ミニ激突!
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやは小さい頃に使っていたおもちゃ、まだ実家に残してあるか? まあ、実際に帰ってみて調べてみないと分からんよなあ。自分が留守にしている間に、親が片付けちまうこともあるかもしれないし。
おもちゃも、大人になった今じゃあ「子供っぽい」と冷笑する輩も多いと思う。でも、家を出るどころか、身体の動かし方すら把握しきれていない赤ん坊にとって、母親とミルクに次ぐ、「世界のすべて」らしいんだぜ。
知育玩具って奴か? 色、平面、立体、それに伴う展開図……これらの基礎がぎっしり詰まった低年齢層向け商品は、常に一定の需要があるらしい。生まれてよりの数年間はそいつのお世話になり、卒業する頃には知人に譲ってしまうっていうのが、我が家のスタイルだったっけ。なーんか、買ったものをタダ同然で譲るのに抵抗を覚えるあたり、俺も大人になったんだなと感じちまうよ。
でも、親に頼んで長年、取って置いてもらっている。俺の場合はミニカーがそれだな。それも気に入っているわけじゃなく、下手に処分するとおっかないからって理由。手元に置いておきたくないし、かといって捨てたり、誰かの手に渡ったりすることも避けたいし……と、押し入れの奥に封印状態だ。
どうしてそんなことになってしまったか。今なら少しは落ち着いて話せるかね。聞いてみるか? 俺の昔の話。
俺がミニカーにはまったのは、それこそ物心つく前。車を「ブーブ」と呼んでいた、あの頃くらいからだ。手押し式も、プルバック式も、色々と用意してもらったっけな。
当時の知識じゃ動力云々の話など、頭の中になかった。プルバック式のものには、外で走る車と同じように、ドライバーがいると信じていたよ。「きりきりきり……」と音を立てると目を覚まし、手を離すと勝手に運転を始める。そんな、短い間しか働かない奴が、一台一台に乗り込んでいるんだと。
やがて幼稚園の友達とかと遊ぶようになると、ミニカーを持っている子同士で集まるようになった。競争させたり、細い公園の柵やガードレールの上を走らせたりすることに力を入れる。
競争に対して、俺たちは一喜一憂した。上手く走れば褒めたたえ、不甲斐ない走りをする奴には容赦ない鉄槌を下したよ。恨み言と一緒に強く握りこんだり、土の地面が軽くへこむくらい叩きつけたり、ぐりぐりと靴底で踏みにじったり。
「ちゃんとやらないと、もっとひどい目に遭わせるぞ」と、半ば脅迫めいた心持ちさ。きちんと躾けてやれば、中のドライバーも素直になるんじゃないか。そんな期待をかけていた。
やがて俺は三輪車を使ってではあるものの、近くの公園まで、ひとりで出かけられるようになっていた。プルバック式の、新しいミニカーの慣らし運転をするためだ。
俺個人にとっては通過儀式。室内での走りしか知らない車は、どこまでもかりそめの関係に過ぎない。外を知り、場合によっては道から外れてコケる経験をして、初めて先輩たちと触れ合える存在になれる……そんな風なことを、ぼんやり考えていた気がする。
俺のお気に入りのコースは、ブランコの柵。乗り場を横切る長い鉄棒の上だ。この上をプルバックの力のみできっちり真っすぐ走らせきるまで、家には帰らない決まり。俺の技術の問題もあっただろうが、細かいところは置いておく。
柵の隅へ座り込み、ミニカーを掴んで柵の上をバックさせる。「きりきりきり……」とぜんまいを巻く音がすると、これからの疾走を思って少しドキドキしてくるものだ。おニューの車の初陣ほど、胸が高鳴るものはない。
――上手くいかなくてもいい。思いっきり走ってこい!
