第3話
清四郎は、傍らにあるリュックから握りこぶしくらいに膨らんだ巾着を取り出した。
巾着の中には、もしもの時にと母が用意した干し米が入っていた。
きつく結ばれた巾着の紐を解いて中にある干し米を見る。どんなに腹が空いても、飢えで仲間の兵士が倒れても、誰にも知らせなかった干し米。
清四郎は、これを食べるのは今しかないと思い、硬い干し米を掴んで口に含んだ。
本来なら水である程度ふやかしてから食べるものである。
それをふやかさずに口に入れてしまったものだから、口内の内膜に干し米が貼り付いて食べにくい。清四郎は、水筒の蓋を開けると水を口に含み、薬を飲む要領で干し米を喉の奥に流し込んだ。飲み込みながら周囲にいる年上の兵士を見る。
日本からの物資が途絶え、餓死者が出ている時に、自分だけ食べているのが見つかったら、残っている干し米は取り上げられ、年上の兵士から袋叩きにされるからだ。
清四郎は見つからないように背を向けて残りの干し米を全部口に入れた。次に水筒の水を口に含む。また同じ要領で口の中にあるものを全部飲み込む。もう一口だけ水を飲もうとした時に、清四郎は名前を呼ばれた。
「村上二等兵。なぜ皆に背を向けている?」
清四郎の名前を呼んだ者は、佐山軍曹だった。背の高い佐山は、アンガウル島に来てから見る見るうちに痩せ細り、今ではツクシ軍曹とあだ名されていた。面倒見のいい佐山は、年下の兵士の兄的存在だった。
その佐山の声に驚いて、清四郎は水筒を地面に落としてしまったのだ。
水筒から水がこぼれ出している。
佐山は素早く水筒を拾うと、水筒口についた砂を払ってから蓋を閉めた。
「村上二等兵。もう一度聞く。なぜ皆に背を向けている?」
清四郎は、その場で立ち上がり背筋を伸ばした。
「先に亡くなっている父に、今夜の戦いの勝利を祈っておりました」
腕を下ろし、手を広げてからズボンの布地に触れて、両サイドにある縫い目に沿って指を滑らせて、指の爪を地面に向けた。嘘はついていない。清四郎は自分にそう言い聞かせた。
佐山は回りこんで清四郎の顔を見た。
清四郎は、軍曹を直接見ては失礼になると思い、視線を下げた。これは目上に対しての昔の礼儀である。
佐山は、清四郎の胸辺りに拾った水筒を差し出した。
「勝利の祈りは、恥ずかしい事ではない。次からは堂々とやれ」
佐山は受け取ろうとしない清四郎の手を握って水筒を持たせた。
その時、清四郎は久し振りに佐山の顔を見た。
佐山は二十一歳。既に妻子がいる。守るべきものがある佐山に迷いは無く、佐山は清四郎と目が合うと、無言で頷いた。
清四郎は、佐山の表情を見て硬直した。それからすぐに目頭が熱くなった。立ち去る佐山の後姿を見ながら清四郎は軍服の袖で涙を拭った。
佐山は気付いていたのだ。清四郎が隠れて干し米を食べていたのを。そして食べ終わるのを待っていてくれたのだ。空腹なのを我慢して。
清四郎は、佐山の後姿に、十歳の時に別れた父の背中を見た気がして、天国の父にまた祈った。
「佐山軍曹の家族がいる日本を、どうかお守り下さい」
と。