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皇帝の宴

 

 皇帝の執務の場である、光極殿。

 大晦日のこの日、私は水晶の駒をぼんやりと見つめながら、宰相達の話を聞いていた。

 光極殿の一角には大きな円卓が出され、羅国との国境付近の縮尺模型が置かれていた。それは地形の起伏までも忠実に再現したもので、そこに両軍に見立てた水晶の駒が配置されていた。


 軍議は羅国の西にある小国、烏楼(うろう)国の間諜がもたらした話題でもちきりだった。

 光威国は烏楼国に間諜を置いているらしかった。烏楼国は羅国と長年敵対関係にあり、その動向を知ることは光威国の外交上、非常に重要だったからだ。

 間諜は羅国が烏楼国に送った文を、複写して持参していた。烏楼国はどうやら、羅国から和平協定を結ぶよう迫られているのだという。

 刀で脅し、和平と金をせびる羅国のやり方は、どの国に対しても同じなようだ。

 このこと自体は謙王には朗報だった。

 北にあるこの二カ国は争っている方が、寧ろ光威国にはもともと好都合だっだ。だが万が一、連合を組まれて侵入されては困る。その為、二カ国が和平を結ぶ前に早々に羅国を討伐すべし、という主戦派の主張が、がぜん勢いづいたのだ。

 謙王も怜王も議論に参加したが、皇帝は少し離れた玉座に腰を下ろしたまま、論戦を黙って見下ろしていた。相変わらず怜王が和平を唱えていると、皇帝はようやく玉座から腰を上げ、片手を上げて静粛を命じた。

 皆が皇帝の方を向き、彼の言葉を待つ。

 皇帝は顔色がかなり悪いように見えた。立ち上がると、体の細さが目立つ気がした。


 (初めて会った時よりも、頬がこけた気がするなぁ……)


 まさか減量に励んでいるとは思えない。そして急激に痩せるというのは、健康上は悪い兆候なことが多い。

 大丈夫なんだろうか……。

 玉座の前に立った皇帝は、謙王を真っ直ぐに見つめ、話しかけた。


「そなたは、出撃をどう思う?」


 謙王は皇帝の前に進み出て、素早く両膝を床についた。


「陛下。私はいつでも出立の準備が出来ております。どうぞ、総大将のご指名を私に」


 皇帝はその場では返答をしなかった。だが怜王が無言で謙王を見つめていることに、私は気がついた。

 それは背筋が寒くなるような、冷たい視線だった。





 新年を迎えると、皇宮で働く多くの者には休暇が与えらえた。ここから初めての満月の夜――元宵節(げんしょうせつ)までは光威国で最も大切な祝日が続く期間らしかった。

 皇宮の建物は赤色の布であちこちが飾られ、軒下には桃や龍の形をした手の込んだ灯籠がぶら下げられた。

 宮仕えの人々の服装も賑やかになり、普段は地味な格好をしている下級宮女に至るまで、いつもより少し派手な色の襦裙を着て、髪にはたくさんの簪や歩揺をつけてくるようになった。

 官吏達は宮女や下男に回廊ですれ違うたび、新年のお祝いに硬貨を手渡した。いわゆる、この世界のお年玉のようなものなのだろう。

 将軍や瑞玲がお年玉を手渡している間、私だけ突っ立っているのは気まずい。

 私もたぶん、あげる立場なのだろう。与えられた宮の引き出しの中には銅銭がたくさんあったので、新年の祝いの期間中は、私も硬貨を手巾に包んで持ち歩き、それを宮女達にあげまくった。


