第一話 アーシャ、勇者を休業する(1)
見切り発車で出発します。
感想はいつも通り受け付けていません。
西の魔王と戦ったのは数週間前の事だ。あの魔王は腕力勝負といったところが強くて、実に手ごわい相手だった。
しかし一騎打ちという事を守り、お互い誰も支援しなかったのだから、さすが王の名前を冠するだけはある魔族である。おいらは結構気に入った。おいらああいった御仁は気に入りやすい。
実際においらと戦って、その戦いが気持ちのいい引き分けだったからか、西の魔王はおいらの故郷の国との戦争を停止する事にした。
停戦条約も取り交わされたらしいが。どちらにもあまり不利益の出ないように調整された条約だったらしい。
しかしそのおかげで、今もおいらが暮らしている国では、魔族の国でしか手に入らない道具や書物、それに作物が手に入るようになって、皆浮かれ騒いでいる。
西との交易の際には、交易だとわかってたら魔物も襲ってこない事になっているから、商人たちもここぞとばかりに交易している。
その光景を見ながら、おいらはしみじみ呟いた。
「こんなことになるんだったら、あん時いやだってごねなくてよかったっぺ」
おいらは小さな小さな村で暮らしていた。
そこでは父親の分からないおいらはいじめられっ子で、よく皆に意地悪をされた。いじわるのネタが尽きない事が逆に恐ろしいくらいいじめられたが、かあさんがいたから耐えられた。
母さんは村の占い師だったのだ。よく当たる占い師だったそうで、天気の事とかなら三日先の事までわかるくらいだったから、村でかあさんに危害を加える馬鹿はいなかった。
そんな母さんが流行り病であっけなく死んでしまった後が大変で、おいらは村長の所に引き取られたんだけれども、そこでさんざんなほどこき使われた。
こき使われたなんて言葉が、正しくないんじゃないかって位働かされた。
睡眠時間が二時間あればいい方、という位だからわかるだろう。朝にならないうちから起きだして家の事を行って家畜の世話をして畑仕事をして、それから機織りだのなんだのを行い、村長の家の食事の支度をおこなって、空いた時間は近所の奴らにいじめられて、夜が更けても眠れない。
そんな散々な毎日を送っていたけれども、かあさんの形見の耳飾りを握り締めると、心が強くなれる気がして、毎日頑張ろうって思った物だ。
おいらはそんな状態で、だいたい四年間ほど暮らしていた。
いつも通りに畑仕事をしていた時に、いきなりきらびやかな衣装の集団に囲まれたと思ったら、三つ先の町の神殿に連れていかれて、
「このものこそ、神の選んだ勇者であり、西の魔王と対等に戦えるものです!」
「え、そんなのいやだ!」
神官様に言われて、とっさに嫌だって言ったんだけれど、神官様たちも熱狂しているし、民衆も熱狂しているし、誰もおいらの話なんて聞いてはくれなかった。
そのままおいらは王様の住んでいるお城の連れていかれて、三週間死にそうな訓練をして、神様のお導きの仲間だという、今ではお互い信頼し合っている頼もしい仲間たちと出会う事になった。
治癒魔法や結界魔法に特化しシェフィは金髪碧眼のふんわりした美女。
格闘術などを専門にしているジャネットは、赤い髪の毛に赤い瞳の気の強そうな美少女。
攻撃魔術ではこれほどの腕前は滅多にいない、と言われたチュニアは、黒髪に紫の瞳の、神秘的な美人さん。
全員女なのは、おいらが女だからだという事だ。おいらが女で他の仲間が男だと、なんか占いによればよろしくない結果になるからだとか。
最初は全然会話もできない位、生活水準とかが違っていた彼女たちだけれども、おいらも一生懸命に交流を図ってきたから、いまではちゃんと仲間である。
この仲間たちがいなかったら、西の魔の国の半ばで、おいらは野垂れ死んでいただろう。
仲間たちと西の魔の国の城までたどり着き、向こうの強靭な結界魔法により、魔王と戦えるのは一人だけ、となった時、おいらが行くのは自明の理だった。
