第7話
中年の兵士は白い歯を見せて笑った。捲りあがった袖から出ている腕は筋肉質で、山猫部隊といわれる兵士の中では、ベテランの部類に入るだろうか。
「銃を持っているが、まだ子供だ。日本は、もう大人の兵士がいないんじゃねえか」
「殺す? 命令どおり捕まえる?」
若い兵士がガムを左頬に寄せて聞く。
中年の兵士はヘルメットの中に手をいれて頭を掻いた。
「こんな子供を殺してもな、手柄にならんからなぁ。祖国に帰ってから、教会で懺悔するのも面倒だ」
会話は、アメリカの英語。多少だが何を話しているかくらいは清四郎も分かる。清四郎は二人のアメリカ兵を見ながら、両側にあった銃と無線機を掴んで、突然走り出した。
「しまった。逃げやがった」
中年の兵士が舌打ちをして清四郎を追いかける。若いアメリカ兵もあとに続いて追うが、中年のアメリカ兵が先に息切れをして足が遅くなり、前に出た若いアメリカ兵が清四郎のあとを追った。
「待て! 逃げるな! 殺しはない」
熱帯植物が覆う暗闇に響く英語。
もちろん清四郎に聞こえていたが、今の清四郎は逃げ切って、またアメリカ兵を殺す事しか考えていない。
日本人特有の小柄な体型は、生い茂る熱帯植物の間をぬって逃げるのに適している。
清四郎はアンガウル島に生息する野生動物のように軽快に走って、追って来るアメリカ兵を引き離した。走りながら涙を流す。今も日本劣勢が信じられないからだ。
「どうして。どうして日本が負けるのか? 誰か教えてくれ」
泣きながら走っていた清四郎は、涙で前が見えなくなり、熱帯植物の大きな葉が顔に当たった事もあって、脚が縺れて転倒した。地面に転がる清四郎。
何回か転がって見えた先に無線機が落ちている。そして、後ろには銃が落ちている。
清四郎は起きて立ち上がり後方ににある銃まで走ろうとした。だが、追いかけてくる若いアメリカ兵の姿に気付いた。
銃を拾いに行けば追いつかれる。
清四郎は身を翻してまた走り出した。途中にある無線機を拾い更に走った。無我夢中で走った。もう涙は出てこない。
走り続けた清四郎の心は、静かに日本劣勢の事実を受け入れていた。
後方を確認する。もうアメリカ兵は追いかけてこない。どうやらうまく逃げ切ったようだ。
広くないアンガウル島。数ヶ月もの間、戦いで走り回った清四郎の頭には、アンガウル島の地図が自然と入っている。
この辺りには、待ち伏せ攻撃の時に使った洞窟があるはず。
暗闇の中を見渡せば、見覚えのある熱帯雨林の並びがある。そう。木々を目印に歩けば洞窟の入り口があるはず。
小走りで移動する清四郎の記憶どおりに、洞窟は夜の暗闇より暗い口を開けていた。
清四郎は洞窟に入った。壁を見ると火炎放射で焼いた跡がある。足に軟らかい感触を覚えて下を見ると、日本兵の死体があった。火炎放射で焼かれているため肌は炭化し肉組織が縮み手足の関節が曲がった状態で倒れている。暗くてよく見えないが、死体は洞窟の奥まで散乱しているに違いない。
次に腐敗臭が鼻から入り喉の奥を強張らせた。普通の人なら既に吐いているだろう。だが、清四郎はもう慣れてしまっていた。吐き気も無く、涙も出てこない。
悲しむ前にする事がある。死体の装備を見て回り、食料や使えるものを集めなければならない。
しかし、アメリカ兵が奪取したようで、全ての死体は何も持っていなかった。
だから、多分もう、アメリカ兵はここには来ない。そう予想して、清四郎は洞窟の奥に身を潜めた。