第四話 アーシャ、勇者を休業する(4)
一晩のうちに、おいらは自分の身の上話をする事になった。
実は西の魔王と一騎打ちした勇者なんです、なんていう冗談みたいな事実を、お医者様は笑い飛ばしたりしなかった。
「どうりで体が頑丈なわけだ。君が西の勇者ならそれも納得だ……だがこの国まで届いている話だと、西の勇者は第三王子アンドリュー殿下だというじゃないか。……なるほど、功績を横取りされたわけか」
「おいらが勇者になっちゃいけない、みたいな事を、おいらに毒を吸わせた人は言っていました」
「貴族や王族は、ぽっとでの実力者を嫌うものだからか? それにしても、君は無事でいたいなら、その話を黙っている方がいいだろう」
「お医者様だから話しているんだっぺよ。おいら恩人に嘘つきたくねえんだ」
「なるほど。だがほかの誰にも話しちゃいけないだろうね、その話がどこでどう流れて、君がまだ生きていると西の国に知られたら、君にとってとても厄介な事になるだろう」
おいらはそれに深く同意した。
また殺されかけてはたまらない。
今度こそ、確実に殺すために、という理由で、首を落されるかもしれないのだ。
「たぶん、君を殺したい人たちの誤算は……君がおどろくほど頑丈であった、というところだろうね」
「おいらも、自分がここまで頑丈だなんて思わなかった」
「そうだろうね。いくら西の魔王と引き分けになるまで戦えたとは言え、普通の人間のはずだからね……毒に対する耐性は、人間である以上どうしたって限界があるものなんだが……ん?」
お医者様はおいらの額を見て、何か怪訝そうな顔になった。
「君、前髪をあげてくれないか」
「……?」
おいらは素直に前髪を持ち上げた。露になったおでこを見て、お医者様が納得したように言った。
「なるほど、西の魔王は君をお気に入りにしたのだろう。どうりで毒に対する異常なまでの耐性があるわけだ。……鏡を見てごらん」
言われた通りに、おいらは自分の顔を鏡で映した。
そうすると、今まで誰も指摘しなかったものが、額に存在していたのだ。
その模様は、細かくて、額飾りのような模様だった。それもとても精密な。
「これなんだっぺ」
「これは魔王の加護と呼ばれるものだ。魔王が気に入った存在を祝福した印でもある。一説によれば、あらゆる病をはね返す強力なものだという」
「だから即死の毒も軽減されたってことだっぺか」
「そうなるだろうね。しかしまあ、生きているうちに、魔王の加護を目にする日が来るとは。人生に何が起きるかわかったものじゃないね」
「これ、誰が見てもそうだって分かるものだっぺか?」
「いいや。普通は見えないようになっているはずだ。ほら、鏡を見てごらん、どんどん薄くなっているだろう」
「あ……」
お医者様の言う通りで、額の模様は、どんどん薄くなっていった。
そして全く見えなくなる。
「魔王の加護は人間にとって謎の多いものだが……君の場合は、毒に抵抗していた時間が長かったから、模様が浮かび上がっている時間が長かったんだろうね」
ふうん、そんなものなのか。
しかし、そうだとしたら、おいらは西の魔王に感謝しなきゃならねえな。
「それに、治癒神の力を増幅させたのかもしれないな……」
お医者様は一人でぶつぶつ言っていたけれども、どれが正解かわからなかった。
とにかく、おいらは今後どうするか、考えなくちゃいけないだろう。
「あの、解毒の術の代金を、直ぐには支払えないんだけども……」
「お代はいいよ、定期的に術を行わないと、私も腕が鈍ってしまうから、私の都合で使ったようなものだから」
「でもそれじゃあ」
おいらだけ特別扱いはおかしいと思った時だ。何やら考えたお医者様が、こう問いかけてきた。
「じゃあ君、私の頼みを引き受けてくれるかい」
「できる事だったらやります」
