
「そんなこと言うのアンジュだけだって」
「なぜです? 旦那様は優しいです」
思わず洗濯する手を止めて聞き返してしまった。いけないいけない、手を動かしながら話さないとね。
洗濯は午前中の早い時間にする仕事であり、掃除と違ってみんなで集まって行う。その日の担当割りを確認するのにちょうど良いので、打合せという名の井戸端会議を洗濯しながら行うのが日課である。
「うん。とても出来た方なんだけどね。やっぱりほら、怖いじゃない?」
「そーそー。みんな分かってはいるんだけど、怖くてお近付きになれないのよね」
「旦那様には感謝してるし、ずっとここで働きたいけど、怖いものは怖い」
ははあ。恐れ多すぎて近寄れない気持ち、わかりみが深い。
「はー。もしアンジュが大人だったら旦那様にも希望だったかもねー」
「大人? なれますか? あと何年ですか?」
この世界の寿命でも、もしかしたら、私が生きてる間に大人認定される可能性もある。一体平均寿命はいかほどであろうか。
「んー、アンジュは今何歳なの?」
「今は正確には分からないです。旦那様と初めて会った森のとき17歳(10進数だと19歳)でした」
みんな洗濯の手が止まった。
「「「17歳?!」」」
一斉に私をまじまじと見る。
それから驚愕の表情を浮かべて、全員じりじりと私に迫ってきた。
「17年間生きたってことよ?! わかってる?!」
「え、あ、はい。あと、0歳も数えて17歳です……」
「合ってるじゃない! どういうこと?!」
濡れたままの手で肩を掴まれ揺さぶられる。どういうこととは、どういうことなのだろう。
「あー! どうりで計算とか出来たわけね! なんか勉強の仕方も知ってる感じだったし!」
「仕事覚えても子どもだから一人で街へは行かせられないって気を使ってたのよ?!」
「そういえば家事も覚えが良いと思ってたわ! さては経験者ね?!」
「えぇ……、そうですが、何です? 問題です?」
「「「大問題よ!」」」
もはや誰も洗濯していない事態になった。同僚たちは「こうしちゃいられない」とメイド長のところへ行ったり執事長のところへ行ったり、洗濯どころではなくなってしまった。
私はトラブルを抱えてしまったようだ。
嫌な予感が脳裏を過る。
もし、解雇、なんてことになったら……。
ラファエル様の元で働けることは、至上の喜びであり、唯一の私の拠り所である。
たったひとつの、この世界で生きていく術。それを失ったら、今度こそ私は死んでしまう。もはや推し活どころではない。