表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/33

殿下、もしや私の胸を見ましたか?

本日、二話目の投稿です。ご注意下さい。

 謙王は桃饅頭をかじりながら、改めて私に焦点を当てた。そうして今更ながらのように言った。


「明様は一見細身に見えても、筋骨隆々とした猛者だと思っておりましたが、どうやら違ったようですね」

「はい。ひょろ細くて頼りなげだ、と将軍からも言われました」


 謙王は目を丸くして、そのままグルリと回した。


「軍神に向かって、なんと命知らずな。でも彼らしいですね」


 二人で笑っていると、茶丸の鳴き声が聞こえた。二人で声のした方向を、ほとんど同時に振り返る。

 花壇や木々に遮られてここから茶丸は見えないが、茶丸の吠え方が少し変で、キャウ、キャイーン、といった甲高く困ったような声なのだ。

 私と謙王は茶丸が気になり、すぐに庭園を横断し始めた。何かあったのだろうか。


「茶丸ぅ? どこ? 出ておいで!」

「茶丸、どこにいる?」


 低木の葉をかき分け、大きな岩の裏も探す。毛玉を探して東屋や木々の間を歩いているうち、大きな人工池に辿り着いた。

 思わずあっと声が漏れた。茶丸は木の小舟に乗っていた。小舟は池を漂って既に池の中ほどまで流され、茶丸の動きに合わせて揺れている。あんなに揺らすと、そのうち転覆してしまうかもしれない。

 謙王の行動は速かった。

 彼は係留してある一艘の小舟の綱を杭から外すと、小舟に乗り込んだ。

 なんとなく流れで私まで同乗してしまう。人手は多い方がいいだろう。

 謙王が櫂を握り、漕ぎ出す。


「茶丸、こっちだ! 暴れるな!」


 近くに小舟を寄せても、茶丸が手を伸ばすはずもない。

 彼は混乱したのか、狭い小舟の中で自分の長い尾を追いかけ、延々と回っていた。小舟が揺れ、水面に細かな水飛沫が飛ぶ。

 謙王は櫂から手を離すと、両手を伸ばして茶丸の乗る小舟に手をかけ、渾身の力で二艘の小舟をくっつける。

 今だとばかりに、その隙に私は思い切って身を乗り出し、茶丸を捕まえた。


「茶丸、暴れないで! いい子だから!」


 こちらの小舟に移そうと茶丸を持ち上げた次の瞬間。彼は私の胸を思い切り蹴り、こちらの小舟へと飛び移った。

 踏み台にされた私は、あえなく体勢を崩し、背負う金の重さに耐えかねて小舟と小舟の間に倒れこむ。


(まずい、落ちる!)


