将軍さまは、皇宮からのお使いらしい
皇宮のお迎えとはどういうことか、と私が尋ねると大巫者は当然のことのように答えた。
「皇宮にいらっしゃる皇帝陛下に、伝書鳩を飛ばしておきましたので。衛帝廟に軍神が降臨なさった、と」
大巫者は余計なことをしていた。
皇宮からの使いと会う為、急いで大巫者の手助けで身支度を済ませる。
昨夜の名残か、広間の中はまだ酒と香の匂いが残っていた。混ざり合ってやや不快な臭いになってしまっていて、余計に不安を煽られる。
祭壇を正面にし、膝をついているのは、帯刀した六人の男達だった。
先頭に座るのは一際立派な衣を纏い、いかにも高価そうな大粒の青い石が載る髪留めで髪を纏め上げた、長身の若い男だった。おそらくこの男が将軍とやらだろう。
肩から床まで広がる袖なしの長く黒い外套は、その内側が鮮やかな赤色で、地味さと派手さが両極端に同居して、大層目立つ。
大巫者が顔を上げよと命じると、将軍は上体を起こした。
(うわぁ。めちゃくちゃカッコいいなぁ、この人)
将軍は美貌の持ち主だった。
肌は染み一つなく、絹のように滑らかに見える。怜悧な印象を与える切れ長の瞳は、どこまでも深い黒色なのに煌めいている。鼻梁はよく通り、彫像のように整っていた。
将軍はうっとりするような、美声で言った。
「皇帝陛下の命によりこちらに参りました。驃騎将軍の宇文弦月と申します」
将軍は音もなく立ち上がると、正面に進み出た。その身長差から、一段高い所にいるはずの私が完全に見下ろされている。
将軍はその黒曜石のようにお綺麗な眼差しを眇め、視線だけは私に当てたまま、傍に控える大巫者に話しかけた。
「大巫者様。本当にこのお方が、かの衛明将軍の化身なのですか? ――先ほどから所在なさげに目が泳いでらっしゃる、このお小さくひょろ細い、いかにも頼りなさげな少年が?」
将軍は人を見る目があった。彼は胡乱な目つきで私を見据えたまま、続けた。
「羅国討伐の為に大軍を率いる私には、このお方が偽者であっては大問題なのです」
「なんと無礼な。白雷刀がそなたの目に入らぬか?」
大巫者が威勢よく抗議すると、将軍は大巫者に視線を移し、腕を組んで顎を逸らした。
「たしかに白雷刀のようです。しかし幾重にも敷かれた禁軍の警備を掻いくぐり、宝物殿を解錠し、盗み出すことも決して不可能とは言い切れません」
(ちょっと、それ何が言いたいの? 私が白雷刀を盗んだと疑ってるっていうこと⁉)
私が将軍を睨みつけると、大巫者が静かな声音で反論した。
「雷と共に天から現れることは、常人には不可能じゃ」
「私はその現場を目撃しておりませんので。――不届き者が神の化身を騙っているとすれば、由々しき事態です」
将軍は再び私を見つめると、柔和な笑みを浮かべた。
(――うわっ。笑うと更にカッコいいな。魂持って行かれちゃいそう……)
「貴方様は本当に、軍神の化身にあらせられますか?」
穏やかに問いかけた直後、将軍は一転して目を据わらせ、凄みのある声で続ける。
「それとも、お前は皇宮に侵入した刀泥棒か?」
(こ、こわ……)
私は将軍の右手がいつでも抜刀できるよう、彼の刀の柄にかけられたのを見逃さなかった。
究極の二択の選択を誤れば、この場で斬り殺されかねない。
答えあぐねていると、時間を持て余したのか将軍は小首を右に傾けた。切れ長の瞳が傾き、色気が漂い美形度が増したが、見惚れている場合ではない。左に傾ける時はおそらくない。
その前に痺れを切らして将軍の右手が動くだろう。
「――もしかしたら……ぐ、」
「はい?」
将軍の手が微かな殺気と共に、刀の柄を握り直す。その瞬間、弾かれたように言葉が飛び出た。
「軍神です! 私、軍神ですから‼」
言い切ってしまった。やっちゃった……。
将軍が満足気に大きく頷く。その手が柄から離されたかと思うと、彼は祭壇の前に置かれた長机の上の線香を肘で素早く端に寄せ、私を見上げた。
「それでは軍神様に伺いたい。皇帝陛下は羅国討伐の為、大軍を北に派遣する予定です。国を憂えて天より舞い戻られたのなら、ご指南を頂けますか?」
なんだなんだ。
困惑しつつも将軍に一歩近寄る。彼は地図が描かれた巻物を机上に広げた。
「現在の我が国と、周辺諸国の地図にございます」
説明をしつつ地図上に将軍が指を滑らせるので、よく見ようと私も隣に立つ。
光威国は国土の東が海に面した、大きな国だった。南方と西方に小さな国々がひしめいて隣接し、北方にあるのが光威国よりやや小さい領土を持つ、羅国のようだった。
羅国の都は山々に囲まれていたが、領土の大半は草原らしい。
地図を前に、立ち眩みを覚える。
(こんな地図、歴史上の物も含めて見たことない。どうしよう、ここ本当に異世界……?)
地図には光威国軍が拠点とする地点に筆で印がつけられ、更に率いる弓騎兵や槍騎兵といった、兵達の種類や人数が書き込まれていた。
「いかがでしょう? 私が考案した布陣なのですが、羅国に敵うと思われますか?」
いきなりなんだろう。違和感しかない。
(おかしいでしょ。敵国相手の大きな軍事作戦を、今この場で明かす――?)
