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私、軍神じゃないんですけど!

 昔、ある国に偉大な武官がいたそうな。


 衛明(えいめい)という名の男で、彼は野蛮な騎馬民族が北から攻め込んできた時、大軍を率いて勇猛果敢に戦い、国土を守った。

 弱冠十八歳だったという。

 衛明は国に危機が訪れた際は、再び戻ってくると言い残し、表舞台から消えた。

 皇帝はこの謙虚な武官の偉業を称え、彼を神格化してその(びょう)を建てた。


 そしてその三世紀後。軍神・衛明の名は、再び脚光を浴びることになった。またしても騎馬民族が南進し、侵攻を始めたからだ。

 人々は軍神の化身が降臨し、国を救うことを熱望した。



 な〜んてことを私・山田明依(めい)(東京都墨田区在住)が、到底知るはずもなかった。

 問題は、今なぜか私がその軍神の化身だと言われていることだ。


 そもそも私、女なんだけど。




 ⭐︎⭐︎ ⭐︎⭐︎ ⭐︎⭐︎ ⭐︎⭐︎ ⭐︎⭐︎ ⭐︎⭐︎




 厄年なんて信じていなかった。

 でも二十三歳の今年は、私にとって厄年だったとしか思えない。この数ヶ月で、私の身には次から次へと最強の不幸が襲ってきたからだ。


 まず、講師をしている進学塾が倒産した。つまり、無職になってしまった。

 世界史を担当し、大学受験を間近に控えた高校生達にいつも「将来の夢の為に、みんな入試頑張ってね!」と応援してきたのに。お前が頑張れよ状態だ。

 そして私を女手一つで育ててくれた母が、数年の闘病生活の後に他界した。

 その少し後、恋人に振られたのがトドメだった。


 職なし、親なし、恋人なし。

 貯金も清々しいほど減っていく。

 だから、これ以上悪いことはもう、どう引っくり返っても起きないだろう。そう思った。

 だが本当のトドメは、その先にあった。




 あの日は、朝から雨が降っていた。

 季節は初冬で、どん底の不幸に身も心も冷えていた。

 郵便物を取ろうと玄関を出ると、小雨が降ってきていた。ぶるっと寒さに体が震える。

 雨が冷たい。

 雨を避けながら小走りで新聞受けに向かい、手を伸ばした瞬間。

 辺りがピカッと眩しい光に包まれた。

 見上げれば暗い夕方の空を埋める黒い雲の間を、白く輝く稲妻が走り、その瞬間だけ空を明るくしていた。

 そしてその雲の隙間から、バリバリと響く雷鳴とともに、何か小さな物体が空から落ちて来るのが見えた。


(何だろう、あれ?)


 空を見上げたまま体が固まる。

 もの凄い速さで、何かキラキラと輝くものがこっちに――。


「えっ、隕石!?」


 それはあっという間に私の頭上近くまで落下してきた。そしてあり得ないことに、それは隕石などではなく空から雷と共に落ちてくる、刀だった。


(なんで空から、刀⁉)


 避ける時間は全くなかった。

 身体が弾かれたように飛ばされ、地面に転がる。

 雷が当たった? もしくは刀が刺さった? あまりに一瞬の出来事過ぎて、何が起きたのか全く理解できない。

 視界が真っ白に炸裂し、全身に凄絶な熱と痛みが走る。右手は反射的に何か硬い物を握りしめていた。


(死んだ。これは私、死んだわ……)


 私の人生の終盤は、悲劇の連続だった。

 その締めくくりが落雷となぜか空から落ちてくる刀に当たることだなんて、あまりに不運過ぎる。そう思いながら、私の意識は次第に薄れて……いくと思ったのに、意識だけはぴんぴんしていた。

 呻きながらもなんとか起き上がると、周りには霧のように白い煙が立ち込めている。


「い、生きてる……。私」


 次の瞬間、霧の中から一人の老婆が現れた。私の視界を皺だらけの老婆の顔が埋め尽くす。


「おお……ご降臨なされたか!」


 白髪の老婆が、小刻みに震える右手をこちらに差し出す。


(なんだこのお婆ちゃん⁉)


 老婆はその垂れた瞼に半ば埋もれた瞳を瞬き、突然跪いた。なぜか両手を擦り合わせて私を見上げつつ、幾度も頭を下げている。

 目の前に現れた異様な老婆に狼狽し、後ずさると背中がガシャン、と何かにぶつかる。振り返るとそれは地面に置かれた長い木の机だった。

 月餅や饅頭(まんじゅう)といった美味しそうな菓子や果物が載る皿が、所狭しと並べられている。


 見渡せばそこは(いらか)が波打つ古風な建物に四方を囲まれた、広い石畳の中庭だった。

 夜闇を照らす灯籠(とうろう)が軒先に吊るされ、あちこちに鮮やかな色使いの花輪や旗が立てられている。間違いなく、我が家の近所ですらない。

 何が起きたのか、さっぱり分からない。


 霧が晴れると、そこにいたのは老婆だけではなかった。周りに百人近い人々が集まり、私を見つめてさざ波のように膝を地面についていく。

 どう見ても普通ではない。皆、長い裾のある色とりどりの古風な衣装を纏い、老若男女ともに髪を伸ばし、それを頭上で纏め上げている。


(この変な人達、何⁉ コスプレ大会? 家はどこ行っちゃったの?)


