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この頭巾をあなたに

 初めての乗馬訓練を終えた夕方。

 ようやく長い一日が終わったことに安堵しながら、私は自分の宮までの道を歩いた。

 宮の前の池に反射する赤金色の空の眩しさに目を細めていると、階の前に謙王が立っていた。

 どうやら伴もつけずに私を待っていたようで、肘には大きな竹籠をぶら下げている。

 謙王は純粋に驚いたような様子で、私を迎えた。


「随分遅くまで乗馬を楽しまれているのですね。万里をお気に召されたようで」


(いや、乗馬を満喫してるんじゃなくて、叩き込まれてるんだけど)


「そ、そうなんですよ。将軍もお付き合い下さるので。――殿下こそ、何かご用でしたか?」


 水を向けると謙王は琥珀色の双眸を踊らせ、携えていた竹籠の中身を私に見せた。


「これをお渡ししに参りました」


 そこに積まれていたのは夕焼けの明かりを反射して、妖しく煌めく金錠(きんじょう)だった。


(私のお金!? どうして?)


 問うように見上げると、謙王は朗らかに笑った。


「茶丸を助けた時に、背中から落ちていくのを見たのですよ。半分は私にも責任はありますから、泳ぎが得意な下男に拾わせておきました。多分全ては拾い切れていないのですが」


 確かに量が当初より少ない。でも一つ探すだけで、重労働だっただろう。

 こうして集めて持ってきてくれるなんて、思ってもいなかった。

 感激して礼を言うと、謙王は片手を軽く顔の前で振った。


「軍議での発言のお礼です。構いません。それより、ぜひこの頭巾(ずきん)をお使い下さい」


 謙王は腕にかけた竹籠の隅から、畳まれた藍色の布を取り出した。どうして頭巾をくれるのだろう、と不思議に思いつつ、それを受け取る。

 謙王は竹籠を地面に下ろすと、私の後ろに回った。そうして私の後頭部に手を伸ばす。

 何事かと振り返るより早く、謙王は唐突に私の頭上の簪を抜いた。髻が崩れ、私の長い髪が落ちてきて肩を叩く。


「殿下?」


 慌てて頭に手をやろうとするが、謙王の手がそれを制止する。彼はそのまま私の髪を結い始めた。

 恋人でもない異性に髪を触られることなんて、滅多にない。急に血流が激しくなり、顔が火照る。謙王は後ろから囁いた。


「貴女はいつも髪を全て括り上げて髻を作っていますが、華奢なうなじが見えてしまうのが気になっていました。――女性らしさを醸し出してしまっていて。こうして上半分で髻を作って藍染の布に包み、残り髪を垂らす方がいいと思いますよ」

「そうなんでしょうか? 気づきませんでした」


 思わず自分のうなじに手をやる。

 人は髪型で随分印象が変わるものだ。謙王の忠告をありがたく受け取る。

 髻に被せた頭巾の端を綺麗に整えると、謙王は私の正面に回った。そうして私をじっと見つめてから、満足げに頷いた。


「思った通り、こちらの方がいい。明様に使ってもらえれば、私も嬉しいです」


 褒め言葉に照れてしまう。

 促されるまま、竹籠を持ち上げるとずっしりと重かった。その重さに、竹が軋む。

 思わず籠の中の金錠を見下ろす。薄暗い夕暮れ時の外でも、きらきらと照り輝いている。

 ここで普通に流通している貨幣は、この金錠ではない。市井で流通している硬貨は銅製で小さく、中心に穴が空いた形状のものなのだ。対してこの金錠は、それ一つで悠に一年以上は食べていける価値のあるものだった。


(こんな大金、持っていても意味がないばかりか危険を招くんじゃ……)


