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皇帝と軍議

 

 禁軍見学が終わると、いよいよこの光威国の皇帝に会えることになった。

 皇帝が国政を行う区画は外朝と呼ばれ、皇宮内の南側に位置していた。将軍に連れられて、皇帝の執務室がある光極殿に向かう。


 皇宮の建物は総じて絢爛だったが、光極殿は他を圧倒していた。

 基壇を登る白い階段には、その全ての段に彫刻が施されていて、豪華すぎてむしろ上りにくい。

 建物を支え林立する朱色の柱は、漆を重ねて立体的な模様が描かれており、その上に更に金箔が貼られて昇竜が描かれていた。


 将軍と私が光極殿の中に入っていくと、中にいたざっと四十人近い者達が次々とこちらを振り返り、両手を胸の前で組んで軽く膝を折った。


(堂々と。堂々と! 狼狽えないようにしなきゃ)


 この国の最高権力者に会う興奮で、床一面に敷かれた金煉瓦に踏み出す足が震える。

 最奥には紫檀(したん)の玉座があり、両側に置かれた大きな香炉から揺らめく煙が、そこに座る者の存在をより神秘的にしていた。思わず呼吸を忘れて、その人物を見上げる。


(この人が、この光威国の皇帝……。あの謙王のお父さんなのね)


 玉座にいたのは、中年の男だった。金糸が惜しみなく使われた、鳳凰(ほうおう)の刺繍がある黄色の衣に身を包んでいる。

 頭上には皇帝しか着用できない冕冠(べんかん)を被っている。上部が平らな板状になったその冠は、数珠状に長く連ねられた玉が前後にぶら下げられていて、皇帝が頭を動かすたびに前後左右に揺れた。言わば、短い(すだれ)付きの冠だ。とりあえず、視界の邪魔そうだ。

 玉座の少し手前、皇帝のすぐ近くには見覚えのある人物が立っていた。謙王だ。

 鉛白色の(さん)の上に、白い半臂(はんぴ)を重ね着している。どうやら私のせいで濡れた衣を、彼も着替えたらしい。私と目が合うと、彼は笑みを浮かべた。

 人々が割れるように道を開け、私と将軍は両側に分かれた人々に見守られる中、皇帝の前に進む。

 右手を左手首に当て、前方に向けながら膝をつき、将軍の見様見真似でお辞儀をする。

 皇帝は薄茶色の目を細めて私をじっと見つめた後で、微笑を浮かべた。


「宝物殿に伝わる絵姿が、まるで具現化したかのようなご容貌をなさっている。白雷刀と大巫者の祈りが軍神殿を、再び我が国にお連れしたようだ。――よくぞご降臨下さった」


 意外にも、皇帝の声はあまり通らない、細いものだった。

 目は落ち窪んでいるし、その白い顔には幾筋もの細かな皺が刻まれていて、痩せているせいか交領(えり)から覗く喉仏が随分と目立つ。


(顔色も悪いなぁ。お世辞にも健康そうには見えない……)


 皇帝が手を叩くと、二人の宮女が現れた。

 両手に螺鈿の木箱が並んだ大きな盆を持っており、私の方へしずしずと歩いてくる。

 宮女達は目の前までやってくると、私に盆を差し出した。

 木箱には玉や貴金属でできた指輪や帯留め、佩飾(はいしょく)といった高価そうな品々が、ぎっしりと収められている。

 その煌めきのあまり、少しの間目がチカチカしてしまう。まさか、私にくれるのだろうか。

 気軽に貰っていい代物には見えないが、かといって遠慮するような空気ではない。まごつきながらも、礼を言う。

 宮女達が退出すると、皇帝は将軍を見下ろしたまま、少し悪戯っぽい声を掛けた。


「宇文将軍。至安門広場で軍神殿と刀を合わせていたらしいではないか。――軍神殿の圧勝だったと聞くが、誠であるか?」


 圧勝ではなかったが、おひれがついたようだ。だがあっさりと将軍が肯定すると、周囲の人々は驚嘆の声を上げた。皇帝が愉快そうに頷く。


「そなたでも、負けることがあるのだな。流石に伝説の軍神には敵わぬと見える」


 皇帝は笑いを収めると、居並ぶ者達を手で指し示しながら、私に言った。


「本日は急ながら、軍議にご参加願いたい」


 それを合図に、次々と私の前にその場にいる人々が挨拶に来た。

 最初に名乗ったのは、門下侍中だった。つまり、怜王の婚約者の父だ。

 円な瞳と小さな顔がどこか愛らしい印象を与えるが、己の出世と自分の家の繁栄の為には、娘を道具のように扱うことを厭わない男だ。そう思うと、彼の微笑の裏に、狡猾さが透けて見えるような気がした。

