私、将軍に捕まる
皇宮に戻り、与えられた宮へと急いでいると、宮の前の花壇に見覚えのある茶色い毛玉と謙王がいた。
「茶丸、久しぶり!」
ふさふさの尻尾をこれでもかと振って駆けてくる茶丸を撫でていると、謙王が苦笑した。
「私より茶丸の名が先とは、少々傷つきました」
「これは大変な失礼を致しました、殿下。もしや私をここでお待ちに?」
「貴女に似合いそうなものを選んできました。――襦裙と化粧道具です」
謙王が金欄生地に包んだ襦裙と、木箱を手渡してくる。
私が着てみたいと宴で言ったのを、覚えていてくれたらしい。
謙王は爽やかな笑顔で切り出した。
「今夜は元宵節の為に、宮門が夜通し開いています。一緒に目抜き通りをぶらついてみませんか? まだ行かれてないでしょう?」
「せっかくなんですが、実はもう行ってきてしまったのです」
「お一人で?」
将軍とだと答えると、謙王は幻聴でも聞いたような奇妙な表情になった。
「あの不死身将軍と? 彼が貴女を誘ったのですか?」
尾行したと答えるのは外聞が悪い。自分の名誉の為に言葉を濁す私を前に、謙王は呆れた様子で腕を組んだ。
「貴女は私と一蓮托生の仲間だと思っていたのに。違ったのですか?」
池での誓いを思い出し、震え上がる。謙王が私を偽物の軍神だと主張すれば、いくら彼が風前の灯皇子だとしても、私の信頼は地に落ちてしまう。
「勿論、忘れておりませんよ。殿下は私の秘密を知るお方で、何より唯一の味方ですから」
組んだ手を頭の前近くまで持ち上げ、膝を折る。
謙王はその手を取った。にっこりと微笑み、私の正面に迫る。
「今の言葉、頭の中にしっかりと刻みましたよ。――では、明晩に出かけましょう。ぜひこの襦裙を着ていらして下さい」
「ええっ、これを着るんですか? そんな、本末転倒ですよ」
謙王は目を眇め、脅すように言った。
「私を裏切りかけた罰ですよ。それに、宮女の多くが元宵節に出掛けますので、襦裙の方が意外と目立ちません」
そうして謙王はぐっと顔を近寄せると言った。
「個人的には、襦裙を纏った貴女を見てみたいのです。きっと、とても美しい――」
なんだか妙なことになった。そう思いながら、自分の部屋に戻った。
この世界で初めて女の衣装を纏う。
ひらひらと広がる足元の裾。少し開いた胸元。
――女の格好をすると、慣れない自分の姿にふわふわと頼りない居心地の悪さを感じる。
(早く、宮門に行きたい……。知り合いに見つかる前に!)
眉墨で眉の形を変え、目元に黒子も描いた。相当な厚化粧にしたので、顔はすっかり別人のはず。それでもこの状況は大変緊張をする。
こそこそと忍び足で回廊を行き、宮の白亜の基壇の影に隠れるように進む。
「ねぇねぇ、これから皇宮を出るの?」
突然声をかけられ、ぎくりと立ち止まる。
基壇の階段を下りながら手を上げて私に声をかけてきたのは、二人の若い文官のようだった。へらへらと軽そうな笑みを披露している。
「もしかして屋台巡りにいくの? 偶然だねぇ、俺達もなんだよ。一緒に行かない?」
無視してさっさと通り抜けようとするも、二人で私の前後に立ち、進路をふさぐ。
「可愛いねぇ。どこの宮の宮女? 俺の『美人宮女図鑑』に描き漏れていたよ!」
「美人だなんて、恐れ多いです。載ってなくて当然です」
走って脇から逃げるが、二人はまだ楽しげについてくる。
困った。この『女装』姿で、なるべく人と関わりたくないのに。
それに宮門までついてこられたら、面倒だ。謙王と待ち合わせをしているのに。
思い切って近くの宮に逃げ込んでしまおうと階を上り、振り返ると二人はそこで立ち止まっていた。
上って追いかけてはこないようだ。
代わりになぜか焦りを滲ませた表情で私に手を振り、おいでおいでをしている。
「下りてきなよ。だってそっちは……」
最後まで聞かなかった。彼らを撒こうと、私は敷居を跨いで中に逃げ込んだ。
宮の中は薄暗く、幸い無人のようだ。小走りで奥の方へと進む。
このまま裏から出てしまおう。
出口がありそうな突き当たりにある部屋の前まで行くと、思い切って緞子を巻き上げ侵入する。
そこは誰かの私室のようで、かなり広い空間だった。早く裏の出口を探して、出ていかなければ。
部屋の真ん中には仕切りのように大きな金屏風が置かれていた。月夜を見上げる勇ましい獅子が描かれており、その力強い筆運びの絵に、束の間見惚れてしまう。
壁際には寝台もあり、枕元には無造作に銀色の髪飾りが置かれていた。
(あれ? この髪飾り、どこかで見たことがあるような……?)
