2. 大きなきっかけは小さな出来事
読んでいただきありがとうございます。
ゆっくり話せばなかなかネイティブっぽくなってきた頃、お屋敷の外に出る機会に恵まれるようになった。
食料や雑貨の買い付けの手伝いである。
この世界にはPCも電話もないため、メールやFAXでの受発注はできない。実際に足を運んだり運ばせたりして物を発注するのだ。
つまるところ私は発注業務の助手ができるほど出世した! まだ助手だから将来的に出世する可能性が見えただけだけど!
そうして街でひと仕事終えた時のこと。ひときわ豪奢な馬車が停まるところを見かけた。馬車から降りてきたのは、これまた豪奢なドレスに身を包んだ若い女性。
しかしドレスの上に乗っている顔は、私に負けず劣らずの不出来な具合。私はカッパだが、彼女はカエルのようであった。
失礼ながらこの世界にも私のような外見の者が少なからずいたのだ。ホント我ながら失礼だけど。
そんな風に軽く驚いて彼女を見ていた。
でも明らかに私とは異なる様相だった。
動作の一つ一つが優雅で上品。余裕のある態度で周囲の者に接しているので、自信に満ち溢れているように見える。笑顔も爽やかで朗らかで、彼女が笑いかけただけで場が明るくなる。
彼女から目が離せなかった。
ラファエル様とは違うが、気高く美しい人だと感じた。
「まぁ! 聖女様よ! いつ見ても魅力的な方よねぇ」
「……はい、本当に……」
「アンジュは初めてお目にかかるのね。聖女様は高貴なお立場に胡座をかかない、とっても清廉な方なの。こうして辺境へも時々足を運んで、聖魔法で人々のために活動をなさっているのよ」
そして気付いてしまったのだ。
私が不細工なのは外見だけではない。そもそも内面が不細工なのだと。心根が醜いのだという事実に。
身なりを整え、清潔感のある装いをしている彼女は、外見にも可能な限りの気の使いようが見て取れる。果たして私はそのような意識を持っていただろうか。
不細工だから仕方ない、何したって不細工だからと言い訳ばかりして、いつも暗い服を着て、影を薄くして、目立たぬように過ごしてきた。いつの間にか笑顔は失われ、陰気で辛気臭いだけの人間になっていた。
困っている人を見かけても下を向くばかりで何もしてこなかった。所作は雑で、丁寧さの欠片もなく、他者に対する思いやりも欠けていた。誰かのために行動を起こすなんてあり得なかった。
私は、醜い。
とても、醜い。
「……私も、聖女様みたいな素敵な女性になりたい……」
あんな風に笑えたら。
今の私なら、変われるだろうか。
いいえ、変わりたい。この世界で。
心だけでも綺麗になりたい! 胸を張って真っ直ぐ生きていきたいよ!
「なれるわよ、アンジュなら」
「えっ?!」
一緒にいた同僚から、まるで当たり前のように、笑顔で返答が来た。
「アンジュは可愛いもの。きっとなれるわ」
初めて、他人から可愛いと言われた。
今までの私なら、猜疑心しか湧かなかっただろう。
でもそんな穿った見方をしてはもう駄目だ。謙虚さと素直さをもっと持とう。心から笑えるように、誰かに笑顔を届けられるように。
「ありがとうございます」
慣れない微笑を浮かべた私は少し滑稽だったかもしれないけれど、この日をきっかけに笑顔を心掛けて他人に接するようになった。
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「アンジュ最近顔が柔らかくなったわね」
「顔が、やわらかいです? どんな意味です?」
「よく笑うようになったってことよ!」
「えへへ。嬉しいです。皆さんのおかげです」
他人からの称賛に素直に喜ぶようになった。褒められたことを自分で認めれば、心の糧になることを知った。これが自己肯定感というものだろうか。
一緒に洗濯しながら、同僚たちと井戸端会議。一緒に掃除しながら、世間話に花を咲かせる。
こんな風に人の輪に入って語らう日が来るなんて。人との会話がこんなにも楽しいなんて、それが日常になるなんて知らなかった。
「そういえばもう一年経ったのよねー」
「いち、ねん?」
「そっか! アンジュが来てからとっくに一年過ぎてたわ」
「『ねん』は年。360日で一年と数える単位のことよ」
なるほど、一年間か。
この世界には季節がないから気にしてなかったけど、期間としては地球とあんまり変わらない。お金の単位も時計も12進数の世界なので、360も納得の日数である。
ちなみに12進数の計算もちゃんと勉強してできるようになった。でも発注業務はお手伝いしかさせてもらっていない。私はまだ半人前扱い。コミュ力の無さが致命的なのだろう。
今日は布の買い付けを行うために、朝のひと仕事を終えたら街へとお出掛け。
普段使う寝具や衣服などは自分たちで修繕するために、定期的にそれなりの量の布が必要となる。ラファエル様みたいに、職人によるオーダーメイドのベッドカバーやらカーテンやらは使用人の誰も持っていない。みんな既製品を自分たちで直し直し使い続けている。
今回の買い付けも無事に終え、同僚たちと布を抱えて帰路についた時、事件は起こった。
巨大な影が街の上を飛んでいる。かつて見た恐竜みたいな奴とは違うが、翼を持つ怪獣がそこにはいた。博物館で見たプテラノドンより大きい。
それは、魔物。
死を覚悟した森での出来事が脳裏に浮かぶ。生を諦めた時の恐ろしい記憶が蘇る。しかも、あの時の魔物の倍以上ある大きさ。
