第三話 アーシャ、勇者を休業する(3)
大変な騒ぎった。何がどう騒ぎだったかというと、おいらが閉じ込められていたって事がとんでもない大騒ぎになったのだ。
人さらいだとか、誰か若いのの悪ふざけだとか、いろいろ意見が出回ったけれども、当事者であるおいらが口を聞けない状態であるため、真実は闇の中というわけだ。
そして実際に、おいらは脱水症状を起こしていたらしい。
そりゃそうだ、食事は午前中に食べたっきりで、水なんて一滴も飲んでいない。
その状態で、体から毒を出さなくちゃいけないため、麻痺した体は汗をかくのに、水分補充が行われていないのだから、そりゃあ脱水にもなるわけだ。
おいらは毒によりそう言った異常を察知する感覚も失われていたらしく、脱水だと言われてもいまいちよく分からなかったけれど、強引に塩分の入った命の水を飲まされて、いかに自分が脱水状態だったかを知った。
命の水を飲んだとたんに、体がものすごく楽になったから判明した事だ。
近衛兵隊長の毒の霧の術、めちゃくちゃおっかない術ではなかろうか。
麻痺した体を、そのまま放っておけば、確かに、助けも求めずに野垂れ死ぬに違いなかった。
体が動かないってだけでも大変な事なのに、その症状以外にに体におかしなところを自分では見つけ出せないのだ。
そんな術、恐ろしくないわけがない。
おいらはそこで、あの線の細い隊長が、どうして隊長というその他を取りまとめる役についているのかを、知ったような気がした。
そりゃあこんな術を使えるのだ。実力は折り紙付きだったんだろう。
現在おいらは、船の医務室のハンモックに寝かされている。船医のおじさんが、いくつか体力回復の薬とかを飲ませてくれたから、かなり体は楽になっている。
でもそうすると、こんどはおいらの処遇に困るわけだ。
おいらは自分ではほどけないように、ぐるぐる巻きに縛られて、樽の中に詰め込まれていた。
明らかに自分の意思で入ったとは思えない状態である。
しかし、それはいかにも訳ありの人間にも見えるわけだ。
「どうする。この子はどうやってここに入れられたというんだ」
「どうして最後の確認の時に、この子供が入っている事に気付けなかったんだ」
「あそこに樽を運んだのは誰だ? 重さも違っていたはずだろう」
そんな風に、どうすれば問題なく積み荷を次の停留所におろせるか、という話し合いが、ハンモックの隣で始まってしまったのだ。
確かに、荷物に紛れて人間が一人運び込まれていたなんて、普通に考えておかしい事態だものな。
話し合いが始まるのはおかしな事でも何でもない。
「君はどうして、あそこに縛られていたんだい」
話し合いに参加するつもりがないらしい船医さんが問いかけて来る。
おいらはまだ喋れない。体はやっと指が一本動く程度しか回復しておらず、まだ安静にしていなければならない。
毒のせいか、本当に喋れないのだ。まず口が開かない。
一言もしゃべれないおいらに、船医さんが言葉を続ける。
「……誰かにいじめられて、無理やり入れられたのだろうけれど。普通そこまでの事を、そこら辺の悪ガキがするとは思えない。もしかして、相当ひどく、いじめられていたのかい」
船医のおじさんが色々推測して話す。
確かに、彼の言う通りで、そこら辺の悪ガキが、人を一人動けないほど縛り、樽の中に詰め込んだりはしない。荷物に紛れて運ばれてしまったら最後、誰にも気付かれないうちに死ぬかもしれないのだ。
死んだ後も、腐敗して異臭が漂うようになるまで、船の中に積まれて、気付かれない可能性だってある。
彼の言う通り、相当ひどいいじめだという事になるだろう。おいらが勇者でなければの話だが。
おいらが体力回復の薬を飲んだのに、まだ何も言えない状態である事に気付いた船医さんが、おいらの口をこじ開ける。
そして舌を掴むけれども、掴まれても抵抗できないのが今の状態だ。
本当に口が開かないのだ。しんどくて。
それから何か判断した船医さんが、船長に話しかける。
「船長」
「なんだい」
「この子は毒を盛られていたようだ。いったいどんな毒かは、私には見当もつかないのだけれども……意識があるのにこれだけ抵抗できないのはおかしい。何か飛び切り恐ろしい毒かもしれない。次の港につき次第、毒に詳しい医者に診せなければ」
「見せたいのはやまやまだ、だがその子の許可証がない状態なんだぞ。その子が次の港に降りるためには、出発の時に出される手形が必要だ」
「しかし、このままこの子が、何の毒かわからないもののせいで、死ぬのはおかしい! そうだ、私の分の手形を使えば……」
船医さんはまともというか優しかった。おいらを助けようとしてくれているのだから。
というよりも……
「私だって助けたい。いったい何の事情か分からないが、毒を盛られて樽に詰め込まれていたなんて明らかに、命を狙われてる。だが手形もなく船から降ろすのは……」
船員さんたちは船長と同じ意見であるらしい。うなだれている。
