第二話 アーシャ、勇者を休業する(2)
意識がたとえばらけていても、目が開いていれば周囲は見えるし、意識を失っていないからか、声もしっかりと聞こえる。
ただおいらの体はぐんにゃりして、全くと言っていいほど動かない。
担がれるに合わせてゆらゆら揺れる手足が、まるで死体のようである。
おいらこのままどうなるんだっぺ……と思っていた時だ。
体を担いで向かっていたのは、見覚えのない小屋だった。
小屋では、見覚えのある男が待っていた。その男はほっそりとした優雅な体を動かして、椅子から立ち上がる。
他に椅子に座っている人物はいないから、この男が一番この場ではえらいのだろう。
しかし何でこの男が……と瞬きをする事くらいしかできないおいらは、彼等の話を聞く事になる。
「しかし見事に成功しましたね」
おいらを担いできた男が言う。
待っていた男……城の近衛兵隊長が、当たり前のように答えた。
そう、待っていたのは、おいらに訓練をつけた近衛兵隊長その人なのだ。
いままで親身になって訓練を受けさせてくれていた人だから、裏切られた衝撃は、仲間と同じくらいに大きい。
いや、仲間は追い出しただけだから、まだぎりぎり大丈夫かもしれない。
だが近衛兵隊長は、明らかにおいらに何か盛っている。
一体何を盛ったんだ。いつの間に。
「当たり前だ。こいつがどこに行くのかはよく知っている。こいつが向かう酒場の一角に、毒の霧の術を展開し、、遅効性のそれを吸わせて正解だった」
「あの酒場で、霧に近い場所にいましたが、王子は大丈夫なのでしょうか」
そうだよ、おいらのいた場所に近かった仲間たちは、毒の霧を吸わなかっただろうか。
追い出された身の上だけれども、死んでほしいわけじゃないから気になる。
しかし、近衛兵隊長は断言した。
おいらにとって信じられない事を。
「優秀な結界を張るシェフィがいたのだ。シェフィにはあらかたの話をつけてある」
シェフィ、知ってたの? おいらが毒を盛られるって知ってたの?
そんな、全然気付かなかった……忠告すらなかったぞ。
そこで判明したのは、おいらはあの酒場で、目に見えないし匂いでも感じ取れない毒を吸い込まされたという事だった。
そして仲間だったはずのシェフィが、それを知りながらおいらを助けてくれなかった事も……知りたくなかった。
暴言を吐いたジャネット以上に、裏切られたという気持ちになるんだが。
さて、おいらをちらっと見た使用人の男が、近衛兵隊長に問いかけた。
「こいつ死んでますか、生きてますか」
「なぜそのような事を聞く。あの毒の霧を吸い込めば、遅かれ早かれ死ぬのだ」
「瞼が上下するので」
「今生きていても瀕死の手前だ。そういう術を使っているのだからな」
「しかしなぜ、処刑ではないのでしょう」
「処刑の前に暴れられては困る、というのが陛下のご意見だ」
おいら、仲間から追い出されるどころか、故郷の国に殺される事になったのか……本当はとても腹が立つはずなのに、毒のせいかそこまで怒りがわいてこない。
怒る力が、沸いてこないのだ。それ位毒が体をめぐっているのだろう。
ただ体が言う事を聞かず、担いでいる男がおいらを床に乱暴に下ろすと、まるで糸の切れた人形のように、べしゃっと受け身も取れずに床に落ちるおいらの体。
ぶつけた所があちこち痛いはずなのに、ちっとも痛くないのも、体が麻痺した結果だろう。毒って怖い。
そして痛みも苦しみもないから、どこか他人事のように感じてしまうおいらである。
床に投げ捨てたおいらを、これからどうするのか、近衛兵隊長たちが話し始める。
「これなら、あと一時間も経てば確実に死ぬだろう。瞳に生気もない」
「だがこのものの始末はどうする。下手に墓にいれて、事が露見してはいけない」
「アンドレ王子には特に知られてはならないな。アンドレ王子は意外とこう言った事には厳しいのだ」
「しかし陛下も、何故初めからアンドレ王子に西の魔王討伐を命じなかったのでしょう」
「神殿の託宣のせいだ。神殿の者どもが、このものしか西の魔王と戦えないと神が告げたなどと言ったためだ。本当に腹立たしい。だが事実このもの以外、西の魔王と戦えなかっただろう。西とも停戦した今、このものは用済みと陛下が判断なさった」
それに、と近衛兵隊長が続ける。
「このものは暮らしていた村でも厄介者だった。そんなものが英雄としてたたえられるなど、あってはならないのだ」
厄介者が手柄を立てた事に対する嫉妬だろうか。おいらは床が磯臭いな、なんて思いながら話を聞いている。
