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将軍の作戦

 羅国へと旅立つ前日。

 この日も早朝から大厩舎に行き、万里の世話をした。その茶色く艶やかな背中を梳いてやりながら、話しかける。


「万里、明日いよいよ出発だよ。みんなで草原に行くからね。よろしくね」


 万里が答えるように私を見つめ、鼻先を寄せてくる。

 栗毛の万里の鼻面をなでていると、厩舎の床に転がる干し草を踏みつける音が聞こえた。振り返ると柵の影から現れたのは、将軍だった。右手に巻物を握りしめている。彼は顔を合わせるなり、尋ねてきた。


「使者団に同行するご予定に変更はありませんか?」

「ありません。だって、ここでただ謙王が見殺しにされるのを見ているなら、軍神の私は何の為にいるのでしょう?」

「お止めしても、行かれますか?」


 行く、と私が答えると将軍はゆっくりと息を吸い込み、その後で深く吐き出した。首元の喉仏が、吐く息に合わせて震える。

 将軍は私の意固地さに観念したかのように首を左右に振ると、抑えた声で話し出した。


「最早隠し立て致しません。お察しの通り、我々禁軍は羅国と戦いに行くのです。使者団を緩衝地帯で見送った後、私も兵を率いて密かに羅国に向かいます。瑞玲は攻撃前に内部の様子を探る目的で参加するのです。怜王の計画では、使者は和平会談の日程調整が終了した夜、急いで羅国から退却し、我々と合流することになっています。そしてその直後、油断している羅国に軍が攻めこむ予定なのです」


 羅国を、攻め込む――?


「その場合、……謙王は?」

「あとは、生かすも殺すも羅国次第でしょうね。我々にとって、攻めるなら今ほど好機はありません」


 絶句する他ない。

 やはり怜王は謙王を見殺しにする気なのだ。頭のてっぺんから血の気が引いていく。


「謙王を助ける気なんて、ないんですね……」

「ご心配なく。ここからが肝心なのですが、実は密かに副使以下を懐柔してあります」


 それはどういうことか、と息を呑んで続きを待つ。


「使者団は謙王を、羅国から脱出させる予定です」


 謙王を、……彼らが助けるということ――? 本当だろうか。和平が締結する前に逃げ出すことが出来れば、足手纏いとなることもなく、謙王にとってこれ以上のことはない。


「それでは謙王が脱出してから、全軍が羅国がわになだれ込むんですね? この作戦を怜王は知ってるんですか?」


 将軍は苦笑した。


「知っていれば、私から今すぐに兵符を取り上げているでしょうね」

「でも分かりません。将軍は皇帝の意向を汲んで怜王派だったのに、なぜ急に変わったのですか?」


 素朴な疑問をぶつけると、彼は吐き捨てるように言った。


「彼にはこの国を、任せられません。――それに簒奪者には皇位を継ぐ正統性など、ありませんから」

「もしや、鍍金(めっき)工場に行かれたのですか?」


 将軍は黙っていたが、その重苦しい表情から答えを知った。彼は怜王が皇帝を殺したと分かったのだ。


「もし謙王を助け出せなかったら、どうなります?」

「羅国も大事な手駒を簡単には処分しないでしょう。その前に我々が攻め込みます。どちらにせよ、全軍は攻撃に転じます」


 果たして計画通りにいくだろうか。

 瑞玲は弓の名手だが、弓は短距離戦には不向きだ。

 それに美人で人目を引く彼女が、こっそり謙王を逃すのも苦労しそうだ。


(そういえば、「女装した」私は誰にも見破られなかったな。自慢にもならないけど)


 はたと考えた。もしや、こここそ、私が適任だろうか。

 自然と右手が白雷刀に吸い寄せられ、その柄に触れる。

 ――やれる。

 自分にそう言い聞かせると、将軍を見上げた。


「私も瑞玲を手伝います。――将軍、あの王太子の物語には、続きがあるんです。彼は自分の身が危ないと気づいて敵国から脱出して、帰国後に勇者として民の支持を得て王になったんです」


 彼こそが、二千年以上経ってもその名を異国の高校世界史の教科書に残している、冒頓単于(ぼくとつぜんう)だ。

 冒頓単于は敵国滞在中に、駿馬を盗んで脱出した。だが今の謙王には助けが必要だろう。

 将軍は悪ふざけでもする子どものように、にやりと笑った。


「事実は小説より奇なり。我々自身が歴史の登場人物となろうではありませんか」

「将軍。私の方こそ、貴方を誤解していました」


 将軍はむざむざ謙王を見殺しにするつもりはなかったのだ。

 将軍の手の中の巻物を見て、考える。――手ぶらで乗り込むわけにはいかない。


(少しでも成功率を上げる為に、何か策を立ててから羅国に行かないとだめだ)