その返事で満足したのだろう。お医者様は、明日その中身を話す、と言って、おいらに寝るように促した。
数日の間寝てばかりだな、と思いながらも、おいらは素直に寝台に横になった。
船の上のハンモックもそこそこの寝心地だったが、揺れない寝台はもっと素敵なものだった。
翌朝、おいらはご飯を食べた後、一軒のぼろやに案内された。
「簡単な手伝いをしてもらいたいんだ。とある偏屈の家のお手伝いをね」
お手伝いとはどんなものだろうと思いつつ、お医者様の後を歩いていると、一軒の、建っている事が奇跡のようなおんぼろな建物の前についた。
余りにもぼろすぎて、どこが出入口なのかさえわからない。
隙間風とかすごそうだ、と思ってしまう建物だった。
しかしここが目的地で、偏屈のおうちらしい。
「生きているか、ジュゴンド」
お医者様はぼろ屋に声をかける。そうすると、がたがたという音共に、額に角がある……つまり魔族だ……男性が、のっそりと現れた。
「なんだ、お医者様。仕事はまだ始めてないぞ」
「君のお手伝いを紹介したいんだ」
「お医者様が紹介した手伝いが、それで何人辞めたと思ってんだよ」
「この子は根性がある」
お医者様が、おいらをその魔族の前に引き出す。魔族は目を丸くして、それから訳の分からない言語でひとしきり喋るものの、その意味が分かっているらしいお医者様はまったくひかなかった。
この魔族の人何喋ってんだっぺよ、とおいらが思っている時に、その人が言った。
「確かに、根性はありそうだが……」
「君はいい加減に住まいをまともにするべきだ。何回うちに苦情が回ってきたと思っているんだい」
「お医者様に苦情を回すなんて卑怯だ……で、その子を俺の所の手伝いとして紹介して何になるんだ」
「君との連絡が取りやすくなるだろう? 私は君の薬草の選別する基準を、とても高く評価しているんだ。君以外の薬草売りから、薬草をここ十年購入した事がないくらいに」
お医者様にそう評価されるって、この人の薬草採取の腕前は相当に高い。
普通、目利きの商人とかから、買う事が多いのだ。
郷里でも、手に入らない薬草は、そう言った商人から仕入れたものだ。
すごい足元を見られたけれども。
「確かに、家に誰かいた方が、お医者様と連絡がつきやすいが……その子は納得しているのか」
なんとか断りたいらしい。その人がおいらに話を持っていく。
おいらはそこで胸を張った。
「お手伝いをする、という事は聞いてます」
おいらは出来るだけ丁寧に喋った。気をつけないと田舎の方言にしかならないのだ。おいら。
そして、助けてくれたお医者様の紹介だから、そんなに怪しい仕事ではないと判断したのだ。
助けてくれた船員さんたちが信頼している、お医者様でもあるのだから。
ろくでもない大人とは違う、と思ったわけである。
それに、建物こそぼろいが、この魔族の人の腕前は、物凄く確かそうだし。
ただ、おいらの返答を聞いたその人が、腕を組んで考え込みだす。
「……この建物の見た目を見て、まだ手伝いをしようと思っているだけ、根性があるが、しかし……」
「この子は納得している。私はこの子ならできると思っている。あとは君の了承だけだ」
お医者様も譲らない。
「……ああ、わかった。わかった! 手伝いとしておいてやる!」
魔族の人は結構渋っていたけれど、お医者様になにか恩でもあるのか、最終的にはおいらがお手伝いをすることを、了承した。かなりやけっぱちな声だったけれども。
「これからよろしくお願いします!」
「元気のいい手伝いだな……」
こうしておいらは、薬草採取の達人の、何でも屋の魔族の人の所で、手伝いをすることが決まった。
そして細かい手続きはお医者様がやってくれて、おいらは晴れてこの街の住人になった。
それが大体、一年と半年ほど前の事である。
それはつまり、おいらが勇者を休業してから、一年と半年くらいって事でもあった。