万一にでも私から情報が洩れる心配をしないはずがない。
地図から視線を上げると、将軍と目が合う。その黒曜石の瞳は、私の反応を具に観察しているように見えた。
これはきっと、私を値踏みしている。
私の力量を見極めようとしているのだ。
心の中では、まだ将軍は手を刀の柄に掛けている。
いい加減なことを言えば、宝剣泥棒にされてしまう。
私は生唾を嚥下し、深呼吸してから地図に視線を戻した。
河川に富み、広大な領土を持つ国はたいてい運河を持つものだ。税として徴収したものは、地方から運河を使って都まで運ばれるからだ。
光威国も例に漏れず、南北に渡る運河を擁していた。
ならば兵達が本陣まで全て人力で兵糧を運ぶより、運河を途中まで利用すべきだ。戦地に着くまでに疲弊しては、元も子もない。
私は羅国との国境を指先で触れ、提案を始めた。
「本陣の位置は運河寄りの、もっと東側にすべきです。予め兵糧を漁船にでも運ばせては? また、全体的に軽装騎兵の数が多過ぎるように思えます」
軽装騎兵と重装騎兵は役割が異なる。前者で敵を動揺させ、その後に後者がとどめを刺すのだ。
こんなことは大学入試に勿論出ない。
だが豆知識や逸話を挟まないと、生徒達は授業に飽きてしまう。挙げ句に妄想や瞑想を始めたり、寝たりし始める。講師には雑学が必須なのだ。
まさか異世界でも役に立つとは思わなかったが。
「敵に盾を使われれば弓は用を成しません。また弓では上質の板金の甲冑を貫くことも稀です。弓騎兵を減らし、槍騎兵を厚くすべきです」
将軍はなるほど、と呟きながら顎を摩った。背後にいた五人の武官達が、腰を上げて身を乗り出し、地図を一緒に覗き込んでくる。
物凄く暑苦しい……。
将軍が尋ねる。
「国境の北の草原で羅国軍を待ち伏せし、挟み撃ちにするとしたら、いかがです?」
「上手くいかないでしょうね。この地形では大軍が隠れるところがありません。工事をすれば斥候にばれます」
迷いは見せず、言い切るのが味噌だ。
はったりでも堂々としなければ、その辺のただの女だと見抜かれて、この将軍に成敗されかねない。
ひたすらエセ軍神らしく、胸を張る。
「では軍神様にお尋ねします。それでも挟み撃ちをするには、どんな方法がありますか?」
また質問か。次々飛び出る質問に、ややげんなりしてしまう。
けれどそんなことはおくびにも出さず、和かにもっともらしい口振りで答える。
「弱い部隊を敢えて前方に配置しては? 撤退を何度か故意に繰り返し、敵を呼び込んで戦線を間延びさせます」
「誘って相手側の陣形を崩すのですね」
「上手くいけば速度の上がらない歩兵が置き去りになり、叩きやすくなります」
すると将軍の後ろに控えていた武官の一人が、やにわに快哉の声を上げた。
「流石は軍神様です! 三世紀前の北の草原での戦記は、私の幼少期からの愛読書です!」
興奮した様子の武官が、糸で綴じられた一冊の本を差し出してくる。
扉絵には見覚えのある絵が描かれていた。馬に乗って刀を振り上げる、真紅の衣に身を包んだ衛明の絵だ。そっくりなので自分が載っているみたいで、妙に小っ恥ずかしい。
「絵の下に、記念にどうかご署名を頂戴できませんか⁉」
「馬鹿者! 軍神様に何をさせるか! 公私混同も甚だしい」
私に署名を強請った武官は、将軍に烈火の勢いで叱られ、小さくなって後ろに下がった。
「あの、軍神様ではなくぜひ名前で呼んで下さい。明依で結構です」
将軍は私に向き直ると、床に置いてあった風呂敷包みを私の前にドサッと置いた。
「それでは軍神の明様。どうかこちらをお納め下さい。お連れする為には金錠を幾らでもお積みせよと皇帝陛下から仰せつかっております」
恐る恐る風呂敷を開けると、中には黄金色の船の形をした塊が山と積まれていた。
ここの貨幣だろうか。随分と一個一個がデカいけど。
金だとすれば、相当な額に違いない……。
「皇宮へいらして下さい。収奪を生業とする羅国の蛮行に、国境の民は常に怯えています。明様に羅国討伐にご参加頂きたいのです」
戦に参加しろ? とんでもない。刀泥棒も嫌だが、軍神も危険極まりないじゃないか。間髪容れずに拒絶する。
「私がいたニホ……瀛州には戦がありませんでしたので……。到底お役には立てません」
「居て下さるだけで、兵達の士気も上がりましょう」
それまで様子を見守っていた大巫者も、大きく頷いて将軍に賛同している。
だから、余計なことをしないでほしい……。
「私のような降って湧いた者を、皇宮に連れ帰って大丈夫ですか?」
「寧ろ、いらして下さるまで、ここを動きません」
将軍は聞く耳を持たなかった。
数十分後、私は金の詰まった風呂敷包みをしっかりと脇に抱え、将軍が準備した馬車に乗り込んだ。
馬車は枠部分に彫刻がされ、扉代わりの垂れ幕にも無数の房飾りがついており、豪華だった。
曇天の為、車体の両脇に提灯がつけられていて、表に「聖」だの「武」だの、「軍神」だのと書かれている。いつの間に用意したのか。
こんな「軍神、乗ってます」と宣伝しているような馬車になんて、乗りたくない……。
これはもう皇宮とやらに着く前に、逃げるしかない。