第九話 アーシャ、イカ釣り漁の手伝いをする(3)
そんな風にして一度港に戻ると、どうやら王子様の船は最速で港に戻った様子で、いろんな人たちが集まっていた。
「聞いたか、王子様が船から落ちたらしいぞ!」
声をかけてきたのは、今日はどうしても船に乗れない事情があった漁師さんだ。
「よくまあそんな早く分かったな」
船長がおどろいている。
だがおいらもびっくりしていた。落ちたの、王子様だったんか……
王子様だなんて欠片も気付かなかった。
まあ、暗闇みたいな中だったから、顔なんてまじまじ見ないし、衣装だってそんなじろじろ見ないから、分からないものだと主張したいっぺ。
だが港にいた漁師さんが続ける。
「だって一晩中船の上で飲めや歌えやの大騒ぎをするはずの大型船が、一目散に港に戻ってきたとなりゃ、誰だって緊急事態だって事くらいわかるだろ?」
「そりゃそうだっぺな」
「で、そんな慌てふためくって事は、今日の主役の王子様になんかあったってわけだ! 急いで戻ってきたって事は大体、王子様が船から落ちたとかそんなものだって想像もつく」
ついでに、と漁師さんが続ける。
「兵士たちが慌てた声で、王子様が落ちたとか騒いでりゃもう確実だろ?」
「秘密になりようがないっぺなあ」
兵士さんが喋ったなら間違いなく秘密にならないだろう。そりゃあこのあたり、港の近所の人たちは、船が戻ってきたらなんだなんだって騒ぐ。
で、港に向えば兵士さんたちが、王子様が落ちたって喋ってれば、秘密にしようがない。
誰だってわかる話だ。
「でも運がよかったと思うぞ。アーシャが一目散に船から飛び込んで救助したんだ」
船に乗っていた船長が誇らしそうに言う。
それを聞いた漁師さんが目を見張った。
そしてその隣にいたおばさんもだ。
「こんな学校を出たばっかりの歳の子が、よくまあ暗闇に等しい海に飛び込んで、助けられたわねえ! アーシャちゃん、びしょぬれじゃないか! 風邪ひいちゃうじゃないの!」
「家に帰ったら着替えるっぺよ」
「船長、ずぶぬれなのに手伝わせようっていうのかい! アーシャちゃん、着替えてきなよ」
おばさんが船長に言う。船長はどうやらそのまま手伝ってほしかったらしい。
「ううん、でもこれからイカを仕分ける作業でどうせ濡れるだろう?」
確かに、イカの仕分けは濡れる作業だ。氷とかイカ自体とかで。
「そうだっぺ。おばさん、心配してくれてうれしいけど、どうせ濡れるからこのままで大丈夫だっぺよ」
おいらはイカの仕分けをすれば、その分お給金が出るから、それをしないという選択肢はない。
それに何故か最近は、滅多な事じゃ風邪をひかなくなったから、大丈夫だと思う。
風邪をひかない理由として、どうやら魔王の加護が関わっているらしいが、お医者様も未知のものだから、何とも言えないらしい。
先生は魔族だけれども、魔王の加護の事について話してくれないから、きっと知らないんだと思う。
魔族だから魔法に詳しいってわけじゃないのは、神官様だから神様の事をなんでも知っているわけじゃないのと同じだ。
「さて、アーシャ、イカを運ぶのを手伝ってくれ」
「おうよ」
おいらは船長の一声で、漁船の方に走って行った。
そこでは氷を敷き詰めた箱いっぱいにイカが運ばれてくる。
無論おいらは運搬作業を手伝い、荷車に乗せて運び、運んで運んで、腕が痛くなるほど運んだあとは、仕分けである。
そこそこの大きさのイカしか捕まえなかったけれども、やっぱり大きさや重さの違いがある。
おいらも目分量で仕訳けていく。細かい仕分けは他の人が秤を使ってやってくれるから大丈夫。
「大雑把な仕分けがあるだけ助かる」
一緒にやっているおばちゃんが、嬉しそうだった。
「こんな大雑把でもだっぺか?」
「秤で測る前に、多少分けられてた方が仕事が早く済むでしょう」
「言われてみればそうだっぺな」
なるほど、とおいらは納得して、そのままイカの仕分けを続けた。
そして明け方になるまで仕事をして、おいらはやっと他の漁師さんたちと同じように仕事を終わらせた。
仕事が終わると、漁師のおばちゃんたちが、おいしいイカご飯を作ってくれていた。
仕分けた結果、傷がひどすぎて売れないイカとかを刻んで、しょっぱく煮込んで、もちもちのご飯に混ぜた美味しい奴だ。
「くあー、仕事上がりのイカ飯はうまい!」
「酒があればな」
「馬鹿言うな、朝っぱらから飲んでたら母ちゃんたちに怒られちまうだろう!」
「たしかに!!」
「それに冷えた体にこの熱いお茶が染みるぜ!」
おいらもそれには同意見だ。もちもちのご飯にしょっぱい歯ごたえのあるイカ、そして以下の味がしみ込んだご飯を皿においしくする香ばしい炒り茶。
「幸せだっぺ……」
「あ、アーシャちゃんイカ持ってく?」
「もってく。干物にするっぺ。先生がイカの干物大好きだから」
「あら、じゃあイカの干物作ってあげるわよ! うちは干物も作るから」
「いいっぺ?」
「今日は大活躍だったって聞いてるし。アーシャちゃん働き者だし!」
「ありがとう!」
先生もお酒のおつまみに、イカの干物が大好きだから、おばちゃんの言葉はとてもうれしかった。
そしておいらはこの日の賃金をもらって、以下にどうしても混ざっていた雑魚とかをもらって、残ったイカご飯も詰めてもらい、意気揚々と家に帰った。
その時すっかり、王子様の貴金属の事を忘れてしまっていた。
その貴金属の事を思い出したのは、家に帰って、扉を開けた途端、先生が跳ね起きたからだ。
「おい、何か変な物を持ってきているだろう……」
「変な物……変な物……イカご飯は変じゃないっぺよ!」
「確かにうまそうな匂いもする、だがそんなものではない。お前何か咒物を持っているだろう」
「咒物? ううん、ええっと……」
おいらは先生のいうような物に心当たりがなかったが、色々考えている時、ポケットの中の堅く冷たい物を思い出した。
「これ?」
「……それだ。信じられない、お前よくまあ平気でいられるな」
ポケットから引っ張り出した首飾りは、明るくなってから見ると、本当に細かい細工の、とてもきれいなものだった。
薄い銀の板を丸くして、その中に赤く輝く石を閉じ込めている。
そしてその赤い石が、日の光を浴びて輝いている。
「それはただの飾りではないぞ。……びっくりした。いきなり強力な呪いの波動を感じたせいで、跳ね起きてしまった」
「そんなとんでもないっぺか」
「とんでもないぞ。だが誰かに危害を加える類ではなさそうだ……ああ、眠い」
先生はそういうと、またごそごそと寝台に戻って行った。確かにまだ先生は寝ていてもおかしくない時間だ。
おいらは先生の分のイカご飯を取り分けておいて、風呂に入って着替えるべく、壁に立てかけられている、風呂桶代わりのたらいを置き直した。
「先生、おいら風呂はいるっぺ」
「適当にはいれ。お前、カーテンを引くのを忘れるんじゃないぞ」
「もう忘れないっぺよ!」
前に目隠し用のカーテンを引き忘れ、先生に丸裸を見せてしまったのは失敗だったってちゃんとわかってるっぺよ!