思わず寝台に近づき、枕元に手を伸ばす。
「何をしている」
総毛立つような低音が背後から掛けられ、はっと振り返った瞬間に、屏風の裏から人影が飛び出した。直後、左手首を取られて後ろ手に捻りあげられる。
(しまった! 誰!?)
部屋の中にほかに人がいたなんて、気がつかなかった。
逃げようと腕を振り、とにかく部屋の出口に向かおうとするも、体の前に何者かの腕が回され、羽交い締めにされる。私を拘束する腕が、胸の膨らみにはっきりと当たってしまっていて強烈に恥ずかしい。
「離して!」
願い虚しく、鋼のような力で寝台に押し倒される。
突如ひっくり返った視界に目を白黒させつつも、私の手首を寝台に縫いとめたまま見下ろす人物の顔を見とめ、絶叫しそうになった。
(なんで、どうしてこの人がここに!?)
髪は完全に下ろされ、腰近くまで垂れていて見慣れた姿ではない。だが薄暗さの中でも、その美貌ははっきりと分かった。
「し、将軍……、」
私を捕えたのは、不死身将軍だった。
遅まきながら、軟派な二人がなぜこの宮に上がって来なかったのかを知る。将軍の私室がこの宮にあると知っていたのだろう。
将軍は眉間に皺を作り、背筋が凍るほどの冷徹な目で私を見下ろしていた。
こんなに冷たい顔もするんだ、とぞくりと体が震える。
「見慣れぬ宮女だな。新入りか? 私の寝室に、何の用だ?」
(あれ? 私が誰か、気づいていない?)
極厚化粧のお陰か、見破られてはいないようだ。
「いいか? ここに忍び込んで寝台に上がる宮女は、お前で十七人目だ」
それってどういう状況だろう。とにかく、鋼の心臓を持つ宮女がたくさんいるらしい。
「私を誘惑でもしに来たつもりか?」
滅相もない。だが声を出したら正体がバレそうなので、無言で必死に首を左右に振る。
「もうたくさんだ。いい加減にしてくれ。お前は下着姿で来なかっただけ、まだ酌量の余地はあるな。だが次はないと覚えておけ」
勿論だ。金輪際この宮には近寄らない。震え上がりながら、何度も頷く。
倒された衝撃で裾が捲れ上がり、腿まで露わになった私の足に視線を走らせながら、将軍は言った。
「もっと自分を大切にしろ」
したいから、離してほしい。
「覚えておけ。――私は女に興味がない。だから、二度とこんな無駄な真似はするな」
突然の性的嗜好暴露に、動揺せずにいられない。
(ええっ? それってつまり、実は男色だったってこと?)
将軍は多忙だし、戦地に赴けば危険と隣合わせの武人だ。だから独身を貫いているのだろうと勝手に思っていたが、どうやらそうじゃなかったらしい。
私の手首を抑える将軍の力が緩んだ。その隙に、急いで起き上がって寝台を下りる。
恐る恐る振り向くと、将軍は寝具の上に座ったまま、ただ黙って私を見ていた。
一刻も早く、将軍の視界から消えたい。
「失礼しましたっ!」
声を変えて詫び、頭を下げると今だとばかりに一目散に寝室から逃げ出した。心臓がどくどくと暴れて仕方がない。
どうにか脱出できて良かった。
――酷い目にあった。