 続けて中書令と尚書左右僕射(ぼくや)が挨拶をした。ここまでが所謂、宰相に当たる。

 補足するように将軍が私に耳打ちする。


「尚書令は名誉職であり、通常皇太子殿下が任命されます」

「現在は空席なのですか?」

「いいえ。先頃、怜王が任ぜられました」


 それでは皇太子は怜王だと皇帝が公言したようなものだ。つい謙王の顔を見てしまう。気の毒に、彼が起死回生するのは相当困難な状況のようだ。

 軍議に参加するのは、勿論行政職の高官だけではなかった。禁軍を管轄する枢密院の長や、実際に戦地に赴く歩兵軍や騎馬軍を束ねる都指揮使の面々も集まっていた。

 一通りの紹介が終わる頃、遅れて一人の若い男が登場した。


「怜王、遅刻だぞ!」


 咎めるような声で皇帝が玉座から言い放つのを聞き、思わず息を飲んでその男を見つめた。

 遅れてやって来たのは、噂の怜王だった。

 怜王は派手な装束を纏った、非常に目立つ男だった。

 若草色と深緑色の(ひとえ)を交互に重ね、その上に銀糸の紗織りを全面に重ねた大袖の衫を着ていた。

 顔立ちはよく整っていたがかなり細面で、兄の謙王に比べると若干陰気な心象を受ける。

 彼が殿舎の入り口から玉座近くまで歩くその一歩毎に、甘く官能的な香りが漂う。まるで歩く線香だ。頭から煙が出ていないのが、不思議なくらいだ。


「申しわけありません、陛下。兵部と火薬の研究に没頭するあまり、遅れてしまいました」

「火薬とやらは、実用化できそうなのか?」


 興味津々といった様子で、皇帝が玉座から身を乗り出す。


「一年のうちには、必ず。火薬を武器に転用すれば、大陸は我が光威国の版図で塗り潰されることになりましょう」

「なるほど。そなたの知識には目を見張るものがある。朕の期待を裏切るでないぞ」


 そう忠告しつつも(まなじり)を下げて怜王を見下ろす皇帝の顔には、父親としての愛情が滲んで見えた。

 どうやら火薬は、この世界ではまだ開発途上にあるらしい。


 怜王は皇帝には挨拶をしたが謙王のことは無視し、謙王もまた怜王を一切見ようとはしなかった。

 二人は父である皇帝の傍に立ったが、一度も目を合わせなかった。こちらがいたたまれないほど、空気が軋む。

 どう見ても兄弟関係は破綻しているようだ。


 皇帝は居並ぶ官吏達を見つめた。


「国の行く末を左右する重大局面に際し、武官文官交えての忌憚ない意見を朕は求める」


 皇帝は侍従の手を借りながら玉座を下り、ゆっくりと壁の方へ歩き出した。

 壁際には大きな衝立が置かれ、一枚の大きな地図が貼られていた。その国名や地形には、見覚えがあった。将軍が衛帝廟で私に見せた地図に似ているのだ。光威国と周辺の国々が描かれている。

 羅国と光威国の国境には、大きな草原が横たわる。皇帝はそこを指差しながら、苦々しげに言った。


「羅国の奴らは近年、緩衝地帯であるはずの草原に居座っておる。放置すれば領有を主張しかねん」


 素早く隣にやってきた枢密使が、墨を染み込ませた筆で、地図に数字を書き込んでいく。


「各地で募兵した郷軍は、既に訓練を重ねております。北部州に集結させ、精鋭の禁軍と合わせれば我が軍は三十万を超えます」

「生憎まだ戦車隊の準備が整っておりません」 


 枢密副使が話の腰を折ると、更にそこへ私の隣にいる将軍が堂々と割り込む。


「戦車については、先日論議が紛糾致しました。西の小国に対峙するには有効ですが、羅国に対しては懐疑的な意見も少なくありません――明様はいかがお考えでしょう?」


(へっ⁉ ――ここで、急に私に話を振る⁉)


 思わず目を剥いて、隣に立つ将軍を見る。とんだ無茶振りだ。

 この将軍は私をよほど信頼しているのか、もしくは単にいたぶりたいのか。

 いかにも老獪(ろうかい)そうな朝廷の面々の視線を一身に浴び、視線に押し出されるようにして、仕方なく巨大地図の前まで進む。

 なんなのだ、もう。


(とにかく、頭を使え。考えろ。世界史の講師としての知識を、ここで使わなくていつ使うの!?)