恐怖で全身が震え出した。
突如現れた脅威に街中が恐慌状態に陥る。逃げ惑う人々の姿がパニック映画のよう。同僚たちも避難体制だ。
「何してるのアンジュ! こっちよ! 早く建物に入りなさい!」
「うあ、うあああ……」
まともに動けない。まともに喋れない。恐怖が体を支配していて頭が働かない。
私、あの時のこと、トラウマになってたんだ。
目まぐるしい毎日のおかげで記憶の彼方に追いやっていたけど、死の恐怖が心の隅にしつこくこびりついていたことを、今更ながらに自覚した。
魔物は生息数が多いわけではない。魔物が街の近辺に現れれば国の兵士たちがすぐさま討伐するルールになっている。ラファエル様がそういうお仕事だからよく知っている。
だが時おり情報が遅れて人の住まう地域まで侵入を許してしまう場合がある。今がたまたまその場合だ。
魔物は人を食う。
食うか食われるかの戦い。
動けない私を食おうとする魔物は、生存戦略を正しく行使している。
「アンジュ! こっちに来なさい!!」
「早く! アンジューー!!」
立ち止まってないで早く逃げて。あなたたちまで食べられちゃう。
そう言いたいのに声が出ない。
魔物は空から地上へと移動を開始した。
私、殺される。
ガタガタと震えが大きくなる。
怖い。怖い怖い。
目の前が暗くなり、体が地面を転がった。
「無事か!」
「っ……!」
痛くない。
地面に転がったのはラファエル様で、私は彼の体をクッションにして転がっただけだった。魔物が先程自分がいた場所にいたので、すんでのところで助けられたことになる。
再び魔物を確認したところで、こちらをターゲットに据えていることが本能的に理解できた。
転がりながらもすかさずラファエル様が剣を振り、気付かぬ間に迫っていた魔物の翼を片手で弾く。弾きながら立ち上がり、私を魔物から隠すような形で応戦する。
「何をしている! 早く逃げろ!」
魔物は続けて嘴をこちらへ寄越した。見えないくらい素早く連続して何度も攻撃する。その度に剣身で嘴の方向をずらし、火花が散る。
私を庇うことを優先した戦い方であることは明白だった。
いけない。
足手まといだ。
ごめんなさい、ラファエル様。助けられてばかりで、私、役立たずで。
もう、ラファエル様に迷惑かけられない!
震える足を押さえつけて立ち上がる。
せめて逃げろや私! 思いっきり魔法打ち込ませてやれや! ラファエル様はこんなもんじゃないんだよ! これじゃ訓練の方が激しいじゃん!
足出せ前に! 走れ!!
重い足を引き摺るように一歩前へ出す。
震えてんじゃねえ! ラファエル様の方が大変だろ!
もう一歩、もう一歩。ラファエル様から離れる。
今魔物を引き付けてくれているはずだ。絶対守ってくれる。あの時みたいに。だから大丈夫。
走る! 走って!
這々の体で建物の中へ入る。同僚が私の名をずっと呼んでてくれたからここに逃げてこられた。
「アンジュ……! 大丈夫?! 怪我は?!」
「平気!」
そして足跡を振り返り、大きく息を吸う。
「旦那様ーーーー!! 私逃げたです!!」
戦いの最中だから聞こえないかもしれないけれど、いちおう叫んで知らせてみた。
私の声が聞こえたのか、ラファエル様は剣に魔法を纏わせて魔物に閃光を浴びせ始める。魔物から逸れた光の筋が空気を震わせ、衝撃が周囲にまで伝わってきた。
大きく後ろに跳ねたラファエル様は、着地と同時に前のめりで魔物へと向かう。
私の目には、魔物の体をすり抜けたように見えるが、一筋の光が上から下にきらめいていた。魔物の体が割れているのである。
視界が滲み始めて、頬に雫が垂れる。
今頃泣いたのかよ私。鈍いな。
「やった! 旦那様ったら一人でやっつけちゃったわよ! 見た?! アンジュ!」
「はい! とても格好良いです! 私たちの旦那様、世界一です!」
遅れてやってきた騎士団が魔物の死体を検分し、ラファエル様は無秩序になった街の整理を始めた。
「これから後始末で大変みたいね。私たちはお邸に帰りましょう」
同僚から指示されて、後ろ髪を引かれながらも帰ることに決まった。ラファエル様がこちらを向いたので、私たちは黙礼をして合図し、帰路についた。
建物が壊れたりもしてたので、ラファエル様のお帰りは遅くなるだろうと踏んでいたが、思いの外お早いご帰宅だった。
腕に包帯が巻かれており、怪我を負ったことは一目瞭然。
「「「お帰りなさいませ、旦那様」」」
使用人たちが並んで迎えると、ラファエル様は私の顔を見て安堵したような表情を浮かべた。
私はそれどころではない。
「旦那様、お怪我を……! ……大変、申し訳、ありませんでした!」
狼狽しながらも頭を下げる。
「お前たちが無事だったなら何よりだ。これが俺の仕事だから気にするな」
気にする。
めっちゃ気にするよ。だって利き腕だよ。私のせいかもしれないのに。
ラファエル様はやっぱりさっさと二階の自室へと去っていく。
すっごく優しいのにいつも愛想がない。仕事柄、気を使わせないようにしてるのかもしれない。我が主は優しすぎる。
「メイド長! 私に旦那様のお世話をさせてください! 旦那様の具合が良くなるまでです! 私のせいかもしれないです! どうか、どうかお願いします!」
思いが溢れて懇願の極み。
哀訴嘆願が効いたのか、晴れて私はラファエル様のお世話係に任命された。期間限定だけど。