 老婆が口を開く。


「軍神様、わしはこの光威国の大巫者(だいふしゃ)にございます」


 ようやく気づいたが、彼女が話しているのは日本語ではなかった。


「ここ、どこですか……⁉」


 そして私の口から転がり出た言葉も、日本語ではない。びっくりして、口を押さえる。まさか、雷に打たれて脳神経がおかしくなったのだろうか。

 大巫者(だいふしゃ)は深々と頭を下げた。


「こちらは貴方様を祀る為に、皇帝陛下が建立された、衛帝廟(えいていびょう)にございます」


 そんな名の廟は知らない。というか皇帝って、何?

 言われてみればあちこちで線香が焚かれ、そこかしこに金箔が貼られた像が置かれ、お供物が並べられている。――なるほど、(びょう)っぽい。

 屋根の向こうには月に照らされ、黒々と枝葉を靡かせ林立する木々が見える。どうやらこの廟は林の中にあるらしい。

 頭を上げると大巫者は縋るような瞳で私を見上げ、表面に銀色の装飾が施された長く黒い棒状の物を両手で差し出した。


「そのお手にお持ちの、白雷刀(はくらいとう)の鞘にございます。どうぞお納め下さい」


 ぎょっとして自分の右手を見る。そこには灯籠の明かりを反射して煌めく、長い刀が握られていた。


「えぇっ、何これ。もしかしてあの空から降ってきたやつ⁉」


 なんで持ってるんだろう。

 右手は異様に熱を持っていた。恐る恐る袖をめくると、手首から肘にかけて、稲妻のように長く樹状に走る赤い火傷のようなものがある。

 やだ、気持ち悪い。ひょっとして、雷に当たった跡だろうか。

 受け取ろうとしない私の代わりに大巫者が鞘をはめると、刀はピタリと収まった。


 震える声で大巫者に問いかける。


「私、なんでここにいるんでしょうか……?」


 大巫者は恭しく頭を下げると、私を中庭から廟の建物の中に招いた。


 靴のまま板張りの床を進み、中庭を囲む回廊を進むと、奥にある大きな広間に突き当たる。広間の真ん中には、パチパチと音を立てて火が爆ぜる火桶があった。

 あたりは雪でも降り出しそうなほど寒く、廟内にはあちこちに火桶が置かれていた。

 灯籠に、火桶。

 電気やガスといった現代文明の恩恵を、一切感じさせない。

 色んな意味で、ぞわぞわと鳥肌が立つ。

 暖を取ろうと火桶の近くの長椅子に私が座ると、大巫者は説明を始めた。



 大巫者曰く、ここは大陸の東に位置する光威(こうい)国の青海(せいかい)州という場所らしい。


(どこだよ、それ……。世界史の講師だったけど、そんな名前の国、初耳だよ!)


 ずきずきと痛む頭を押さえながら、大巫者の話を聞く。

 建国三百年を迎えるこの国は、今建国以来の外患(がいかん)に晒されているのだという。北に位置する騎馬民族の羅国(らこく)が強大化し、度々侵入されているらしい。

 そんな折、都である開京(かいきょう)にある皇宮の宝物殿に保管されていた宝刀、白雷刀(はくらいとう)が忽然と姿を消した。厳重な管理の下にあったにもかかわらず、その鞘だけを残して。


「白雷刀は建国の英雄にして、軍神の衛明(えいめい)様が愛用なさった遺刀にございます」


 大巫者はそう言うと、廟の祭壇の真ん中に掛けられた、掛け軸の絵巻を指差した。そこには真紅の衣装を身に纏い、刀を振り上げ馬に乗る人物の絵が描かれていた。


「この絵、私にそっくり……」 


 思わず驚きの声が漏れる。

 細く弧を描く眉に、黒目がちな瞳、そして顎にある黒子の位置まで。


「貴方様はこの国が危機に瀕した際は、お戻りになると初代の皇帝陛下に誓われました」


 そんなことは勿論身に覚えがないが、大巫者ははっきりと私を見つめてそう言った。


 衛明は初代皇帝に仕えた将軍だった。

 騎馬民族を追い払い、光威国に平和が訪れたのをを見届けると、東の海に浮かぶ瀛州(えいしゅう)目指して旅立ったのだという。瀛州とは神仙(しんせん)が住む島のうちの一つで、伝説上の存在らしい。 