 火薬兵器の夜明け前なのだから、この国の戦車とはまさか砲弾を搭載して化石燃料(ガソリン)で突き進む鋼鉄の車のことではないだろう。

 たぶん馬に引かせた木製の馬車に、数人の兵達を乗せて弓矢を射るのがせいぜい彼等の言うところの戦車だ。そしてそれは、騎馬民族相手の戦いでは用をなさないということを、歴史が嫌と言うほど証明している。

 地図から目を離すと重鎮達と目が合う。その視線を一身に浴びながら、意見を述べる。


「戦車は運ぶだけで一苦労です。特に素早い騎兵相手の草原では、寧ろ足手纏いになるかと」


 すると歩兵軍を率いる都指揮使が、我が意を得たりとばかりに、大仰に何度も頷く。


「私が言った通りではありませんか! 馬車一台に二頭も馬を使うなど、無駄もいいところだ!」


 そこへ算盤(そろばん)を片手にした、初老の左僕射(さぼくや)が口を挟む。


「そもそも馬にも全身の鎧が要るなど、浪費もいいところじゃ。軍人は財源という単語をしらんのか」


 あとはもう、誰が話しているのか皆目分からない状態になった。互いに唾を飛ばしあって、次々と意見の言い合いが続く。


 論戦から身を引くと、溜め息をつく。

 将軍は地図から離れ、椅子に腰掛けていた。つまらなそうに宙を見ている。

 やがて将軍は腰帯に下げた巾着袋から、翡翠の数珠を取り出した。それをくるくると手の中で回し始める。

 それはその一珠一珠を指で引いて回すことで、冷静さを保とうとする作業に見えた。

 喧々諤々とした中で、将軍を取り巻く空気だけは妙に静かだった。


「いつもこんな感じで話がまとまらないのですか?」


 声をかけると、将軍はどこを見るとでもない視線のまま、答える。


「仰る通りです。羅国は近年膨張し、強大な軍事国家となりました。三世紀前の条約を破って緩衝地帯に勝手に住み着き始めたのは向こうですが、我々も主戦派ばかりではなく、条約を結び直そうという、講和派も一定数おります。そのせいで軍議が空転しがちなのです」


 私には空転している方が、ありがたい。

 派兵が決まれば、私も戦地に行かされるのは、必至なのだろうから。


「――その数珠、何千回転するんでしょうね」


 すると将軍は手元の数珠の動きを止め、ようやく私を見て小さな笑いを漏らした。


 急に全員が一人の男の話を聞く為に静まり返った。門下侍中が発言したのだ。

 権力者の発言に、皆が聞き耳を立てる。


「武官の方々は、少々話がせっかち過ぎるようだ。羅国の挑発に安易に乗るのはいかがなものでしょう」


 これに都指揮使が反応する。


「明様が天から遣わされたのに、この期に及んで戦を渋れと?」


 門下侍中は皇帝の方を向き、口を開いた。


「そもそも、羅国の民の多くは遊牧をしています。草を追い、夏営地と冬営地を往復するのです。本来彼らは、土地には執着がありません」


 すると皇帝が口を開いた。


「するとそなたは、土地を争って血を流すより講和を選べと?」

「奴らの目的は土地ではなく、実際は物資です。羅国の領土の大半は草原と荒野で、資源に乏しいのですから」


 算盤左僕射が手の中の算盤を激しく振りながら、門下侍中に続く。 


「然り! 先の皇帝の時代も、公主を差し出して絹や鉄を恵んでやったら、咽び泣いて撤退しましたからな」


 ここで軽やかに地図まで進み出て、ようやく発言したのは怜王だ。どこか高みから論戦を見下ろすような、その冷静な表情に周囲の熱気立つ官吏達が、急速に興奮を収めていく。


「刃を交えることだけが、解決策ではあるまい。私もそう考える」


 その意外な発言に、驚いて将軍の袖を掴んでしまう。

 羅国に対して大規模な討伐は時期尚早だという、懐柔や講和派がいるのは理解できる。だが勝利すれば皇位に近づけるのに、肝心の怜王がなぜ討伐に消極的なのか、首を傾げてしまう。

