敵国の夜を動く
「両国の友好と繁栄に、乾杯!」
羅国王の野太い掛け声と共に、宴会は始まった。
大きな円形の机に、料理が山と並べられる。羊肉の料理が多いようだが、臭みは全くなく、爽やかな草のいい香りが漂う。鮮度が抜群の羊肉なのだろう。
その机を囲うように遠巻きに長椅子が配置され、皆そこに自由に座った。
国王は新書交換が済んだ安心感からか、酒を次々に仰いでいた。
そういう伝統なのか分からないが、杯からちびちび飲んだりはせず、大きな白磁の瓶から直接がぶ飲みをしている。飲むたびに口元から酒が溢れ、髭の周りは濡れそぼっている。
(これを豪快って言うのかな。――いや、違う気がする)
羅国王は私達にその手の中の瓶を突き出し、自慢げに語った。
「これは隣国の烏楼国から強奪した物でしてね。見事な代物でしょう?」
雪のように白い磁器に群青色の鮮やかな模様が描かれており、確かに品のある逸品だ。だが羅国王の品のない飲み方が、全てを台無しにしている。
傍では楽人が胡弓に似た楽器を演奏し、宴会を盛り上げる。
やがて酒が進むと、私は酒瓶を携えて立ち上がった。この辺りで、動かなければ。
王妃の席に向かい、その隣の席に腰を下ろす。続けて、光威国から持参した螺鈿の木箱を差し出して見せる。
「こちらは光威国の匠が作ったものです。お美しい北の王妃様の御身を飾ることができれば、幸いです」
中身は翡翠と珊瑚の髪飾りだ。実は光威国の皇帝から以前、私が貰ったものだ。横流しもいいところだが、国の為に使うのだから、許して欲しい。
王妃の機嫌を爆上げした直後、何気なさを装って私は呟いた。
「――王妃様はご本心では、我らの和平を歓迎されてはいないでしょうねぇ」
「まぁ。とんでもございませんわ。なぜそんなことを?」
私は物憂げな目つきで王妃を見てから、同じく持参した小型の巻物を彼女に手渡した。こちらは将軍に頼んで入手した巻物だ。
王妃がゆっくりと巻物を広げ、描かれた人物画を見つめる。
「美しいでしょう? その方は光威国の公主です。和平条約が締結された暁には、皇太子殿下は和睦の証に、その方をこちらに嫁がせます」
王妃の黒い瞳が揺れた。
国王の寵愛が薄れれば、今の地位は保てなくなる。嫁いで来るのが若く美しい公主となれば、焦らないはずはない。いや、是非とも焦ってほしい。
「これは……さぞ陛下も喜ばれることでしょうね」
そう言いつつも、王妃が歯を食いしばったのを私は見逃さなかった。
自席に戻ると、瑞玲に声を掛けられた。
「明様、なぜ王妃にあんな絵巻物を? あれは怜王――、皇太子殿下のご婚約者の萌香様の絵ですよね?」
公主に美人がいなかったのだから、仕方がない。これが一番、手っ取り早かったのだ。
いや、謙王を裏切った萌香に対する、多少の憂さ晴らしも籠もっていたかも。
踊り子達がいなくなり、急に静寂が訪れた。
すると見計らったかのように、羅国王が両手をぱんぱん、と叩いた。
それを合図に入り口の幕が上がり、一人の男が宴席に登場した。
「殿下!」
郎中が驚いて腰を浮かせる。
女官に連れられてこちらに歩いてくるのは、謙王だった。少しやつれてはいたが、顔色はいい。久々に見られたその姿に、ほっとする。
謙王は黒豹の毛皮が飾りに使われた、羅国風の衣を身に纏っていた。その琥珀色の瞳は、私がいることに気づくなり動揺したのか、極限まで見開かれる。だがそれも一瞬のことで、彼はすぐに目を逸らした。
謙王はまず羅国王のもとへ行き、組んだ手を顔の左右に持ち上げる異国の挨拶をした。その後で私と郎中の前に来ると、胸の前で手を組み首を垂れ、光威国の挨拶をする。
「殿下は我が国で見聞を広められている。我らの友好が盤石となるまでは、お留まり頂く」
羅国王はそう言うと、豪快に笑った。対する私達は、今度こそ誰も笑えない。
言葉を交わすことは許されず、謙王はすぐに女官とその場を去った。
夜が更けても、外はうるさかった。