 おめでたい空気に包まれていたのは、皇宮の中だけではない。

 今や開京中の家々が赤い灯籠を軒先に一斉に飾り、通りでは若者達が楽器を打ち鳴らしていた。

 こうして都全体が、賑やかで喜ばしい祝いの雰囲気で盛り上がっていった。


 皇宮では、皇帝主催の宴が開かれた。

 私も宴に招待をされ、大きな殿舎の中は集まった皇族や官吏達で熱気でいっぱいだった。

 奥の椅子に皇帝が座り、それを取り巻くようにコの字型に床に座卓が並べられる。

 私の席は皇帝からすぐ近くで、右隣には謙王が、そして左隣は将軍という最高に面倒くさい席次だった。

 殿舎の中央では楽隊が琴や(しょう)を演奏し、めかし込んだ宮女達が歌を披露する。

 皇帝は彼らの芸を逐一褒め称え、また客人達にも盛んに話しかけ、皆が楽しめるよう気配りをしていた。だが相変わらず顔色は冴えず、目も落ち窪んでいた。

 滋養に良さそうな肉や卵にはほとんど手をつけず、ほうれん草などの野菜炒めばかり、異様に食べている。随分と食の好みが偏っているようだ。

 時折皇帝が拍手する時は、その両手が震えていた。

 そんな父を心配したのか、怜王が近づいて何やら話しかけている。彼は金箔の施された掌ほどの大きさの木箱を、幾つも手渡していた。


「あれはなんですか?」


 酒の入った瑠璃杯片手に話しかけると、将軍も語らう怜王と皇帝を見つめたまま答えた。


「おそらくは殿下が調合された薬でしょう。殿下は薬学に精通されていますので」


 話が聞こえたのか、謙王もこちらにやや身を乗り出して、言った。


「怜王は専用の丹炉(たんろ)を持っているほどです。皇宮の尚薬局の薬剤官よりも、薬に明るいのです」


 なるほど、薬草をゴリゴリと砕く怜王の姿はなんだか妙に想像ができる。彼は肌の色が抜けるように白かったが、美白薬も自作して愛用しているのかもしれない。

 皇帝は木箱から、血のように鮮やかな赤色の丸薬を取り出し、それを飲んだ。

 じっと見つめていると将軍が説明してくれた。


「あれは丹薬です。代々の皇帝のみに服用が許された、不老不死の秘薬です」

「不老不死、ですか……」


 権力を極めると、人は永遠の命を求めるのだろう。薬より食生活を改善することのほうが、急務に思えるが。


 権力の中枢にいる人々は、命を狙われることにも異常に気を使うのか、皇宮の食器は全て銀器だった。古来より王侯貴族に愛用されてきた銀器は、ヒ素に反応すると変色するからだろう。ほとんどの毒が苦味や臭いで検知されやすいのに対し、ヒ素は無味無臭なのだ。


 やがて室内の照明が落とされると、舞妓達の踊りが始まった。袖の先に長く薄い布を縫いつけており、動くたびにそれが羽のように広がり、目を奪う。

 皆眉目秀麗な女性で、その場にいた者達は口元を緩ませて見惚れた。


襦裙(じゅくん)が広がって綺麗ですね。……私も一回着てみたい……」


 謙王にそう語りかけ、けれど失言だったと慌てて口ごもる。謙王は可笑しそうに小さく笑い、頭を小さく左右に振った。


 室内が薄暗くなった矢先に配膳されたのは、(あつもの)だった。

 牡蠣の出汁の香りが鼻腔をくすぐる。厚みのある鱶鰭(ふかひれ)と竹の子が入っており、猛烈に食欲を唆られる。

 共に出された蒔絵(まきえ)の匙は芸術的で美しいが、皇宮の食卓用品にしては珍しく、木製というのが私の注意を引いた。それに銀器と木製の匙という組み合わせは、あまり合わない気もする。

 微かに違和感を覚えつつも、あまりに美味しそうなので冷めるのが待てず、早速鱶鰭(フカヒレ)を匙で掬って口に運ぶ。とりあえず高級そうな物は、食べておかなきゃ、損だ。


「うわっ、あっつ!」


 激アツだった。猫舌の私は火傷しそうになり、匙を口から離す。汁にとろみがあるので、冷めそうにない。仕方なく隣の将軍を見ると、なんら躊躇うことなく飲み進めている。

 不死身将軍の舌は熱さなど、感じないのだろう。

 右隣の謙王を見ると、彼は舞に視線を傾けながら、丁度羹を掬ったところだった。

 ふとその匙に意識が吸い寄せられる。窪み部分に施された蒔絵の、金粉で描かれた牡丹模様が剥がれかけているのだ。金粉の上に重ね塗りした漆が、まるで溶けでもしたように。

 こんなことって、あるだろうか。

 少なくとも漆は汁物の熱で溶けたりは、しないはず。

 素早く視線を戻すと、私と将軍の蒔絵は木蓮だ。


(もしかして、絵柄で配膳先が決まっている……?)


 声をかけるゆとりはなかった。

 すぐに腰を上げ、立ちあがろうとして自分の裾をわざと踏みつけ、転んだ振りをして謙王に倒れ込む。

 謙王は匙を落とし、羹の器が倒れた。


「ごめんなさい! 躓いちゃって……。火傷されませんでした?」

「大丈夫、少し撥ねただけです。それより、明様にかからなくて良かった」


 急いで宮女から布巾をもらい、謙王の袖を拭く。汚れた机を宮女達が取り替える為に駆けつけ、清掃をしてくれる。

 宮女達はすぐに代わりの羹を持って来てくれた。新しい匙を確認すると、梔子の花の模様だ。

 謙王は再び視線を舞妓に戻し羹を掬ったが、熱い汁に浸しても今度は匙に異変は起きなかった。

 食べる謙王をじっと見つめながら、考え込んでしまう。


(もしかして。さっきの匙には漆の代わりに、熱に溶けやすい何か別の樹脂が、上から塗られていた……?)


 もし、樹脂に毒でも入っていたら。暗くなった隙を、狙われたのかもしれない。

 牡丹の匙を運び去る女官を視線で追うが、彼女を止める勇気はなかった。勘違いだとしたら、皇帝の宴席をぶち壊すだけだからだ。 


 羹で汚れた手を外の井戸で洗う為にその場を離れると、殿舎を出たところで背後から声を掛けられた。

 そこにいたのは将軍だった。私をつけてきたらしい。

 将軍は周囲に人がいないのを確認してから、抑えた声で言った。


「先ほどは、羹をわざとひっくり返されたのではありませんか?」


 目敏い。隣にいた将軍はお見通しだったようだ。


「――流石ですね。分かっちゃいましたか。匙に何か細工がしてあるようだったので」


 将軍は訝しげに眉を潜めた。


「殿下を――誰かが狙ったと?」

「そうかもしれません。でも言い立てて騒ぎにしたくなかったんです。皇帝主催の宴ですし、確信なんてないですし、何より犯人に恨まれると困るからです」


 読み通りだとすれば、演目も料理の品順も知った上での犯行だ。恐らく複数の部署と大勢の人間を動かせた黒幕を、安易に敵に回したくない。

 単純に言えば、私は怖かったのだ。

 いずれにせよ謙王は背水の陣にいる。この光威何では、皇位争奪戦の敗者に待つのは、死なのだ。


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