将軍さまの無茶振り
林を出ると、幾つかの街や村を通り過ぎた。どこも入り口に城門があり、石造りの城壁が住民を守っている。
木造の建物は屋根という屋根に瑠璃瓦が被せられ、圧巻だ。
(綺麗だけど、それどころじゃない。この状況は、やば過ぎる……)
馬車から外の景色を見つめているうち、寒さにもかかわらず全身に汗が滲み出す。
街中ならばどこにでもあるはずの電線や、見慣れた高い建物が全く見当たらないのだ。
ここはどう考えても日本ではないだけでなく、多分知っている世界ですらない。
(――まずい。逃げる隙がない)
間もなく私は焦り始めた。隣に座った将軍が、道中ずっと話しかけてきたのだ。
「瀛州の神仙達は空を飛ぶと聞きますが、本当なのですか?」
とりあえず今は軍神の化身になり切るしかない。私は断じて泥棒ではない。
胸を逸らして答える。
「はい。瀛州では銭を出せば空を飛び、海に潜ることも可能です」
飛行機と潜水船で。
「銭がかかるのですか。意外と世知辛い所ですね」
「そ、そうですかね……。ところで、羅国への出兵はいつ頃を予定しているのですか?」
「再来月の元宵節の後になるのは確かです。真冬に兵を遠征させれば、寒さで指を落としかねませんので。ただ、実はまだ総大将を誰にするかで、揉めております」
そこまで話すと、将軍は光威国の現状について説明を始めた。
この国では現在まだ皇太子が決まっておらず、二人の皇子が皇位争いを繰り広げているのだという。
前皇后を母に持つ第一皇子の謙王と、現皇后の生んだ第二皇子の怜王だ。
性格も合わない二人の皇子達は、現在犬猿の仲だという。
かつて朝廷内では、謙王が優勢だったらしい。だが皇帝の寵愛が怜王の生母に移ったことで、怜王が優勢となった。
「謙王の婚約者は宰相職でもあり、現在絶大な権力を握る門下侍中の一人娘でした。ところが今では、彼女は怜王の婚約者になっています」
門下侍中とは行政機構である三省のうち、門下省の長官のことだ。
要するに、すっごく偉い官僚だ。
謙王は踏んだり蹴ったりのようだ。悪いことは続くものだ。微かに親近感を覚える。
「問題は、怜王に比べて圧倒的に謙王の方が、民から人気があることです」
謙王は貧者の為の宿泊施設や孤児院を私費を投じて設営しており、民から根強く慕われていた。
そこで皇帝は怜王を大きな戦で総大将に据え、勝利を与えて立場を固めさせたいらしい。
「怜王が戦績を収めれば、その名が一気に上がります。謙王の名声も霞むでしょう」
「将軍もその第二皇子に、皇太子になってほしいのですか?」
「皇帝陛下のご意志が私の意志ですから。朝廷にはまだ戦に二の足を踏んでいる者もおりますが、明様がその赤い袍で馬に跨がり戦地に赴けば、皆がついてくるでしょう」
将軍は微笑を私に向けた。その目だけは笑っておらず、奥に獰猛な武官としての姿が透けて見える。私は多分、彼にとって貴重な軍旗なのだ。
人と志を集める為に振り、折れてしまえば草原に置き去りにされるかもしれない。
「皇宮内には広い部屋を準備させます。禁軍の訓練にもぜひご参加下さい」
「それは、楽しみです。ははは」
私のとってつけたような笑いに将軍も付き合って笑ってくれたが、やはり眼光は鋭いままだ。
口振りは穏やかだが、その射るような瞳だけは無機質で低温に思える。
(だめだ。逃げられない。――なんなの、この人。全然、隙がない‼)
馬車の中で時が経つにつれ、焦り出す。
私が少し腰を浮かせるだけで、この将軍はこちらを振り向くのだ。
昨夜の宴会で余った饅頭を弁当代わりに詰め、左手だけは常に風呂敷包みの上に待機させ、いつでも金を掴んで脱走する心の準備ができているのに。
やがて馬車は暗い林に入った。
道はある程度整備がされ、両脇に夾竹桃や槐の木が植えられてはいたが、狭くて通りづらい。馬車はかなり速度を落とした。
将軍の部下達が馬車の前後につき、先導を勤めてくれている。
すると突然馬車が止まった。
「くせ者です! ――将軍、盗賊が出ました!」
御者がそう叫び、金属のぶつかり合う音が続く。
(なになに、めっちゃ怖い!!)