 私の体重がかかった小舟は大きく傾き、眼前に水面が迫る。その直後、全身に刺すような痛みと冷たさが走った。

 ――池に落ちたのだ。

 水のあまりの冷たさに呼吸が一瞬止まり、全身がぎゅっと石のように縮こまる。

 衣は水を吸い、重りのように全身に纏わりつき、体を沈めていく。

 背負う風呂敷包みが崩れ、金属音と共に背中が急速に軽くなる。最悪なことに、中身が水中に落ち始めていた。

 何とか小舟に手をかけて顔を水面に出すと、すかさず謙王が私の両脇に手を入れ、歯を食いしばりながら全力で上に引き上げてくれた。

 私が再び乗った重みで、小舟がギシギシと左右に揺れる。

 急いで風呂敷を足下に下ろすと、中は空になっていた。なんてこと。


「私の全財産……、じゃなくて桃饅頭が‼」


 船べりから顔を出して池を覗き込もうとすると、謙王は弾かれたように腰を上げ、私の腕を掴んだ。


「危ない! また落ちますよ」


 振り返ると謙王は私の腕から手を離した。

 なぜか私の胸元に視線を固定した状態で、瞠目している。

 まるで感情を一切こそぎ落としたような、間の抜けた表情だった。何を凝視しているんだろう――と、つられてその琥珀色の視線を追うと、今度は私が仰天する番だった。

 (ほう)の腰帯が解けて、前部分が大きくはだけていた。胸がほとんど見えている。

 頭の中が、一瞬で真っ白になる。

 急いで襟を掴み内側に寄せると、謙王を睨み上げる。見られた焦りと腹立たしさ、そしてやはり羞恥心を堪えきれずに、顔が熱くなるのを感じながら。


「……見ましたか?」


 謙王は今更ながら慌てて首を横に背け、激しく瞬きを繰り返しながら、額を指で押さえた。

 じりじりとしながら返事を待っていると、やがて彼は呟いた。


「これは、一体どういうことなのか……。聞いてもよろしいでしょうか。――明様は、女性なのですか?」

「はい、生まれてこのかたずっと女です」


 気まずい沈黙がいたたまれない。

 その時、何やら大きな声を上げながら遠くの宮と宮の間を歩く人物の姿が、視界の端に入った。――将軍だ。きょろきょろと首を振りつつ、誰かを探しているようだ。十中八九、私を探しているのだろう。

 まったくもう、間が悪すぎる。なんで今なんだ!

 とにかく隠れるしかない。

 慌てて小舟の陰に、身を伏せる。隣に座る謙王にも咄嗟に手を伸ばし、一緒に低く伏せさせる。


「どうされたのです?」


 謙王は姿勢はそのままに、首を伸ばして私の視線を辿った。遠ざかっていく将軍の後ろ姿を共に見ながら、私の耳元で囁く。


「あれは、不死身将軍じゃないですか」

「――驃騎(ひょうき)将軍じゃないんですか?」

「不死身の驃騎将軍、宇文弦月(げんげつ)ですよ。砂漠や大海原で遭難しても、断崖絶壁から落ちても生還したらしい。二十四という若さで、皇帝陛下の覚えもめでたい。……将軍は明様が女性だと知っているんですか?」


 知らないから、問題なのだ。無言を貫いていると、謙王は聞かずとも答えを悟った。


「なるほど。軍神の化身が一体なぜ、女性なのでしょう?」

「どう思われても結構です。私もよく分からないんです。突然空から刀が降ってきて……気がついたらここにいたんです」

「それで皇宮からお逃げになろうと? ですがあの将軍から逃げるのは至難の技ですよ。きっと地の果てまでも追ってきますから」


 謙王は伏せるのをやめ、座り直した。続けて私を起こすと手を伸ばし、解けかけた私の腰帯の端を掴んだ。そのまま私を、強く自分の方へ引き寄せる。

 勢い余って、謙王にぶつかりそうになる。

 その上、急な体重移動のせいで小舟がまたしてもぐらつく。


「何するんですか! 舟がひっくり返ってしまいます。離して下さい」

「じっとしていて下さい。よろしいですか? 帯の結び方が甘いのです。結んだらこうして余った端を、中に入れ込んで下さい」


 説明を交えながら、謙王は私の腰帯をきゅっと絞め、長さを整える。

 帯を丁寧に結び終えると、彼は私の肩に手を回し、自分の毛皮の肩掛けを貸してくれた。ここで初めて、私は自分が寒さに震えていたことに気がつく。謙王の温もりが肩掛けに残っていて、温かい。

 この人はどういうつもりなのだろう。困惑していると、謙王は優しげな笑みを浮かべた。


「大丈夫。今見たものは、誰にも言いませんよ。でも提案があります。もし、皇帝陛下に意見を求められたら、弟の怜王ではなく、私を総大将に推薦して下さいませんか?」

「提案というより、脅迫の方がしっくりきますね」


 謙王は声を立てて爽やかに笑い、頭を振った。


「一蓮托生の仲間ですよ。皇宮で生き抜くには、協力者が必須ですから」


 謙王は小舟を岸につけると、先に降りた。そうして茶丸を抱き上げた私に、手を伸ばす。

 渋々ながらも、その手を掴むしかない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