絶え間なく吹きつける風の音が聞こえる。
草原は風がやまないらしい。羅国の人は、こんなにうるさい中でよく寝れるものだ。
宴が終わると私達は豪華な居室を与えられ、明朝の出発に備えて休むことになった。
だが夜着に着替えることなく、夜中になるのをひたすら待つ。
瑞玲が飛び込んで来たのは、子の刻近くだった。ご報告します、と呟くと素早く寝台近くに膝をつく。
「手分けして皆で内部を少しずつ探りました。謙王が軟禁されているのは、おそらく三階の東の突き当たりの区画ですが、目下そこが最も警備が厳しく近寄れません」
「三階か。ここから遠いですね」
「また、羅国に妙な動きがあります。先ほど武装した羅国兵達が大挙して、西に向かったようなのです」
「これを見たからでしょう」
私はにやりと笑い、白雷刀の羽飾りに触れた。怪訝な顔の瑞玲に、説明をする。
「烏楼国兵が羅国と光威国の友好を妨害した話を聞いて、烏楼国を疑い始めたのです。両国はもともと長年敵対していましたから」
羅国を脅威に感じている烏楼国にとっては、羅国と光威国が手を結ぶのは好ましくない。対立させ弱体化した羅国を狙い、漁夫の利を目論んでいると羅国王に疑わせたのだ。
不安を抱いた羅国王は、昨今手薄にしがちだった烏楼国境に、兵を割いて今夜配置した。
「まさか、軍神様はその羽飾りをわざと?」
将軍がせっかく景品としてくれた異国の珍しい飾りだ。烏楼国と小競り合いが多い羅国なら、気づいてくれるかと思ったのだ。
「たまたまです。機会は一度きり、今夜しかありません。今夜私が謙王を逃します。瑞玲さんは計画通り、馬の準備をお願いします」
もう一つ好機を作ってくれるとしたら、後は王妃だ。
動揺作戦が上手くいけば、和平成立の邪魔を積極的にしてくれるかもしれない。
砦の中は盛大な宴の後だからか、騒がしかった。
和平会談に向けた両国の話し合いに目処がつき、私達が明日帰国する運びとなった為か、あちこちに配置された警備の兵達も、昼間より気が緩んでいるように見える。お喋りに熱中したり、果てはどこかに行っていたり。
女官や下男達は、後片づけに勤しんでいた。瓶や皿を両手いっぱいに抱え、駆けずり回っている。
なるべく私と背格好が似ている女官に目をつけ、空腹を訴える。
あとは彼女が私の部屋まで食事を運んできてくれるのを、待った。
女官は間もなく盆を片手に、私を訪ねてくれた。
「失礼致します。お夜食をお持ちしました」
女官が私の部屋に数歩入るなり、入り口脇に潜んでいた瑞玲が、背後から襲いかかる。首の後ろを瑞玲の手でしたたかに打たれた女官は、崩れるように気絶した。人形のように倒れ込む女官の手から、必死に盆を保護する。
心を鬼にするしかない。
頭の中で何度も詫びながら、女官の着ている水色の官服を脱がせ、下着姿にさせる。
「これを着て女官に扮し、謙王を助けます。今のうちに郎中に話を通しておいて下さい」
事情を全く知らない郎中は、天と地がひっくり返るほど驚くかもしれない。或いは、信じてくれず手間取るだろう。そもそも彼は、親書の交換後は急いで帰ってこい、としか命じられていないのだ。
「郎中が理解してくれない最悪の場合は、馬の背にぐるぐる巻きにして、連れて行きましょう」
そう提案すると、瑞玲は首を左右に振った。
「郎中と言えど、足手纏いになりそうな時は、捨てていきます。将軍様の邪魔は決してさせません」
びっくりして答えに詰まってしまった。郎中はこの使者団の長であったが、それを足手纏いと言い切る清々しさが、軍人らしいというべきか。返事に困っていると、瑞玲はその艶のある意志の強そうな瞳を眼光鋭く私に向けた。
「明様は必ずご無事でいて頂かねばなりません。将軍様にも、明様のご無事を約束しております。――将軍様はきっと、謙王より明様の御身に何かある方が、悲しまれるのです」
そうかもしれないけれど、返事のしようがない。




