離婚することにした令嬢、夫に「養育費はたっぷり支払ってね」と要求し、一人娘はため息をつく
伯爵令嬢シルフィードが伯爵子息エリオット・レヴァリスに嫁ぎ、シルフィード・レヴァリスになった当初、二人は熱々であった。貴族界でも有数のおしどり夫婦になると皆から祝福された。
程なくして一人娘にも恵まれる。
しかし、ずっと順風満帆な夫婦などあり得ない。
夕食時の食堂で、夫エリオットが冷たく言い放つ。
「シルフィ、君とはここまでだな」
「そうね」
シルフィードもそっけない口調で返す。
二人の会話を、母によく似て可愛らしい少女となったミリア・レヴァリスは食事をしながら黙って聞いていた。
「私たち、これ以上一緒にいても幸せになれないわ」
「その通りだ」
典型的な倦怠期といった風情の冷え切った会話は続く。
やがて――
「別れましょう、エリオット」
「ああ、そうするしかないな」
行きつく先は「離婚」という名の結末だった。
そうと決まると、エリオットは執事に命じる。
「おーい、バーグ! 離婚届を用意しろ!」
バーグは口髭が特徴的なベテラン執事であり、すぐさま離婚届の書類を持ってきた。
「お持ちしました」
「さすがバーグ、仕事が早いな」
「それだけが取り柄ですゆえ」
この王国では離婚届は夫婦二人がそれぞれ決められた箇所に署名と拇印をし、それを役所に持っていくことで成立する。
「じゃあ、まずお前から書けよ」
「分かったわ」
シルフィードは一切の迷いなく、署名と拇印を行った。
これにはエリオットも顔を引きつらせる。
「おいおい、もうちょっとためらいがあってもいいんじゃないか」
「あら、私に未練があるの?」
「バカいえ」
エリオットも同じようにためらいなく署名と拇印をする。
「これを役所に持っていけば離婚成立なわけだが、とりあえずこれはお前が預かっておけ」
エリオットはバーグに離婚届を手渡す。
「承知しました」とバーグは懐に入れる。
エリオットは娘を見つめる。
「さて、残る問題はミリアのことだが……」
「ミリアは私が育てます。淑女として教育するのは私しかできませんし」
「ふん、いいだろう」
「それとこの家もいただくわ。ミリアも慣れ親しんだこの家を離れたくないでしょうから」
「それもいいだろう。ミリアのためだからな」
「ああそれと……養育費はたっぷり支払ってね」
「娘に、家に、養育費まで要求するとは……がめついことだ。いいだろう。最高の養育費を支払ってやるよ」
「楽しみにしてるわ」
捨て台詞を吐いてエリオットは立ち去り、バーグもそれも付き添う。
一連の流れを黙って見ていたミリアは、深くため息をついた。
夫と離別したばかりの母に声をかける。
「ねえお母様、どうしてこんなことをするの?」
「夫婦というのはね、とても難しいの。これは仕方ないことなのよ」
シルフィードは悲しげに答えた。
***
次の日、シルフィードとミリアの母子は邸宅で穏やかな時を過ごしていた。
まるでエリオットという男など最初からいなかったかのように。
昼過ぎ、そんな二人の元に執事バーグが訪れる。
バーグはこう告げる。
「奥様、旦那様より養育費をお届けに参りました」
「あら、ご苦労様」
バーグは台車に乗せて、大きな箱を運んできた。箱の周囲はプレゼントのように赤いリボンで包まれている。
「この中に養育費が入っているの?」
「さようでございます。旦那様曰く、『最高の養育費を用意した』と」
「これほどの大きさなら、きっと金塊や宝石が山ほど入ってるに違いないわね」
箱の中身を想像し、顔を紅潮させるシルフィード。
ミリアは傍で黙って見ている。
「開けてみて下さい」
「分かったわ」
シルフィードは胸を高鳴らせながらリボンをほどく。
「ああ……」と吐息を漏らす。
リボンを外し終わると、今度は蓋を開ける。いよいよ養育費とのご対面となる。
中から出てきたのは――
「やぁ」
家を出て行ったはずのエリオットだった。
目を丸くするシルフィード。
「私が最高の養育費では……ご不満かな?」
歯を光らせるような笑顔を浮かべ、箱の中で貴族の一礼をこなす。
そんな父を見て、ミリアはため息をつく。
「いいえ……最高の養育費だわ!」
目を輝かせ、温かな笑顔を浮かべるシルフィード。
一方ミリアは冷めた表情をしている。
「あなたっ!」
「シルフィ!」
抱きしめ合う二人。まるで数十年ぶりの再会の如く目に涙を浮かべている。
ミリアはあくびをして、目に涙を浮かべている。
「バーグ!」
エリオットがバーグを呼ぶ。
「昨日の離婚届はまだ持っているな?」
「もちろんです」
「それを寄こせ」
「はい」
あとは役所に届けるだけという離婚届を、一体どうするつもりなのか。
「こんなものは……こうだ!」
エリオットはそれを真っ二つに破った。
「私にもやらせて!」
「いいとも! 夫婦の共同作業だ!」
二人で息ピッタリに離婚届を破る様子を、ミリアは呆れ返った様子で眺めていた。
破り捨てられた紙は、バーグがすぐさまホウキとチリトリで片付ける。
ミリアはバーグに尋ねる。
「ねえ、バーグ」
「なんでしょう、お嬢様」
「どうしてお父様とお母様は、毎年のようにこの茶番をやるの?」
ミリアの言う通り、夫婦は毎年一回必ずこの離婚騒動を行うのだ。流れも毎回一緒。いわば定例行事である。
バーグは答える。
「理由は『たまに離婚ごっこをしないと愛が高まりすぎて危険』『あえて離婚の危機を経験することで愛を強固なものにする』などとおっしゃっていましたな」
あまりにも理由がバカらしいので、ミリアは頭を抱える。執事とはいえ、こんな茶番に付き合ってくれるバーグに申し訳なさすら感じる。
「バーグ、いつもいつもあんな二人に仕えてくれてありがとうね」
「いえいえ、私も楽しんでおりますゆえ」
いつの間にか社交ダンスを始めている父と母を見て、ミリアはため息をついた。
おわり
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