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黄龍川を渡れ

 ひときわ大きい天幕の中で、軍議が開かれた。

 携帯に便利な折り畳み式の大きな円卓の上に、丈夫な羊皮紙でできた地図が広げられ、将校達が覗き込んでいる。

 筋骨隆々としている男達ばかりで、広い天幕の中が局地的にすし詰め状態だ。

 草原を吹き渡る風が、入り口の垂れ幕を巻き上げ、常時風が吹き込んでいるのに、熱気で円卓の周りが暑い。

 両国の緩衝地帯にいる我々は、黄龍川をどう渡るかを討論していた。橋は細く貧弱なものが一本あるのみで、これでは全軍が渡り切るまでに、時間がかかり過ぎてしまう。


 斥候(せっこう)がもたらした情報によると、羅国は謙王の脱走を受け、烏楼(うろう)国を警戒して西側に送っていた兵達を大至急戻し、大軍を緩衝地帯の北部に集結させているのだという。

 今や両国の大軍は、黄龍川を挟んで睨み合っていた。

 黄龍川は西から東に流れ、途中の森で分岐しそこからは二俣に流れる。本流は北へ向かい、浅い小川は南へ伸びていく。私は川の中間地点の南岸を、筆で指し示した。


「今の季節、水量が多くて歩兵は黄龍川を渡れません。そこでまずはここ――川の南岸から、羅国側へ繋がる橋を建設するのはいかがですか?」


 隊列の中には、工事を担当する武官達もいる。

 川の隣接する三箇所に、私が筆で簡単な三本の棒を描き、橋の位置を明らかにすると瑞玲が頷いた。


「なるほど。そこから一気に攻め込むのですね」

「いいえ。これは羅国の目をくらます為の陽動です」


 えっ、と皆が一様に目を見開き、地図から顔を上げた。私に注目が集まる。


(――私だって、勝利を確信しているわけじゃない。絶大な自信があるわけでもない)


 地の利は羅国にある。ならば真正面からの衝突を避け、作戦で有利に立たねばならない。

 皇宮で何度も地図を眺め、軍議を開くうちに頭の中に浮かんだのは、西欧である有名な武官が採用した作戦だった。

 元いた世界の東洋には、共通の兵法が広く浸透していた。戦のたびに活用されてきたが、その有名さのあまり、時には敵に読まれて裏をかかれていた。

 ここ光威国にも内容の似た兵法書が出回り、教養の一つとして武官達に愛読されていた。

 羅国の意表を突くには、異世界とはいえ東洋ではなく遠い西洋の戦で講じられた策から、学んだ方がいい気がした。

 私は森の中を走る黄龍川に、南東から西に筆を滑らせて新たに三本の線を書き加えた。


「我々が実際に渡るのはここからです。真っ直ぐに北進して会敵するのではなく、迂回して南東から渡ります。その方が敵の防備が手薄だからです」


 そして東から攻めるのは、他にも理由がある。

 羅国の西側は大小様々な遊牧国家が乱立しており、羅国と小競り合いが絶えないと聞いている。烏楼国もそのうちの一つだ。

 西に敗走させれば、羅国は軍勢の立て直しをしにくくなるだろう。

 戦には小規模の衝突を繰り返し、勝利を積み重ねて相手にじりじりと打撃を与え、降参させる方法もある。

 だがとりわけ機動力の高い遊牧国家を相手にする草原での戦いは、「先手を取り、より迅速に、一度に叩く」が鉄則だ。戦況が短期に目まぐるしく変化する為、遠征先で時間をかけるには、こちらの体力が持たない。

