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草原の戦い

 橋は未明に完成した。

 そして作業員が工具を持って離れるや、第一部隊がその木組みの橋の上を、走り抜けた。

 橋の(かたわら)には赤地に黄色で「光」と描かれた光威国の軍旗を背負った武官が立ち、一つの部隊が渡り終えるなり大きな銅羅を叩いて、次の部隊に進む合図を送る。

 私のいる第三部隊が橋を渡り終え北上すると、ついに日が昇った。


 いまだ薄暗い地平の先に、布陣を組んだ羅国兵達がいるのが見える。

 ぞくり、と全身の鳥肌が立つ。

 いよいよ敵軍と第三部隊が対峙するのだ。

 私達の動きに気づいて慌てて天幕から飛び出し、急いで武装しここまでやってきたのだろう。揃いの茶色の衣を纏った羅国兵達はいまだ陣形が整わず、動いている最中だった。

 作戦は大当たりをしたようで、先に攻め込んだ将軍達の部隊は破竹の勢いで羅国軍を押した。

 その動きは予想以上に速く、もう将軍達の姿が見えない。

 羅国兵は第一部隊に気を取られ、私達の動きには対応していなかった。

 第一部隊に対応するために陣形を変えていたところに、第二部隊が突っ込む。その後方を、謙王率いる第三部隊が駆け抜けたのだ。


(暑い……。体中が重いし、(よろい)を脱ぎたい)


 纏う防具を風が通らず、こめかみから頬を汗が伝う。

 私達の攻撃に気がついた羅国軍が、けたたましく銅羅を鳴らしている。円形の盾を掲げた羅国兵が急いで集まり、こちらに向けて密集して掲げ、飛来する矢に備える。

 謙王と私がいる位置からは、第三部隊の先頭に布陣する兵達がよく見えない。

 だが前方の空高く、砂埃が舞い上がり、両軍が衝突したことが分かる。

 砂埃が舞う前線は見る間に羅国側へと動いていき、こちらが押していることが分かる。


「左側に回れ! 今のうちに包囲するんだ!」


 謙王の命令が響き渡る。

 謙王と私がいる位置は小高い丘状になっており、謙王は軍旗を掲げてそこで指揮をとった。私達の周囲は、腕のいい禁軍の上級兵が警護をしてくれている上、前線からは距離があり、矢が飛んでくることはない。

 羅国軍と衝突するうち、部隊内のいくつかの箇所が手薄になっていく。謙王はそこを的確に見抜き、歩兵や騎兵を補充していく。

 ふとあることに気がつく。

 羅国の兵達が乗る馬は、皆黒毛馬だった。近くで指揮をとる謙王に、同意を求めて声をかける。


「殿下、敵兵に黒毛馬しか見かけませんね。私達が砦に泊まった時は、栗毛馬も多かったのに」

「本当ですね。まるで驃騎将軍の黒風が、たくさんいるみたいですね」


 やがて私達は北へと進み、完全に平らな土地に出た。土埃が辺り一帯に舞い、視界が極めて悪い。


(全体の動きが、もう見えない。他の部隊は?)


 羅国は重装した歩兵部隊を前面に出していた。だがこちらが放った火矢が重装備で密集した歩兵部隊に刺さると、火は見る間に広がり、陣形を大きく崩した。


「敵が陣形を整える隙を与えるな! 騎兵隊、前へ!」


 謙王は敵の動きを見逃さなかった。即座に指示を出すと、間を置かずに騎兵隊が突っ込んでいく。

 羅国の歩兵は、馬に乗って槍を振り下ろす光威国の騎兵の前に、ただ逃げ惑うしかない。

 羅国軍が、崩れるように撤退していく。その殿を逃すものかと、光威国軍が追う。


 速かった。両軍の状況は目まぐるしく変わった。

 謙王と私は第三部隊に指示を出しつつ、護衛と一緒にどんどん北上した。


 草原を渡る乾いた風が、何か長い物体を巻き上げる。大地に転がる折れた長い旗だ。

 おそらく兵達の衝突後、置き去りにされた軍旗だ。

 見たくない。気づきたくない。

 気にしない振りをしてここまで来たが、万里は真っ直ぐに歩けていなかった。

 万里は地面に転がる兵達を避けながら、進んでいるのだ。

 すぐ真横に仰向けで転がる兵の顔を、目をすがめながらチラリと確認する。それはよく日に焼けた丸顔に濃い髭を生やした、いかにも羅国人らしい風貌の中年男性だった。まだ息があるのか、顔を歪めている彼の首元に、私の護衛の一人が槍を突き立てる。