 この皇子は、もしや戦に行きたくないんだろうか。いや、まさか。

 困惑したのは私だけではないのか、中書令が参ったように呟いた。


「殿下までが和睦せよと仰るのですか……」

「戦に勝つことだけが、最善の解決法ではあるまい。損なわれる兵や物資は、計り知れない」

「陛下と殿下のご意見が食い違うようでは、議論が進みませんね」


 それは怜王に対する中書令の失言だったのか、微妙な空気が場を支配する。

 ふと反応を確認すると、謙王は私をじっと見ていた。

 池でのやりとりを思い出す。


(これは……、私が何か彼に有利になる発言をするのを、待っているのかな?)


 胸を見られたのを思い出し、急に焦りを感じる。無意識に胸元の合わせ部分に手を当て、どきどきとうるさく鳴り始めた心臓を鎮めようとする。

 仕方がない。何か言わなくては。

 広い光極殿を沈黙が支配する中、私は敢えて斬り込んだ。今なら中書令を庇うと見せかけて、目立たず皇帝に意見を唱えられるからだ。

 角が立たぬよう、努めて穏やかな調子で発言をする。


「皆様。国境の民を脅かされた上で結ばされる条約は、足元を見られ概して不平等なものです。また中央が暮らしを守ってくれないと不満に思う州軍が、将来羅国に下るきっかけになるかもしれません」


 そう、大国ほど地方の寝返りに気を配らなければならない。長い歴史の中では、敵対国が地方の軍人や有力者を懐柔し、自国に下らせ離反させるのは常套手段なのだ。

 王朝交代の陰には、しばしば味方の裏切りや敵による引き込みがある。

 静まり返っていた官吏達が頷き合いながら、ひそひそと動揺の言葉を漏らす。

 ここまでのところ、謙王は黙ったままだ。その彼に、私は敢えて意見を求めた。


「――殿下はどうお考えですか?」


 謙王の方に身体を向け、真っ直ぐに見上げる。

 釣られて皆が一様に謙王に視線を向けた。

 謙王は一度視線を下に向け、少し考えてから口を開く。


「羅国相手の安易な和睦は危険です。領土は国家の基本であり、農耕民族たる我らは、土地を大事にし、断固とした姿勢を見せるべきです」

「流石です、殿下。まるで総大将のような意気込みを感じます」


 私がここぞとばかりに合の手を入れると、皇帝も思うことがあったのか顎周りの髭を摩り、地図を見つめた。

 だが将軍は明らかに不愉快そうに眉根を寄せ、呆れた表情で私を見下ろした。手の中の数珠はきつく握りしめられ、今にも糸が切れそうだ。




「なぜあのようなことを、仰ったのです」


 軍議が終わると、将軍は光極殿の横から伸びる回廊で私に突っかかってきた。謙王を称える発言をしたのが、気に食わないのだろう。

 腰に両手を当て、今にも私に襲いかかってきそうなくらい、青筋を立てている。


「傍目八目というでしょう。部外者から見れば、単純な理屈です。線香殿下が羅国との戦いに行きたがらないなら、いっそ日陰殿下が行けばいいだけでは?」


 将軍は目を見開き、立てた人差し指を私の口元に当てた。勢い余って私の唇に当たり、ぎょっとして仰反る。


「何という言い草をなさるのです! 線香殿下などと、二度と呼ばれませんように!」 


 日陰殿下の方はいいのか。


「あれっ? 線香殿下がどなたのことか、分かっちゃいました?」

「明様!」


 本気で気分を害したようなので、口を噤む。

 その場を離れようと歩き出すと、将軍に腕を掴まれた。


「どちらへ? 次に明様が行かれるのは、大厩舎ですよ」

「厩舎? 私がどうして」


 戸惑う私の腕を掴んだまま、将軍はぐいぐいと私を引っ張り、回廊を進んでいく。

 腕に巻物を抱えた宮女達がすれ違い、うっとりと将軍を見上げて廊下の端に寄り、膝を折る。

 将軍職の中でも指折りの高位である驃騎将軍を務めているのだから、宇文家はさぞ家格も高いのだろう。軍神を引き摺る将軍様は、どうやら皇宮の女達には憧れの存在らしい。


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