 地図を覗き込む将校達から少し離れて立っていた謙王が、工事を担当する技師に尋ねる。


「実際に橋を架けるとなると、工期はどのくらいだ?」

「最速で三日かと」


 将校達が頷く。私は森の中の橋を、再度指差した。


「南岸の橋が完成次第、こちらの架橋に入って下さい。――こちらは二日で完成させて下さい」


 二日? と皆がどよめく。


「二度目は一度目より短期で済むはずです。この工事と並行して、各部隊の行軍と作戦浸透を進めます」


 一同は静まり返っている。

 全軍が速やかに川を渡る橋は、必須だ。

 筆を硯に戻し、将校達を見渡す。

 渋面のもの、戸惑うもの、納得した様子のもの。反応は十人十色だった。

 謙王はいつもの穏やかな様子だ。将軍は微かに両眉を顰めている。

 外にいる十余万の兵達の命を左右するのだ。尻尾を巻いて逃げ出しそうなもう一人の自分を、どうにか強気で押さえつける。


「これだけの兵力を敵からは隠せません。優位に出る最大の手段は、羅国が真相に気づき反応する時間を与えず、先制することです」


 皆が技師に視線を動かした。顔に深い皺を作り、渋い顔で地図を睨んでいた技師はやがてゆっくりと首を縦に振った。


「やってみせましょう。すぐに、橋梁建設に取りかかります」


 技師は両手を胸の前で組み、頭を下げた。そして身をひるがえすや、早足で天幕から出ていった。





 南岸での工事には見張り兵が常駐した。

 さらに、将軍が何度も工事の様子を見に行った。

 人材を割くほど、羅国の注意をそちらに向けられるからだ。

 技師の宣言通り、目眩しの南岸の橋は三日で完成した。

 そして森の中の橋の完成を待つことなく、私達は森に向けて進軍を開始した。松明は持たず、月明かりだけを頼りに。


「明様、あまりに軽装過ぎます。防具を胴回りにしか着けてらっしゃらないとは」


 天幕をでて間もなくすると、将軍が私の隣に馬を進めてきた。

 将軍をはじめ、将校達はほとんどが足や腕にも、金属製の当て材を着込み、全身防護に努めていた。


「でもそんなに重いものを着込んだら、万里から落ちてしまいます」


 私は胴回りを守る鎧を着るだけで、精一杯だ。これでさえ、小さな金属片を繋ぎ合わせたものなので、重い。

 だが将軍は納得しない。彼は黒風の手綱をぐいっと右に引き、万里に急に寄せてくる。


「太腿に怪我をされたら、どうなさるのです。それに落馬に備えて、(かぶと)も必須です」

「そうですねぇ」

「明様はただでさえ、他の兵達と異なり真っ赤な(ほう)をお召しです。目立ちますので、狙われやすいのです」


 確かにそうだ。

 だがかと言って、私が兵達と同じ臙脂(えんじ)色で身を包んだら、もう誰だか分からないじゃないか。

 この衛明の衣装を纏っていなければ、その辺のただの少年だ。何しにきたのか、分からない。

「後で、着ます」と言いながらあくびをすると、将軍は目を見開き束の間絶句した。


「まさか、眠いのですか……?」

「はい。だってもう、普段は寝ている時間ですし」


 見上げれば、満天の星だ。

 凄く綺麗だけれど、うっとりと見上げるような心境には残念ながらない。

 しかもここ数日は心労のあまり、よく寝れない日が続いた。


(私は不死身の貴方と違って、繊細なのよ)


「――戦場でお眠りにならないで下さいね」

「まさか! 流石にそんなに呑気じゃありません」


 言い終えるそばから新たな欠伸がこみ上げ、目尻に溢れた涙を長手袋の指先で拭う。

 将軍はそんな私の様子を見て、呆れたように溜め息をついてから、首を左右に振った。


「やはり、第四部隊にお移り下さい。第三は危険です」


 将軍の提案に困惑する。全軍は大まかに分けて四部隊に分割している。

 将軍率いる第一部隊は先頭に立ち、黄龍川を渡り次第、その勢いのまま敵陣に雪崩(なだ)れ込み、羅国軍の左翼を叩く。

 第二は敵の南側に回り込み、攻撃をしかけることになっていた。第三は右翼を狙い、第四は手薄な場所を最後に埋める予備団だった。


「こんな真っ赤で派手な衣装を着ておいて、補欠みたいに後ろに隠れていたら、いい笑い者です」


 反論すると将軍は間髪容れずに言った。


「誰に笑われるというのです。いえ、たとえ笑われようと、安全なところにいらっしゃるべきです」

「ご自分は一番危険な位置に陣取りながら、何を言ってるんですか!」


 草原の先に黒々とした森が見えてくると、私は将軍に言った。


「将軍こそ、どうかお気をつけて」


 将軍は尚も何か言いたそうながらも、コクリと小さく頷くと、黒風を走らせ元いた前の方の隊列へと戻っていった。


 森に到着すると、橋は最後の仕上げの段階で、三本のうち二本は完成していた。

 川岸で騎乗したまま、その完成を待つ。

 皆緊張の為か、もしくは少しでも体力を温存する為か、誰も口を開かなかった。

 無言のまま万里の背の上で、風が揺する葉の囁きを聞いた。

 謙王と馬を並べて待っていると、兵達の間を縫って将軍が歩いてこちらにやってきた。

 両腕に何やら防具を抱えている。

 将軍は何も言わずに私の腕を取り、革製の当て材を巻き、両端についている紐を縛り始めた。


「し、将軍……これは」

「防具をつけて下さいとお願いしたではありませんか。――外さないで下さいね」


 両腕と脛にも当て材をつけられ、体が一気に重くなる。


(ありがたいんだけど、重みで乗馬が難しくなるんだよね。困ったな)


 乗馬は左右に体が振られる。防具の重みで、その振られ幅が大きくなり、バランスを取るのが難しくなるのだ。

 乗馬初心者の私には、かなり厳しい作業だ。


「明様。そんな顔をせず、こちらも被って下さい」


 困惑が顔に出てしまっていたらしい。表情筋を緩めようと、両手で自分の頬を叩く。

 将軍は金属の(かぶと)を差し出してきた。


「お気遣いありがとうございます。――橋を渡ったら、ちゃんと被りますから」

「今、被って下さい。私を安心させて下さい」


 兜を受け取り、しばし硬直する。

 万里の横に立ち、私を見上げる将軍の切れ長の瞳に、私の背後の木の枝の影が映り、揺れている。隣にいる謙王も、将軍に加勢した。


「多少重くとも、装備は厚くしたほうがいいでしょう」

「分かりました。私も被ります」


 被れば安心してくれるなら、被ってやろうじゃないの。

 季節は春真っ盛りなのだ。金属の帽子なんて、被ったら頭皮が猛烈に蒸れそうだけど。

 兜を被ると、重みで首に負担を感じた。


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