「それに知っているだろう。アンドレ王子は納得がいかなかったら墓を暴くぞ」
「そうでしたね……」
アンドレ王子は、疑ったら墓まで暴くのか。確かに生きたまま墓に入れたら、いざって時に掘り返された時困るな……確かなんかの事件の時に、墓を掘り返したら、生き埋めだったことが分かった人がいたっけな……
あれもアンドレ王子のした事だったのだろうか。よく分からないけれど。
そして散々議論した後、おいらの処分が決まったらしい。
近衛兵隊長が早く話を終わらせたい、と言わんばかりに言い出す。
「どうせ死ぬのだ。樽にでも詰めて遠洋から落せばいい。確実に死ぬだろう」
だからって樽に入れるって乱暴な扱いじゃなかろうか。おいらはそんな突っ込みを頭の中で思い浮かべていたものの、体は動かないし声も出せない。
それに今、意識があるという事も、気付かれてはいけないのだろう。
「しかし、このものは本当に死ぬのでしょうか。毒の霧を吸い込んだのに、まだ瞼が動いているのですが」
使用人が恐る恐るといった声で言う。
近衛兵隊長が、何を馬鹿な事を、と言いたげに言った。
「死ぬに決まっているだろう。本来は即死の術だ。このものは訓練により無駄に頑丈になったから、まだ息があるだけだ。必ず死ぬ。死んでもらわねばならない」
即死の術は相当難易度が高かった気がするんだが……それを使ったのに死なないおいらってなんなんだろう。
お城の訓練でそんなに頑丈になるものなのだろうか。
それにそんなにもすごい毒だったら、もっと苦しくなるのでは、と色々変な事を考えてしまう。
だがすべての決定権は、動けないおいらにはない。
おいらは今度は、厳重に縛られ、手足を折りたたまれて樽の中に詰められた。
「この樽は、いくつかある遠洋に向かう商船にこっそり運んでおけ。そして商人たちが気付く前に、お前たちが海にこの樽を投げ入れろ。飲み水が腐っていたとか適当な言い訳をつければ、商人たちも文句は言うまい」
本当に樽に詰めて海に捨てるつもりだっぺなこれ……
おいらは樽の中でも音がよく聞こえたため、本当に悲しかった。
近衛兵隊長……そんなにおいらが西の魔王と一騎打ちして引き分けだったのが、腹立たしいのだろうか。
おいらは何一つ悪い事をしていないのに。
そんな事を思いながら、おいらはたぶん、他の運搬される樽の中に紛れ込まされたのだろう。
静かになったと思ったら、船乗りたちの慌ただしい声が耳に入り、乱暴にどこかに運ばれていくのが分かった。
そしてまた、どんっという音とともに降ろされて、そこからはゆらゆらと外が動いているのを感じていた。
もう船の中にいるのだろう。海に出ているから、揺れているように感じているに違いない。
その間、おいらは体を休めていた。
それ位しかやれることがないのだ。体は動かないし、声も出せないし、意識も喪えない以上、現状を確認すること以外できないわけだ。
もしも動けたら、麻痺などを緩和する薬を飲めたはずなんだが……それもおいらにはかなわない。
もう寝るしかない。意識を失ったが最後、そのまま死ぬかもしれないが、不思議とそんな気はしない。
即死の毒の術が通用しなかったのだから、おいらは死なない、と何故かわかるのだ。
毒って苦しくなるはずなのに、どこも苦しくないのがその証拠の様だ。
とにかく、いざという時のために体力を回復して、動けるようにならなければ。
おいらは目を閉ざして、体の力を抜いた。もともと体に力なんて入らないけれど。
どれくらい休んでいただろう。まだ体は動かないが、扉が開く音がした。
きっとここは船の中だから、いよいよおいらも樽ごと投げ捨てられるのか。
おいらは耳を澄ませた。
「どの樽だ?」
「目印がないからわからないんだよ」
「畜生、酒を入れてた樽と水の入った樽がわからないなんて!」
……おいらを海に投げ入れる目的ではないらしい。
「とりあえずひとまず、開けてみるか……」
誰かが言う。
そしておいらの近くまで歩いてくるのが、足音から伝わって来る。
開けてくれんのかな、とおいらは思ったんだが、おいらの隣の樽を開けた様子だ。
「水じゃねえか。って事はこっちが酒か……?」
ぎぎ、と軋んだ音を立てて樽の上部が開く。
そして、それを開けた船員がぎょっとした声で叫んだ。
「おい、俺が酔っ払ってるわけじゃないよな!? 子供がぐるぐる巻きに縛られてはいっているぞ!!」
「脱水症状でも起こしてんのか? 死にそうだぞ!!」
そう、おいらを詰めていた樽の蓋が、いま開いたのであった。