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元宵節③

 屋台が途切れると、一際賑やかな辻に出た。人だかりができている。


「あちらで行われているのは、影絵芝居です。あれも人気があります。ぜひご覧下さい」


 将軍の説明を受け、もっとよく見ようと近くに向かう。

 白く薄い布を張った大きな木枠の後ろに芸人が立ち、棒に括りつけた人形を動かしている。

 布には人形の影が映り、他にも黒い紙の切り絵と併用して、物語が演じられている。

 切り絵の組み合わせ方次第で影絵の登場人物が成長したり、山が動物になったり。

 その技術に感心して、時間を忘れて見入ってしまう。

 独特の世界観に感動し、隣に立つ将軍と何度も目を合わせるたび、彼も同意するように笑顔で頷いてくれた。


「いかがです? なかなか見応えがありますでしょう?」

「はい! 芸術的で、こういうの凄く好きです」 


 感動の笑顔で頷いてみせる。

 将軍は影絵に視線を戻さず、なぜかずっと私を見ていた。

 ――視線が気になって仕方がない。だって、私の横顔が影絵より面白いはずがない。

 私の返事が物足りなかったのだろうか。気になってもう一度振り向き、言い足す。


「光威国の元宵節は賑やかで、一晩中楽しめますね!」


 将軍は滲むように微笑んだ。

 演目は丁度主役が剣を持って戦う場面で、物語の佳境だ。にもかかわらず、将軍は見ていない。影絵を見る私を見ている。一番の山場を見逃してどうする。


(なに、なんでずっと私に注目してるの?)


 思わず自分の頰に手を当てる。別に何も顔に付いていない。私の顔が、影絵より見応えがあるわけもないし。

 影絵に熱中して将軍の視線に気がつかないふりをしつつも、気になって仕方がない。

 将軍はふと思い出したかのように言った。


「そういえば、なぜ髻の結い上げ方を変えられたのですか?」

「ああ、あれは細っちょろい首を披露するのは軍神として、いかがなものかと思いまして」

「賢明なご判断です」

「えっ⁉」

「……ずっと見せつけられれば、触れてしまいたくなりますから」


 将軍の呟きと観客の拍手が重なり、よく聞こえなかった。聞き間違いだろうと思うことにして黙っていると、将軍は両手を腰にやり、俯いた。


「私は、何を言っているんだ……」

「将軍?」

「すみません。――少々、自分を見失いかけました」


 主人公の戦士と、異国に嫁がされて離れ離れになっていた元婚約者が結ばれて、影絵は終わった。面白かったのに、最後の方は将軍のせいでちっとも集中できなかった。なんで婚約者が異国から帰国できたのか全く分からない。肝心な部分が理解できなかった。


 影絵が終わるとすっかり日が沈み、空は暗かった。

 だが屋台や建物の軒先や、木々に吊るされた赤色の灯籠のお陰で、周囲は幻想的に明るい。街全体が、凄く良い雰囲気だ。

 夜は寒いけれど、赤く浮かび上がる開京の街並みを見ているだけで、わくわくする。

 元宵節が最も熱気に包まれるのは、灯籠の打ち上げだった。

 腰ほどまでの高さのある、大きな灯籠に火を入れ、空に飛ばすのだ。

 通りのあちこちで打ち上げ用の灯籠が売られ、その赤い布の表面には墨と筆で好きな模様や言葉を入れられるようだった。


「これをやらねば、本当の元宵節とは言えません」


 将軍はそう言うので、私達はそれぞれの灯籠を買った。

 隣で筆を滑らせて何やら「健康」だの「武運」だのと書き込み始めた将軍に、尋ねる。


「何を書くものなのですか?」

「灯籠は天まで届きます。自分の願い事を書けば叶うと言われております」


 なるほど、将軍らしい願いごとだ。私も筆を滑らせる。

 好きなだけ書き込む作業が終わると、灯籠の一番下に油を浸した紙の束を括りつけ、火をつける。すると上昇する熱の力を借りて、灯籠が空へと上がりだした。

 ゆらゆらと動きながら、灯籠が重力に逆らい、飛んでいく。

 赤色に輝く皆の灯籠が空へと打ち上げられ、夜空に吸い込まれていく。見上げれば無数の小さな赤い光で溢れ、満点の星空のようだ。


「明様は灯籠に何を書かれたのですか?」

「瀛州の人々に、私の無事を知らせる手紙です」


 空に灯籠が溢れ過ぎていて、私が打ち上げた灯籠がどれかもう、分からない。けれどこの国の人達が信じるように天まで届くなら、空にいるはずの亡き母も、ここにいる私を見つけて欲しい。