だって単独だったら、おいらが一番強かったんだもの。おいらの拳とか剣とかは、生来の馬鹿力のせいか、とんでもなく強かったのだ。
そしてそれはその時一番正しい判断で、西の魔王と戦って、お互いにほぼ同時に体力が尽きて、でも最後に立っていたのがおいらだったから、西の魔王が停戦に応じたのだ。
西の魔王は、どうやら前に
「我と互角に戦えるものをよこしたならば、停戦に応じてもよい」
と王国に伝えていたらしく、話はすんなり進んだ。
ああ、おいら頑張ってよかっただ……と思う結果になったわけだ。
そして今日、おいらは仲間たちと、新たなる場所に向かうための、作戦会議をする事になっている。
場所は北の魔の山。北の魔の山の魔物は、西よりずっと凶悪だ。
寒い地方だからか、毛皮が分厚かったり、脂肪が厚かったりして、なかなか攻撃が届かない事でも有名な魔物が多い。
毛そのものが、強靭な事もよくあるのだ。
北の魔の山には、どんな不細工な顔も一瞬で美しくなるという、伝説の泉があり、そこの水をとってくるように、と王様に命じられたのだ。
何故かというと、美形の多い王族の中で、ひときわ美しかった王女様が、ご病気によりひどくただれた顔になってしまったからである。
王女様のために、と幾人もの兵士が志願したものの、誰もが途中で連絡が取れなくなり、死亡が確認されているらしい。
そういうわけで、西の魔王との停戦を可能にしたおいらたちが、その役割を命じられたわけなんだが……あれおっかしいなあ。
おいらは、いつも皆で集まる酒場の一角で、仲間たちと一緒にいる見慣れない色男に首を傾げた。
それはそれは色男だ。ちょっと線が細い感じが否めないものの、抜群に色男だ。
この人いったいだれだっぺよ。
おいらはそんな事を思いつつ、皆に近付いた。
「一週間ぶりだっぺな、皆元気か? そっちの人は誰だっぺ?」
「あら、うふふふふ」
シェフィがおいらを見た途端、笑い出した。
なんか馬鹿にしたような笑い方だ。
そしてジャネットが、高らかにこう言ったのだ。
「アーシャ、あなたもういらないから」
「は……あ? なんでだっぺよ、いらないってなんだよそれは」
意味が分からない。王様に伝説の泉の水もってこいって言われたの、おいらたちだろうが。
目を丸くしてしまうと、チュニアが淡々と言った。色男にべったりと腕を絡めたまま。
「この人が、新しい勇者」
勇者っておいらじゃなかったっけ? おいらはしばし硬直した。
「そもそも、アーシャじゃ勇者って感じじゃないしー」
ジャネットが言葉を続ける。
あんまりな言葉を。
「格好良くもないしきれいでもないし、勇者がこんなちんちくりんだなんて何かの迷いじゃないかってずっと思っていたのよね! 勇者っていうのはこの人みたいに格好良くって素敵で、私たちが仲間になるに値する人のことを言うのよ。だからアーシャ、あなたもういらないから。さっさとどっかに消えてちょうだい」
「な、な、な……」
あ、あんまりだ。あんまりすぎる。
あまりのいわれようによろめいたおいらだが、とどめのようにシェフィが言った。
「もともと、仕方なく同行していたんですもの。本来の形に戻るだけですわ」
西の魔王に殴られた時よりも衝撃的だ。仕方なく? 仕方なくおいらに笑いかけたり、おいらのご飯を食べたり、おいらの背中を守ったりしてきたのか。
ふざけんなよ、と言えなかったのは、たとえどんな理由があっても、彼女たちに助けられて護られた過去があるからだ。
田舎者のあか抜けないおいらを、馬鹿にしている奴は多く、おいらをそのたびに慰めてくれていた事実があったから、余計にこの言葉は衝撃的だった。
「あら、泣いちゃってばかみたい」
ジャネットがせせら笑う。おいらはごしごしと、いつの間にか流れていた顔をこすって、出来るだけ平坦な声で言った。
「じゃあ、おいらたち解散ってことでいいんだっぺな?」
「解散? 違うわ、あなたを追放するのよ!」
しっし、と犬か猫でも追い払うような動作をするチュニア。
そこでそれまで黙っていた男性が口を開いた。
