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第14話

 平成のアンガウル島。

 波の音しか聞こえない浜辺に老人が一人で砂浜に腰を下ろしていた。

 陽はまだ高く、十一月になってもアンガウルの蒸し暑さは変らない。

 その老人の名は、村上清四郎。平成の今は、九十を過ぎた年齢になっている。頭髪は禿げ上がり、多少残っている毛は白髪が殆ど。

 第二次世界大戦の一九四四年十月にアメリカ軍に捕らえられ、捕虜として戦艦の独房に閉じ込められた清四郎は、十月末に十六歳の誕生日を迎えた。清四郎は、独房内で処刑の順番待ちだろうと覚悟を決めていたが、アメリカ兵士が清四郎を処刑する事はなかった。清四郎は独房期間を過ぎてから解放されたのだ。翌年の八月に終戦となり日本へ帰れるチャンスが訪れたが、その時の清四郎は首を縦に振る事はなかった。

 清四郎は、アメリカの学校に通う事になり、通いながら終戦後も現存する日本兵の救出活動にあたった。

 戦後直後の日本人は、アメリカ人と一緒にいる清四郎を見ると、「裏切り者。日本の恥」と罵った。

 大学を卒業した清四郎は、何を思ったのか神父の道に進んだ。その数年後にアンガウル島に戻ったのである。

 平成の今も砂浜に腰を下ろしている清四郎は頭が禿げた白髪の神父の姿をしていた。手には戦後に手に入れた旧アメリカ軍の無線機がある。無線機のアンテナは伸ばしてあり、小さい音だが、現在は砂嵐のザーという音が聞こえるのみとなっている。戦争が終わり平成になった今は、旧アメリカ軍の無線機は何も受信しないのだ。

 普通ならば。

 清四郎は、砂嵐の音がし続けている無線機の通話ボタンを押した。マイクに向って話し出したのである。

「ついに僕にも迎えがたきたよ。息子や娘は、早く栃木に帰って来いと言って、再三手紙をよこしてくる。アンガウルにも日本があるんだが、私の子供たちは、納得してくれないようだ」

 清四郎が通話ボタンから指を離した時、無線機から聞こえていた砂嵐の音がやんだ。

『清四郎。家族は大切だと思う。私は卵から生まれたので、家族というものを知らなかったが、君たち地球の影響を受けて、今は家族の大切さが分かるようになった。そろそろ、故郷に帰ったらどうだろうか?』

 無線機から聞こえてきた低音の中年男性の声を聞いて、清四郎は小さく笑った。笑いは小さかったが、顔を覆ったシワの数はかなり多い。

「君も、帰れと言うのか。アンガウルには、日本人が建設した神社仏閣がある。戦争で死んでいった多くの日本兵の墓もある。そして僕は、神父として、寺の住職として、神社の神主として、みんなを弔っていかなければと思っている。今も。命ある限り。アンガウルには、まだ日本があるのだから。それに、アンガウルでないと君と話せない。君と話ができないのは淋しい限りだ。なぜ、アンガウルにいる時だけ、君との会話が可能なのだろう」

『それは時波の影響によるものだからだ。その影響は、私のせいなのかも知れないが、今の私でも解明できずにいて、もどかしい。一時期、清四郎と会話ができなかったが、またそのサイクルが近づいている。清四郎がアンガウルに残っても、私との会話は不可能になるだろう。だから、日本に戻ったらどうかね?』

「そうか。また君と話せなくなるのか。もっといろいろと君から学びたい事があったが」

 無線機で話していた清四郎は、突然肩を叩かれてハッとした。見ると、五歳くらいの島の子供がカゴに入った果物を持って清四郎に差し出していた。

「神父様。ママが渡してって。この前のお礼だって」

「ありがとう。ママにも、そう伝えて下さい」

「うん」

 清四郎が子供の後ろを見ると、車道に母親が立って清四郎たちを見ていた。清四郎と目が合ったと感じたのか、母親は清四郎に手を振った。

 清四郎も手を振り返す。

「ママが待っている。そろそろ行きなさい」

「うん。またね。神父様」

「ああ」

 清四郎は子供が離れてから、無線機を耳に当てた。もう砂嵐の音しかしない。通話ボタンを押して話しかけたが、返事もなかった。

「僕の家族に気をつかって、ワザと返事をしないのか。通話不可能なサイクルに入ったのか。要するに、日本へ帰れという事なんだね」

 清四郎は、相手に届いているか分からなかったが、通話ボタンを押してもう一度話しかけた。

「僕は寿命がきてしまった。今年か、来年か。いつまで生きれるのか。進行は遅いが、内臓に癌があるらしい。生きているうちに、君に会いたかった。君が今も使っているコンピューターに記録されている砂浜。君が見ていたという、君の故郷の砂浜を見てみたかったよ。クラム」

 清四郎は言ってから無線機を砂浜に置いた。

 島の子供は、母親と手を繋いで一緒に歩いていた。振り返っては、無線機を持っている清四郎を見たりしていた。

「神父様が無線機を置いたよ。お話が終わったのかな?」

「きっと話が終わったのよ。島にいらっしゃった時から、変わり者だったけど。神父で住職で神主だと聞いた時は、変人だと思って、みんな怖がったものよ」

「神父様は、善い人だよね」

「ええ。とっても善い人。そして不思議な人。癌があって、もう末期で、体のあちこちに転移しているそうだけど、歩いて浜辺にいらっしゃる。未だに歩けるのは、天から恵を受けている証拠ね」

「凄いね。神父様」

「ええ」

 話しながら親子は車道の彼方へと消えていった。

 清四郎は、ずっと砂浜に座っていた。陽は今も高い位置にあって蒸し暑い。

 清四郎の傍らには、スイッチが切られた旧アメリカ軍の無線機が置かれていた。清四郎は、胸のポケットから手帳を取り出した。間には写真が挟んである。

「日本に帰ってからの話し相手は、孫になるのだろうか」

 写真には、四つん這いになっている乳児が写っていた。

「華雅里。平成になって、君に会う事になろうとは、全く予想してなかったよ。終戦後、同じ昭和時代に生きていると思って、どれほど君を探した事か。クラムも意地悪だ。教えてくれればよかったのに」

 清四郎は、写真が挟んである手帳を閉じて、胸ポケットに手帳を入れた。禿げて天辺に頭髪が無いのに、両手で髪を掻きあげるしぐさをしてから、立ち上がった。ゆっくりと砂浜を歩く。

 パラオ環礁の外にあり、激しい波が打ち寄せるアンガウル島。近寄りがたい島には、今も島民が住み、隠れバカンスの地にしている富豪がいて、たまに訪れる日本の観光客と戦争の遺族がいる。

 今後は誰がアンガウル島の戦没者の墓の管理をしていくのだろうか。

 汚染されてない空気は、アンガウル島の青空を高くしている。

 時折吹く風は、砂浜にある清四郎の座っていた跡と立ち去った足跡に、砂を流し込んでいた。

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