馬車の入り口に垂らされている幕をめくり外を覗く。道の少し先で、武官達が短刀を携えて向かってくる男達と、刀をぶつけ合っている。
男達は全員で二十人ほどで、汚れてあちこちが破れた衣に身を包んでいた。明らかにこちらより数が多い。
大変だ! と顔を車内に引っ込めると、将軍と目があった。
将軍は外を見やりつつ、その端正な顔に不適な笑みを浮かべた。
(あの人数の盗賊を、倒せる自信があるのかな? それならひと安心……)
だが将軍は、思いもよらないことを言った。
「明様には敵にもなりますまい。腕試しとしては力不足が過ぎる相手でしょう。――私はここでお待ちしておりますので、遠慮なく存分に盗賊どもを懲らしめて下さいませ」
「えっ⁉ なにそれ。……私が戦うの? 貴方、将軍なんでしょ?」
「一介の将軍ふぜいが、軍神を差し置いて戦うなど、おこがましく存じます」
(なんだその屁理屈! この将軍、戦う気はまるでなし? 一体私に、どうしろと……)
外の様子を再度確認すると、武官達が随分と押されてしまっている。
このままではいけない。かと言ってあの人数に直接立ち向かえば、秒で倒されそうだ。
垂れ幕を抑えながら辺りを窺う。風上にいるのか、揺れる木から毟り取られた緑の葉が、戦っている武官と盗賊達の方へ飛ばされていく。
低木に鬱蒼と茂る、濃い緑色の尖った長い葉と、馬車横の提灯を交互に見る。
道なりに並ぶ低木は、夾竹桃だ。夏に可愛い花を咲かせ、目を楽しませるが、毒を持っている。強毒で根元の土にまで毒があると言われる。
(この世界の夾竹桃も、同じような毒性があるかは分からない。でも将軍は高みの見物だし……。一か八か、これを使うしかない――!)
私は手を伸ばして馬車の垂れ幕を引きちぎると、車外へ出た。腕に幕を巻きつけ、枝を折って地面に積み重ねる。提灯をその上にどさりと落とすと、すぐに火が燻り始めた。
生木は燃えにくいが、夾竹桃の毒はそれを燃やした煙にも含まれる。
やがて私に気づいた盗賊の一人が、こちらへ駆けてきた。
両手で燃える枝を掴み上げ、盗賊の方へと走る。煙は風に乗って盗賊の方へ向かったが、賊はそれを気にする様子もなく、短刀片手に向かってくる。
急に賊が両目を押さえて立ち止まった。
煙に含まれる毒が、目に悪さをしたらしい。
恐怖から震える手で、枝を掴む。
火がより広がるように枝を大きく振りながら近づくと、他の盗賊達も足元をふらつかせ始めた。有毒な煙による、目眩や脱力の症状が現れたのだろう。
乱闘していた彼らは既に呼吸が深く激しいので、短時間で大量に煙を吸っていた。
そのまま彼らの周囲を自分が風上にいるように注意しつつ、徘徊する。
「馬車を出して下さい!」
御者に叫びながら盗賊達に近づいていくと、まだ立っている者達は目を押さえながらも短刀を放り出して逃げていく。後には歩けなくなった盗賊と、一緒に戦っていた武官達が毒を吸ってしゃがみ込んでいる。
動ける武官達の手を借り、ふらつく者達をどうにか立たせ、皆を馬車に引き込む。
ふと顔を上げて気がついた。今なら皆が混乱に陥っているし、弱っている。
(逃げ出すなら、今のうち――⁉ もしやこれって絶好の機会?)
そんなことを考えながら、今しも乗り込もうとしていた馬車から、一歩身を引いた瞬間。
「明様、どちらへ? 早くご乗車下さい」
馬車の入り口に将軍が現れ、私に手を伸ばした。思わず固まってしまう。
将軍の左手は、私の風呂敷包みの上に乗せられ、上部をしっかりと握っていた。あれなしには、流石に逃げられない。
「――まだ出発できません。火を消さなければ、二次被害が出ますので」
なんとか反論すると未だ燻る枝の下へ行き、地面に何度も叩きつけて火を消す。その作業中に幾らか煙を吸ってしまったらしく、ふらつく足で枝から離れると、下車してきた将軍がすかさず私の手を取った。
そのまま馬車まで引っ張り、私を乗せる。
馬車が出発すると、気分は最悪だった。
(うえぇぇ、気持ち悪い)
毒のせいで吐き気がする。馬車に腰を落ち着けて壁に寄りかかると、背中越しに疾走する車輪の振動が伝わる。
虚ろに目を上げると、将軍と目が合った。彼は扉の役目を果たしている垂れ幕を直しながら、言った。
「直接手を出さずとも全員退治なさるとは、流石です。ですが、味方に被害が出るのは、最良の策とは言えないのでは?」
(だったら自分でその最良の策とやらを披露すれば良かったじゃないの‼)
反論したかったが、口を開けば吐いてしまいそうで、私は貝のように口を閉じた。
この将軍は、とんだ食わせ者だ。