 衛明は二度と光威国に戻らなかったという。

 ――私が思うに、海で遭難したんじゃないだろうか……。


 そしてその三百年後の昨夜、刀が消えて大巫者は悟ったらしい――それは軍神・衛明が再びこの国に戻って来てくれる予兆だと。

 だから最高位の巫者の一人である大巫者が、こうして軍神の故郷にある廟で武運祭を開き、祭壇に召喚の祈りを捧げていたらしい。

 そして私がやってきた、と。


(ちょっと待って。これはもう、いわゆるアレ……? ――異世界に来ちゃいましたってやつ?)


 ――このお婆ちゃん、間違えて私を召喚しちゃった?


「話は分かりましたけど――待って下さい。これは恐ろしい誤解です、大巫者さん」


 濡れた服を着替える為、大巫者と広間の隣の小部屋で二人きりになると私は捲し立てた。

 こうなったら奥の手を使うしかない。私は大巫者の手をそっと払うと、思い切って服を捲り上げて下着姿を晒した。


「私、女なんです!」


 大巫者の目が点になった。どうだとばかりに貧乳を晒し、仁王立ちになる半裸の私を見て、己の誤ちにようやく気がついたらしい。

 私のたいして見栄えしない胸の膨らみを穴が空くほど見つめた後、大巫者は首を左右に振った。


「衛明殿は女性でいらしたのか。後の世のわしらは、存じ上げませんで」


 いやそうじゃない、なんでそうなる。多分その衛明は男だったんじゃないかと思う。寧ろ私が衛明ではないのだ。だが大巫者は確信に満ちた表情で言った。


「それも天のご意思なのでしょう。宝刀が持ち主を間違うはずもございません。雷と共に刀を携えていらした貴方様は、軍神様以外にあり得ませぬ」


 だめだこりゃ。

 大巫者は完全に私が軍神だと信じきっている。


「軍神様は男だったと、皆が思いこんでおり、女と知られれば大混乱を招きかねません。何かと不自由がございますれば、今しばしは男と偽りなさいませ」


 そう言うなり、有無を言わさず私に真紅の袴を履かせはじめる。その上に同じ色の長い裾とゆったりと広がる袖のついた衣を着せられ、銀糸の刺繍が施された帯を腰に巻かれる。

 続けて大巫者は軽やかな手つきで私の髪を纏め、頭頂部に団子を作って赤色の布飾りを巻きつけた。飾りが金糸で縁取りがされており、首の角度を変えるたび、賑やかに輝いて、ちょっと見惚れてしまう。

 鏡を覗き込み、絶句する。

 こうすると我ながら、祭壇の絵巻物に描かれた衛明と怖いほど酷似している。

 大巫者は満足げに頷いた。


「貴方様は間違いなく、天が遣わされた軍神の化身。さぁ、皆が待っております」


 そう言うなり大巫者は、私を皆が待つ中庭へと再び連れて行った。


 絵巻物の中の軍神と瓜二つになった私が再登場するや、廟に詰めかけていた人々がわっ、と興奮に包まれた。有名人にでもなったような気分だ。

 軍神なんかじゃないのに。

 どうすればいい。

 どうしたら日本に帰れるんだろう。


 その後、軍神を歓迎する盛大な宴会が一晩続いた。

 宴が終わると、廟の一室にある寝台の上で猛烈な疲労に襲われ、死んだように眠るしかなかった。





 翌日も私には朝から豪華な食事が提供され、金ピカの祭壇の前に置物のように座り、次々に来る一般の参拝客に、まるで仏像のように拝まれた。

 青海州の人口は知らないが、住民が全員来たのではないかと思うほど、廟の外まで列が途切れなかった。

 衛明とやらは、ここではみんなが見に来ちゃうくらい人気者らしい。

 全部失って、社会の隅っこに追いやられた私とは、大違いだ。


(軍神と勘違いされるのも、悪くないかもしれない。ただ座っているだけでこんなにありがたがられるなら……)


 現実とは思えない非凡な状況に、感覚が束の間麻痺して、思考が妙に前向きに傾く。


 だが何も考えず気楽に構えていられたのは、そこまでだった。

 翌朝、恐ろしい事態が私を待ち受けていた。

 皇宮からこの国の将軍が、私を迎えに来たのだ。


 しかもその将軍がまた、食えない男だった。



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