 将軍に、ここで図々しいお願いをする。


「一つ、作戦成功の為にある品物の調達を頼んでも良いですか? 萌香さんの肖像画が欲しいんです」

「萌香? あの二股令嬢の?――なぜそんな物が必要なのです?」


 とんだ渾名(あだな)をつけているものだ。線香殿下より聞こえが悪いじゃないか。


「彼女ほどの美人はそうそういないからです。羅国での、持ち札の一つにします」


 肖像画の具体的な使用法は、言わなかった。使えるかはまだ分からないし、もしかしたら笑い飛ばされるかもしれない。

 よく分からないながらも肖像画の入手を引き受けてくれると、将軍は手にしていた巻物を広げた。

 それは南に北砂州が、北に羅国が位置した地図だった。荒野の起伏や川の小さな分岐点まで、細かく描かれている。

 将軍は手の中の地図から顔を上げた。黒曜石の瞳が、私をしっかりと捉える。


「謙王をお連れして闇雲に逃げるのは、得策でありません。予め合流地点を決めておきましょう」


 将軍は南北に流れる大きな川の上に指を置いた。


「草原の南を流れる、黄龍川です。大きな川で分岐点に林があり、身を隠すのには最適です」


 分かった、と答えながら地図を受け取る。

 将軍は私の二の腕に、そっと触れた。


「万一、羅国に気づかれて囲まれたらご無理は禁物です。我々が踏み込むまで、お待ち下さい」


 頷きながらも、頭の中では自信が持てない。

 全力で挑むであろうその時に、無理とそうでない境界線は自分で引けるのだろうか。





 出発の朝は、シトシトと雨が降っていた。

 広場に揃った使者団やそれを護衛する軍人達は、怜王の前に勢揃いをして出発の挨拶をした。

 雨が霧のように景色を霞ませ、後方に居並ぶ兵達は視界に収まりきらない。

 基壇を上る長い階の上から、黄色い布張りの大きな傘を宮女に持たせた怜王が、指一本濡らすことなく皆を鼓舞する。


「この偉大なる光威国の輝かしい未来の為に、そなた達は北へ行くのだ」


 怜王は軍勢の先頭に立つ私と将軍の正面まで歩いてきた。彼は胸の前で手を組み、私に深々と頭を下げた、ふわりと甘い香りが雨の中にも漂う。


「天が軍神様を遣わして下さったことを、感謝致します」

「和平の道筋をつけ、必ずや謙王殿下を返してもらいますので、ご安心下さい」


 怜王は再度頭を下げると、物言いたげな視線を将軍に送った。謙王を見殺しにしてこい、という心の声が聞こえるようだった。

 将軍は僅かに口角を上げ、目礼で答えた。彼が腹の中で何を思ったのかは、私には分からなかった。



 使者団は将軍が統率する軍勢に護衛されて、都を出発した。

 兵達は既に五月雨式に大部分が北砂州に集められている為、そこまでの移動は比較的楽だった。

 とはいえ隊列には兵達だけでなく、煮炊きや養馬に携わる者達もおり、大所帯だ。これに食糧や武器を積んだ馬車が加わる。


 都を出て幾つかの州を過ぎ、辺境の州に到着したのは一月後だった。

 北砂州を通過する時は、兵達の誰もが静かになった。想像以上に荒れているのだ。

 今にも吹き飛びそうな茅葺の屋根や、傾いた家々が並んでいる。人々の体型は貧相で、およそ何が育っているのかも見当がつかないほど寂しい緑の畑で農作業をしている。

 崩れかけた家を眺めながら馬を走らせていると、将軍がすぐ近くまで馬を寄せてきた。


「羅国の民は、たびたびこの村を急襲しては、作物を盗んでいくのです」


 すると私の後ろにいた瑞玲が、口を挟んだ。


「許せません。奴らが二度とこんなことができぬよう、我らは勤めを果たしましょう」


 謙王が補修半ばで放りださざるを得なかった、州の北側を囲う城壁を通過し、私達はいよいよ国境の緩衝地帯へと差し掛かった。



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