限界まで巻いた車から手を放す。柵の上は車三台分の幅。しかし丸みを帯びていて、少し軌道がそっぽを向いたりすると、そのまま吸い込まれるように地面へ叩きつけられてしまう。
手で全部動かす分には問題ないだろうが、プルバックのような動力任せだと、どう走るか予想がつかない。ボーリングの玉のように、いいコースから突然曲がってガターへ直行など日常茶飯事だ。
この新入りは調子が良かった。多少、左右へぶれながらだが、柵の中ほどまで達した。一回目でここまで上手くいくことは、なかなかなかったことだ。もしや初回成功来るか? と俺がちらりと思い始めた矢先、ゴール地点辺りから先ほど俺がしたのと同じ、ぜんまいを巻く音が。
ちょっと顔を上げる。いつの間にか柵の反対側に、俺と同じくらいの歳と思しき男の子が、座り込んでいた。格好も俺と同じ、半袖に短パンだ。
その手にはミニカー。車体は卵をそのまま小さくしたような楕円に、後ろと左右へ魚のような「ヒレ」がくっついたもの。漫画やアニメに出てくるような、レーシングカーのごときいで立ち。初めて見る型のものだ。
普段なら「何、それ!?」と飛びつくところだが、今は別だ。その車体があいつによってバックさせられると共に、ねじが巻まれる音が響く。手を離せば、おのずと走り始めるだろう。すでに俺が走らせているミニカーの柵。その上をこちらへ向かって。
「やめろ!」と俺が叫ぶのと、あいつが手を離すのは同時だった。レーシングカーは一気に加速を始め、柵の上を走り始める。こちらも走りが安定しているが、俺にとっては不都合だ。
すでに俺のミニカーは、柵の半分を通り過ぎている。このままだと悪くて奴のレーシングカーと正面衝突。良くてもあの出っ張ったヒレに、車体をこすられかねない。追いかけて止めるには、もう遅すぎる。
結論からいえば、正面衝突は免れた。だが、俺の車は案の定、あの張り出したヒレにぶつかられて、「カツン」と音を立てる。
「ダメだ、落ちちまう」と俺は思った。事実、俺のミニカーは丸い柵に沿って、車体を傾けかけている。そのまま自重を支えられなくなって、コースアウト……になると思っていた。
でも俺の車は、ほぼ体が横を向いてしまうほどの位置から、落ちずに走り続ける。それどころか逆に持ち直し始め、柵を渡り終える時にはほぼスタートと同じ高さにまで戻っていた。柵から飛び出した車を、あいつはキャッチする。
他の人に触られるのは気に食わないが、車を助けてくれたことに変わりない。礼はすぐに返すとばかりに今度は俺が、あいつのレーシングカーを待ち受ける。
ヒレは下手に触れたら壊れる恐れがあった。このまま楕円形の頭を、抱えるように押さえるべきだろうか。
レーシングカーは、先ほどの接触など物ともしていないようだ。道をいささかも外れる様子を見せず、待ち構える俺へまっすぐに向かってくる。やがて、柵のすぐ下で受け皿代わりをしている、俺の手のひらの上へ飛び出してきた。
受け止めたレーシングカーのタイヤが、わずかに俺の母指球の上で弾み、止まる。そこまでは予想通りだったんだが、次の瞬間、俺は「まさか」と思った。
タイヤの動きが止まると共に、レーシングカーは勝手に破裂したんだ。ヒレを含めた様々な部品が飛び、一部が俺の顔に当たる。
俺の手の中に残ったのは、四輪の小さいタイヤだけ。それ以外はあのヒレも合わせて、それぞれ爪の先にも満たない破片となって、地面に散らばってしまった。
それだけじゃない。砕け散る瞬間に、車の中から「うふうふうふ……」と笑い声のようなものがかすかに聞こえた。おっさんのようなだみ声でさ。
俺は色々な意味で血の気が引いたね。もう、自分の車の進路上へこいつを走らせたとか、ぶつかってきたとか、人の車に勝手に触ったとか、どうでもよくなっていた。ただ、「これは俺のせいじゃない」と、申し開きをすることしか俺の頭にはなかったよ。
あいつが柵を回って、こちらへ近づいてくる。手が届く位置へ来るや、俺は真っ先に考えていたセリフをぶつけたが、あいつは表情を変えずに、キャッチした俺の車を差し出してくる。
「ありがとう」
抑揚のない声でそう告げて、あいつは俺に背を向ける。俺が差し出したタイヤの残りにも、散ってしまった車の部品にも見向きせず、俺の声にも反応しないまま、公園を出て行ってしまう。
追及がなかったのは、内心、ほっとした。俺はタイヤも含めた部品たちを集めると、近くの茂みそばの土を掘り、埋めた。証拠隠滅のつもりだったんだ。
返してもらったミニカーをもう一度、よく見てみようと顔へ近づけて、俺は背筋が凍りそうになったよ。あの「うふうふうふ……」の声が、この車から聞こえてくるんだから。
そして俺は見た。小さい窓から見えるミニカーの内部に、ヘルメットをつけたミニチュアサイズの人が、折り重なって詰まっているのをさ。
ぎゅうぎゅうに押し込まれた彼らは、手足が不自然な方向に曲がったり、大きくへこんだヘルメットを着けていたりした。どう考えても、その内側の頭部が無事とは思えないほど、ひどい陥没具合でね。
「わっ」と俺はミニカーを放る。心臓が痛いほどに脈打って、冷や汗が止まらない。一度、公園の水飲み場で手と顔を洗い、気持ちを落ち着けると、改めてミニカーに近寄る。あの笑い声は聞こえず、中には無人の運転席とハンドル、助手席に三人掛けの後部座席が見えるばかりだったんだ。
俺はその日から、ミニカーで遊ぶことをやめる。友達がミニカーで遊ぶところを見ても、苦々しく顔を背けちまう。これまでと同じように、みんなは結果が出れば自分の車を褒めたたえ、その逆ならば徹底的にミニカーを痛めつけることばかりしていたよ。
俺はあの時見たのが、ミニカーの中で運転していたドライバーたちだと思っている。下手をこいて事故ったり、雇い主の俺たちにさんざん痛めつけられた、成れの果てなんじゃないかと。
公園で俺に壊れるミニカーをぶつけてきたあいつは、あれ以来、姿を見せなかった。もしもあいつが、ミニカーのドライバーたちの末路を拾い集めることができて、俺の車を棺桶に選んだのなら、そっとしておいた方がいいような気がするんだ。