「――っ!!」


 悲鳴を噛み殺し、さっと顔を背けてしまう。

 後続の兵達は、こうしてとどめを刺す役割も担うのだ。

 振り返れば、大地には兵達と折れた軍旗が累々と転がっていた。

 土埃を舞い上げて私達が通り過ぎていった草原には、散らされた命が横たわっている。

 壊れた人形のように動かない遺体の上を、千切れた旗の端切れが蝶のように舞う。

 光威国軍は疾風怒濤の勢いで、敵を薙ぎ倒していった。

 護衛の禁軍兵の一人が、キラキラと目を輝かせ、私に言う。


「我らの作戦勝ちですね! 流石は軍神様です」

「まだ勝敗は分かりませんよ」


 ここまでは上出来だ。だが、舞い上がってしまっては、冷静に考えられなくなる。

 最後まで慎重に行動しなければ。

 そう考えつつも、勝利に近づいている――そう確信しそうになった時。

 ふと、衛帝廟でのある場面が頭の中をよぎった。

 私と将軍が初めて会った時。

 赤と黒を着こなし、挑むような視線を私に投げながら、将軍はあの時なんと言った?


「草原で羅国軍を待ち伏せし、挟み撃ちにするとしたら、いかがです?」


 重低音の美声が、耳の中にこだまする。

 掌の中の手綱を、無意識に硬く握りしめる。

 全身の血流が、勢いを増す。


(ここまで、出来過ぎている。何かが、おかしい)


 乾燥と砂埃にやられ、濁る視界を少しでも良くさせようと、手の甲で目を擦る。

 首を巡らせ、懸命に謙王を探す。いつの間にか、彼は私より随分前方を陣取っており、距離ができていた。


(しまった。謙王があんなに前に出てる! 流石に陣形を崩し過ぎだ)


 殿下、深追いせずに一旦様子を見ましょう――そう言おうとした矢先。

 右斜め前方から、突如として何百という軍旗が上がった。茶色に身を包んだ騎兵隊が、忽然と現れたのだ。


「右翼を固めろ‼」


 謙王が時を置かずに命じる。

 私は駆けあがり、なんとか謙王の隣まで万里を寄せた。


「殿下、あの騎兵達の馬を見て下さい。全て白馬です!」


 謙王は軽口どころか、返事をするゆとりもない。だが私達第三部隊は、戦局を動かしていたのではなく、待ち伏せされたのだ。


「きっと配置によって、馬の毛色を揃えているんです。――殿下、つまり私達はどうやら計画的に敵に囲まれたようです!」

「囲まれた――?」


 謙王は一歩遅れて私の言ったことに気がついた。前と斜めだけでなく、急ぎ過ぎた私達は既に背後も取られかかっていた。私達は第二部隊と間を開けずに右翼を攻撃しているはずが、いつの間にか誘導されて孤立していたのだ。

 第二部隊は私達よりも東の地点にいるのだろう。将軍がいる第一部隊など、遥かその先だ。


「第四部隊が後ろに続いているはずです。彼らが到着するまで、なんとか耐えましょう」


 謙王は隊列を半分に分け、急いで背後からくる羅国兵に備えさせた。

 謙王自らも抜刀し、味方に(げき)を飛ばしつつ、敵兵を攻撃する。


(味方は、まだ? 第四部隊は、いつ来てくれるの?)


 駆ける万里に乗っているだけで全身が悲鳴を上げる。防具のせいで体が重く、鞍に叩きつけられるお尻は、感覚がなくなるほど痛い。

 敵味方入り乱れ、大局を確認するどころか周囲の様子にさえ気を配る暇がない。


「殿下! 殿下はどちらですか?」


 必死に謙王を探すが、もはや彼の所在すら掴めない。

 ――援軍は、いつ合流してくれるのか。

 私達は北側から第四部隊が追いついてくれることを期待し、背後の羅国兵を集中的に攻め続けた。

 だが援軍は来なかった。

 向こうも攻撃されたのか、こちらが遠ざかり過ぎたのか。知る術がない。

 そして味方の騎兵が次々に矢による攻撃で落馬し、絶命していくのを目の当たりにした時。

 私は確信した。


(だめだ。完全に包囲される前に、撤退するしかない)


 断末魔のような(いなな)きを上げ、馬達が倒れていく。馬上の兵達が今までの矢による被害とは異なり、当たった直後にふっ飛ばされるように地面に転がる。

 その脇腹や首には、太い矢が刺さっていた。普通の弓からの射撃ではない。

 弩弓(どきゅう)――発射機付きの弓で射られた矢だ。

 これを使われてはもう、一切の防具が役に立たない。

 強風と砂埃が、完全に視界を奪う。

 だが羅国の民は慣れているのか、矢がどこからともなく飛んでくるのだ。

 砂に慣れていない万里も、勝手な行動を取り始め、指示していない方向に向かおうとする。

 やがて謙王の声が響き渡った。


「第三部隊、全軍撤退‼」


 苦渋の決断だった。


(途中まで、うまくいっているように見えたのに!)


 でも、いつの間にか敵の策にはまっていた。

 盤上の駒の色が、気づかないうちに敵の色だらけになっていたのだ。


 

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