「君たちがそんなに我慢して、そこの少年に尽くしていたとは。これは信じられない事だな」
おいら女なんだけど、と言いかけたが、ここで何を言っても意味がない気がして、おいらは彼女たちに最後一言だけ言って、そこを後にしようと決めた。
「んじゃあ、……皆今まで優しくしてくれてありがとう」
皆がそう思っているなら、縋りついても意味がない。皆が我慢しておいらと一緒にいたなら、まだ一緒にいたいなんて言うのは苦痛だろう。
だからおいらはすがれない。
嫌われているのに、馬鹿にされているのに、一緒にいたいとも思えない。
王様の依頼をどうするのだろう、と心のどこかで思いながらも、おいらは肩を落として、きゃらきゃら嗤う彼女たちの声を背後に、まだ人のほとんどいない酒場を後にした。
とぼとぼと肩を落として道を歩く。行きは活気に包まれた街をうれしく思ったのに、今はその活気も恨めしいような気がして来る。
そんな街で、朝ご飯を食べ忘れたことに、いまさらおいらは気が付いた。
気が付いたらお腹が空いてしょうがない。
老良はその辺のパンを売る店の扉を開けた。
「いらっしゃい、ぼっちゃん聞いたかい?」
大体ぱっと見だけなら、少年扱いされても仕方がない。おいらは割り切っていたから、店のじいちゃんが喋りかけてきたのに、何、と返した。
「何をだっぺな」
「勇者アンドレの話だよ! いやすごいね、西の魔王と一騎打ちして、引き分けになって、見事に停戦条約を結ばせたというじゃないか。勇者というのはああいう人のことを言うんだな」
それおいらなんだけど、とおいらは言いかけたものの、何か直感というべきものが、黙っていろと言うから、口をつぐんだ。
じいちゃんは話を続ける。
「道中では、愛称のアーシャを名乗っていたのだそうだ。聞けば勇者アンドレは、なんと第三王子アンドリュー様だというではないか!」
「確かにアーシャもアンドレも、アンドリューの愛称にはなるっぺな」
なるほど、誰かが……というか王宮とか貴族が、おいらの活躍を誰かほかの人に横取りさせたかったのだろう。
そう思うと、なんであんなに頑張ったのにこんな目にあうのだろう、と悲しくなってくる。
おいらは相槌を打ちながら、総菜パンをいくつか買い求めて、店を出てから行儀悪く歩きながらぱくついた。
半分泣きながら食べているからだろう。道行く人が道を開けてくれる。
おいらは幾つか思い当たることを考えて、そうだっぺな……と思った。
西の魔の国に行くまで、おいらは出来るだけ人目にさらされないようにされていた。
仲間たちと会ったのは、旅立つその時である。
その時まで、おいらは訓練を受けているけれども、隠されていたわけだ。
つまり、おいらが旅立つ事を、一般市民と言われる人々に知られたくなかったわけだ。
なぜか? 別の誰かの手柄にしたいからならば、それは容易に想像がついた。
……おいら頑張っても、それ意味なかったのか……そしてきっと仲間たちは、最初から分かっていたに違いない。
ジャネットが、アンドレであろうあの男にしなを作っていた時、知らない相手にする顔じゃなかった。
貞淑なはずのシェフィが、腕に体を絡めていたのも、あこがれのある王子様相手なら納得がいく。
負けじと腕に抱きつくチュニアは、まさに初恋そのものの瞳をしていたっけ……
つまり皆、手柄は皆勇者アンドレに渡ると知っていたはずである。
おいら、何のためにいままで訓練を受けたり、皆を庇って瀕死になりかけたり、死を覚悟して西の魔王と一騎打ちしたりしてきたんだろう……
そんな事を思っていた時だ。
不意に視界がぐらぐら揺れだして、何だろう、と立ち止まっても揺れは止まらなくて。
まともに立っていられないほど、足元がおぼつかなくなって、おいらはそこで
「毒……?」
という一つの可能性に気が付いたけれども、おかしい。偶然入った店の食べ物に毒が仕込まれているなんて変だ……と思考がばらけていく中、おいらは誰かに担がれて、どこかに運ばれていった。