 闇に輝く小さな灯りを見上げていると、心の隙間から重い感情が溢れ出す。普段は忙し過ぎて、気づかないふりをしていた感情だ。

 私は元の世界で、大事にしてきたものを次々に失った。それは心の拠り所であったり、自分が根を張る場所でもあった。その後で私に残されたのは、孤独だけ。

 そして今はどうだろう。漂流して打ち上げられた木の実のように、見知らぬ世界にいる。

 私は、ここでも一人ぼっちだ。

 そのことを広漠な空に風に煽られるまま広がる灯籠達が、計らずも痛感させてくれる。

 高度が上がり徐々に小さくなっていく赤い光が、滲む。涙で視界が滲んだのだ。

 手の甲で目もとを擦り、知られぬように涙を拭く。


「いかがなさいました? 明様?」


 私の異変に目敏く気づいたのか、将軍が私を見下ろす。


「急に猛烈な孤独を感じたんです」

「軍神が孤独だなど」

「ここでは私は流木のように、意思に関係なくどこかへ流されているような存在ですから」

「それならばお(そば)におりますので、私にでもお掴まり下さい。そうすれば流されないはずです」


 意外なことを言われた。たしかにこの不死身将軍なら、流されなさそうだ。

 小さな笑いがこみ上げ、彼の袖にそっと掴まる。不思議と少し安心し、心が軽くなる。将軍は構いませんよ、とでも言うように私と目を合わせて、コクリと頷いてくれた。

 再び顔を上げ、夜空を覆い尽くす灯籠を眺める。上空いっぱいの灯籠は各々異なる速さで上昇していき、風に乗って左右に振られている。空を占拠していた明かり達は、やがて局地的に集まり、灯籠が描いた天の川にも見えた。

 暗い気持ちに変わり、ただその美しさに圧倒される。

 頭上を壮観な光景に包まれ、手から力が抜けて将軍の袖から離れた。

 ふとそっと何かに包まれたような気がした。肩が暖かくなった気がして、ちらりと視線を動かすと、なんと将軍が私の肩に手を回していた。

 視線だけを上空に戻し、硬直してしまう。――なぜ将軍に肩を抱かれているのだろう。

 今度は困惑が頭の中いっぱいに広がっていく。

 この将軍は、一体何のつもりで軍神たる私の肩を抱き寄せちゃっているのか。


(まさか……、私を女だと疑ってる? 肩に触れて体型を確認しようしてるとか――?)


 緊張で呼吸が早くなる。将軍の腕に更に力が入り、もうどうしていいのか分からない。彼の脇腹に体が押しつけられ、温もりすら感じられる。その密着ぶりに、心臓が暴れる。

 さっきまでの感動はどこへやら。

 こんなことをしてくるのは、何か目的があるからに違いない。


(な、なんだろう……? どうしよう!?) 


 そっと腰だけでも離し、将軍と距離を取る。もしかしたら将軍は、私の腰の骨の形から性別を見極めようしているのかもしれない。

 咳をする振りをして、思い切って将軍から離れる。すると彼ははっと息を飲み、私の背中に回していた手を急に引っ込めた。

 そうして何やら額に片手をやり、肺の奥底から空気を出すような深い溜息をついた。手を額についたまま、俯き加減で首を左右に緩慢に振っている。

 やがて彼は珍しく弱り切った声音で言った。


「申しわけありません。――酒と人ごみに酔ったのかもしれません。……先ほどから、明様が妙にいつもと違って見えて仕方がないのです」


 ぎくりと胸が痛み、答えに窮する。


(いつもと違って? 少年ではなく、女に見える、とか?)


 将軍は目を細め、酔いのせいか色香を感じさせるような眼差しをこちらに向けた。


「こともあろうに、今夜の明様がとびきり魅力的に見えるのです」


 目から脳が飛び出るかと思うほど、驚いた。でも動揺しちゃだめだ。ここで狼狽えたら、余計に疑われてしまう。どうにか無理やり笑ってみせる。


「将軍、随分と酒の回りが早いようですね。そろそろ皇宮に戻りましょう」


 皇宮までの道のりを、出来る限り男に見えるよう、動作に気をつけて動く。大きな歩幅とちょっと粗野な足取りで歩くようにして。

 道中、物思いにでも耽るように目を虚にさせ、押し黙る将軍と並んで歩くのはかなり辛かった。


(どうしたんだろう。様子がおかしいけど。やっぱり女だと、疑い始めてる? まずいな)


 今更私がエセ軍神だと発覚すれば、彼の立場もないだろう。

 何度も繰り返される妙に悩ましげな溜息の意味を、知るのが恐ろしい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公は自分への視線に鈍感じゃないんですね。主人公って鈍いことが多いので…笑 [一言] 頑張ってください!
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