そんな中、一人の船員さんが口を開いた。
「樽、そうだ、樽だ!」
「え?」
「お医者様の所に、樽をいくつかいつも運ぶだろう。その中の一つに隠して連れていけば!」
それはいい案として受け入れられたらしい。
他の方法も思いつかない、という事から、おいらは港に降りる時に、また樽の中に隠れて、移動する事になった。
「移動するまでは、このハンモックで休んでいなさい。全く、誰がこんな悪質ないじめを行うのか……」
船長がそう決めたため、船員たちは各々の仕事に戻っていく。
そこでふと気になったのは、おいらを樽ごと船から捨てるはずだった人は、この船に乗っているはずなのに、何にも意見を言わないな、という事だった。
もしかして、あまりにも可哀想だと思われたんだろうか。
そんな事を考えながら、おいらは船医のおじさんの隣のハンモックに揺られて、つかの間の船旅という物を体験する事になった。
そして船にいる間、おいらは何度も体力回復の薬や、にがい解毒作用が少しある飲み物を飲んで、後はハンモックに揺られて過ごした。
その間誰も、おいらの命を狙ったりしない。
そして船の皆さんはちょくちょく、おいらの様子を見に来るのだ。
皆優しいし、おいらの知らない国の話をするから楽しい。
おいらはどうやら船の人々に
「非常に悪質ないじめを受けた、可哀想な身寄りのない子供」
という認識をされている様子だった。
確かに身よりはないが、いじめられていたわけじゃなくて、本当に殺されかけていたのだけれど、それを伝える手段は、喋れないおいらにはなかった。
そして三日の航路のあと、いよいよ、船は降りるべき港に到着した。
おいらも慌ただしく樽の中に、布団とともに詰められた。
布団で体が痛くならないように気遣われている事が、おいらにとってはとてもうれしい事だった。
船の皆さんは優しくていい人たちだ。
いつか恩返しができるといい。
「いいか、今から樽で移動なわけだけれど、びっくりして声を出さないようにするんだよ」
船医さんが忠告してくれる。かろうじて動くようになった頭を動かして頷くと、頭を撫でられた。
「達者でな」
おいらを樽に入れた船員さんが泣きそうな顔で言う。
そしておいらはまた樽の蓋を閉められて、こっそりと、毒消しの名人であるというお医者様への積み荷の一つとして、港におろされたわけだった。
おろされてから、数十分後、おいらはまた別の場所についたらしい。
そこは色々な足音が響く場所だったが、その足音の中でも特に、踵をこつこつと鳴らす音が近付いてきて、とても乱暴な調子で、樽の蓋がこじ開けられた。
「正体不明の猛毒を飲まされた子供ってのは君だね! うわ、大丈夫かい、きちんと目が見えているかい。かなり厄介な毒が体に回っている様子だね、それでは話もできないだろう」
樽の蓋をこじ開けたその人が、おいらの下瞼を引っ張って即座に言う。
そしてまだおいらは樽の中にいるのに、何かの液体の入った瓶の口を口に押し込まれる。
「まずは清めの聖水を飲むんだ。それから毒消しの儀式を行う」
毒消しの儀式とは、あらゆる毒を無効化する、治癒神の儀式の一つだ。
国ではとても高額だった記憶があるそれを、このお医者様はおいらにしてくれるらしい。
「この子を担架で運ぶんだ!」
その人はてきぱきと手伝いの人に指示を出して、おいらを樽からだして、担架に乗せて、その儀式の場所まで運んでくれた。
運ばれた先は、いくつもの神への祈りの陣が描かれた神秘的な光に満たされた部屋で、こんな部屋を見たことは過去一度もない。
「この毒は即死の毒だ、下の瞼の血管の色がどす黒くなるからすぐわかる。よく何日も頑張って耐えたね、えらいよ」
担架ごとその陣の上に寝かされたおいらに、そのお医者様が泣きそうな顔で笑う。
そして、お医者様という職業を象徴する、再生をつかさどる蛇と蝶々の飾りのついた杖で、陣の一角を叩く。
そしておいらには全く分からない祝詞のような物を唱えると、おいらに光が降り注ぎ……
「何か自分で体を動かしてみてくれないかい」
毒消しの儀式は終わったらしい。おいらは慎重に口を開いた。
「おいら、たすかった……?」
「ああ、きちんと君は助かった。君の日ごろの行いがいい事も関係しているだろうね、治癒神に感謝の言葉を言って、儀式は正式に終わるよ」
「ええと……治癒神様、本当にありがとうございました、本当に本当に感謝します!」
おいらはしゃれた言葉が出てこないから、とにかく感謝する事にした。そしてそれは正解の言葉だったらしく、お医者様がおいらの手を引っ張って、陣の外に出してくれた。
ちゃんと立ち上がれる事実に、おいらは心の底からほっとした。安堵した。うれしかった。
数日のあいだ、指一本たりとも動かせなかったのだ、このうれしさを察してほしい。
そのままおいらは、衰弱していないかとかそう言った検査を受ける事になり、一晩お医者様の診療所に泊まる事になった。