 私を射抜いた将軍の切れ味鋭い黒曜石の視線を思い出し、背筋が震える。

 ふと、馬車の中で聞いた将軍の話を思い出す。


「少し前に将軍から聞いたのですが、殿下は慈善活動に力を入れてらっしゃるとか。――たしか、貧民の救済所も作られたんですよね?」


 突然振った話題に、謙王は目を白黒させた。


「ええ。今まで、貧者の為の避難所や診療所の他に、孤児院も開京に設置しました。ただ残念なことに、現在いくつかは資金不足で閉鎖してしまっているんです」


 資金――。どうせこの大金も、私が皇宮に軍神として滞在する限り、使う機会はなさそうだ。

 そしてもし、偽物だとばれたら取り上げられるのだろう。

 だとしたら、今のうちに有意義に使ってしまう方が賢いかもしれない。いっそ、ニセ軍神だとバレてここから放逐されたら、その避難所とやらのお世話になりたいくらいだ。

 そう思って私は謙王に向かって竹籠を差し出した。


「資金にお困りなのでしたら、この金錠を差し上げます。お役立て下さい」


 謙王はぎょっと目を見開いて、竹籠を押し返した。おまけに両手を開いてこちらに向け、左右に激しく振る。


「明様に援助をして頂くなど、とんでもない。そんなつもりではありません」

「大金過ぎて私も持ってるのが怖いので、渡りに船です。――いつ部屋に泥棒が入るか、気が気じゃなくなりますから」


 冗談めかして笑いながら、一回目より更に前に竹籠を突き出す。対する謙王は笑わず、真剣な表情だった。


「とても頂けません。これは明様のものです」

「いえ、元々は皇帝のものでしたから、みんなのために使って下さい。それにね、殿下。一度気前よく宣言したものを、引っ込めさせないで下さい。私の沽券に関わります」


 そこまで私が言うと、謙王は渋々のように金錠を受け取ってくれた。そうして深々と私に頭を下げた。


「ご好意は忘れません。明様の名を冠した施設に改名します。それに、必ずいつかお返しします」


 返金は期待していない。ただ、いつか困った時はその施設に縋らせてほしい。

 曖昧に笑って頷いておく。

 謙王は頭を上げると、その琥珀色の瞳を下ろし、私の白雷刀に焦点を当てた。


「その白雷刀で、あの瑞玲(ずいれい)と将軍に勝ったそうですね。正直なところ、貴女を初めはただの女詐欺師かと思っていたのですが、私の誤解だったようです」


(う〜ん、女詐欺師か。実際のところはまさにソレそのものなのが、辛いな)


 引きつる笑いをどうにか浮かべ、携える白雷刀をそっと見下ろす。

 ――だけど、将軍を負かしてしまったのは、私自身が一番驚いた。

 雷に打たれたこの右腕のせいなのか、はたまた刀のせいなのか。

 ふと思いついて白雷刀を抜刀すると、動揺する謙王に手渡した。


「振ってみて下さい。もしかしてこの宝刀は使おうとすれば誰でも凄腕にする、妖刀かもしれませんよ?」


 謙王は「まさか」と呟きながらも、宝刀を握ってみたくなったのか、竹籠を下ろして刀を受け取った。両手に構え、前に一歩踏み込みながら振り下ろし、素早く空を切る。ビュッ、と小気味いい音が響く。


「なるほど。無駄な抵抗がなく、振りやすいですね。流石は伝説の刀、といったところでしょうか」

「持つと右腕が、変な感じがしませんか? 痺れたり、痛んだりしません?」


 私の質問に謙王が首を左右に振り、刀を返してくる。どうやら私とは違うよう。

 頭の中に、大巫者(だいふしゃ)の台詞が木霊する。

 ――白雷刀が主人を間違えるはずはない。


(私がこの刀に選ばれた、ということ? そんなことってあり得る?)


 もしくは、この腕が戦う時に怪力になるのか。

 刀を睨んで考え混んでいると、謙王は私の髪を纏めた頭巾を見つめながら言った。


「何か他にも困ったことがあれば、言って下さい。力になります」

「殿下はお優しいですね」


 謙王は腕を組むと、にっと笑って胸を逸らした。


「どうでしょう? 軍神を利用しようという、打算や下心かもしれませんよ?」

「いいえ、殿下はお優しいです。だって髪を結いて下さった時に、私が痛くないよう物凄く気を使って手で梳き上げているのが、分かりましたよ」


 思いついたことを言ってみると、謙王は恥ずかしそうに視線を宙に浮かせ、肩を竦ませた。


「……もし、もしも……私が羅国討伐の総大将に選ばれたなら、貴女を絶対に安全な後方部隊に配置しますよ」

「おっと。それも優しさからですか? それとも新たな交換条件ですか?」


 謙王は答えなかった。代わりに、手を組み低頭する。低く下げられた頭上の髻についた金の飾りが、きらりと優しく輝く。


「――伴の者が心配する前に、戻ります」


 どこか寂しげに笑う、幸薄い謙王の背中を見送った。




 自室に戻り、疲れ切った体を寝台に横たえると、首がグキッと鳴った。


「痛ったぁぁっ! もうっ、硬過ぎなんだよ、この時代劇枕!」


 陶枕を怒りに任せて寝台の隅に押しのけ、やるせない溜め息と共にゴロンと仰向けに転がる。

 そうしてしばらく無心で天蓋の裏に描かれた色鮮やかな唐草模様を眺めていると、外から私の名を呼ぶ声がした。

 痛む首筋を押さえながら入り口に向かうと、扉の前で将軍が膝をついていた。

 私が出てくるなり、機敏に立ち上がる。


「本日はお疲れ様でした。明日も同じ時間に乗馬訓練を致しますので、お忘れなく」

「あ、ありがとうございます。わざわざのお知らせ、痛み入ります……」


 たぶん苦虫を潰したような顔になってしまいながらも私がなんとか礼を言うと、将軍は手に持っていた焦げ茶の物体を私に突き出した。


「陶枕が固すぎると仰っていたでしょう。代わりにこちらをお使い下さい」

「――覚えてくれていたんですね。感激にたえません」


 私は消え入りそうな声で礼を言い、部屋に戻った。

 将軍がくれたのは、滑らかに良く磨かれ、側面には見事な彫刻が施された木製の枕だった。

 泣ける。



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