逃げる?逃げない?
そのまま、私はあれよあれよと王宮に連れていかれ、軟禁された。
そこから地獄の王妃修業が始まった。エレナはズタボロの私を、必死に世話してくれた。
逃げようにも常に監視の目があり、動けなかった。
監視の目が少なくなる真夜中に、こっそりバルコニーから抜け出そうと思ったら、王子が「いい夜だね」と隣の部屋のバルコニーで微笑んでいた。ちびるかと思った。
フォーン男爵家には正式に婚約の申し込みがされ、速やかに受理された。男爵家は相当驚いたようだが、王家からの頼みごとを断れるわけがない。
ルーイ王子が正式な私の婚約者となり、国王陛下と王妃様に挨拶をすることになった。
王子と並ぶ私を見て、両陛下は可哀想なものを見る目をしていた。
さらに王子の父たる国王陛下の第一声がこれだった。
「婚約おめでとうルーイよ。…しかしリンデル嬢、本当にいいのかい?」
「良くな」
「ありがとうございます。父上」
「ごめんなさいねリンデル嬢。産んだ私が言うのもなんだけど、この子を相手にするのは大変でしょう?」
「助け」
「まさか。我々は仲良くやっていますよ。それではこれで失礼いたしますね」
言いかけた言葉は、全てルーイ王子によって遮られた。
両陛下を見上げて哀願したが、静かに首を振られてしまった。
しっかりと腰を抱かれて連行されると、有無を言わさず庭園に連れていかれた。
きれいな白塗りのガゼボは風が通って気持ちが良かった。
お茶の時間を楽しめるように、テーブルとイスも置いてある。私は促されるままイスに座った。
「リンデル、王宮には慣れたかい?」
艶やかな黒髪をなびかせ、青い瞳をうっとりと細めて王子が言った。
「慣れるも何も…戸惑いばかりです」
私は正直に心境を答えた。
(この人、見た目だけならとても麗しい王子なのに。性格が残念過ぎる…)
私の左手を、彼はしっかりと握りしめた。
手の熱さにどきりとする。
「王妃修業は大変だろう。君の頑張りは聞こえている」
「光栄です…」
疲れ切った顔をしていたのだろう。王子が眉を下げて聞いてきた。
「…ここは嫌かい?それに、まだ僕を好きになれない?」
「…気持ちはすぐに動くものではありません」
適当に濁してみたが、心の中では叫んでいた。
(あんなに怖がらせといて、よく言えるな!)
私の恨みがましい視線に気が付いているのかいないのか、王子は首を傾げた。
「そうだな。アデルにも叱られた。怖がらせすぎだと」
「まぁ、さすがアデル様」
言い終わった後で、扇子で口を押えた。
(あ、正直に答えてしまった)
ちらりと王子を見ると、握った私の手を真剣に見つめていた。
「では、君を怖がらせないよう、きちんと口で伝えよう」
「いや…別に私は…」
言い淀んでいると、王子と目が合った。綺麗な青色がきらめいていた。
「リンデル。私は幼いころに出会ってから、君のことがずっと忘れられなかった。少年姿をしていても、ぼろを着ていても、スラムにいても、男爵家にいても、学園にいても君の輝きは変わらない」
「待ってください。男爵家にいる私は知らないはずですよね?」
「引き取られてから男爵家に慣れようと努力していたな?早く髪の毛を伸ばそうと引っ張っていたし、訛りを直そうと隠れて発声練習もしていたな。広いベッドに慣れずしばらくエレナと寝ていたことも知っている」
「怖い怖い怖い!!」
「学園で再会したときは、自分の思惑が上手くいってはしゃいでしまったんだ。いきなり声をかけてすまなかった」
「思惑って!!」
「追いかけたのは君のそばにいたかったからだ。許してくれ。初恋だからな」
「いい感じにまとめようとしてますね!」
「あのパーティーでは驚かせたようだが、君が逃げなければ皆の前で大々的に婚約発表するつもりだった」
「…本当に逃げて良かった…!」
(婚約破棄からの婚約発表か!劇的にもほどがあるわ!!)
きっと今、私たちが婚約したことですら社交界に激震が走っているに違いない。衆目の中で発表されなかっただけマシだったかもしれない。
あの時の自分の判断は間違っていなかったと遠い目をした私に、不満そうに王子が呟いた。
「まだ納得していないようだな」
「いや納得というか、本当に私にはわからないだけです。私のどこがそんなに気に入ったのですか…」
「…そうだな。最初は、デールが女性だと気づいたら、胸がときめいて…」
「ん…?」
「あんなに可愛らしい顔をしているのに、少年のふりをして、それが気づかれてないと思っているところが間抜けで…」
「え…」
「それに、髪が綺麗だから伸ばせばいいと言った時に、拗ねた顔をしただろう。スラムにいるからできないと」
「…言ったような気がします」
「あの拗ねた顔がたまらなかった。泣かせたくなるじゃないか」
「は…!?」
「それに、再会した時だ。君は急に話しかけた僕を見て、一瞬ものすごく怯えた顔をしたんだよ。それにすごくぞくぞくした」
「!?」
「その顔が見たくてつい追い回してしまった。怖がらせたなら謝るよ」
「…………」
嬉しそうに語る王子を見て、感嘆詞すらでなくなってしまった。
(話を聞いても全く嬉しいと思えないのがすごい…!)
つまり、私の間抜けで怯えた様子がおもしろかったと言っているだけではないか。
好かれる要素が一切ない気がするのだが、それでも目の前の王子は私を見て目を輝かせている。その輝きが真剣に怖い。
私は項垂れて呟いた。
「珍獣扱いですね…?」
「まさか!最愛の人として扱っているよ!」
「えぇ…?」
全くそんな扱いされた覚えはないと眉を顰めた。それを不満に思ったのか王子は私の手を口元に引き寄せて口づけた。
「ぎゃ!」
「ほら、すぐそんな顔をする。もっと虐めたくなるから我慢しているのに…」
「ひえっおやめください…!」
王子の綺麗な顔を押しやろうとするが、両手を絡めとられてしまった。
「あぁこんな無駄な抵抗をして、本当に可愛い人だ…」
「無駄って言われた!」
「人払いをしてあるけど、大きな声を出すと皆来てしまうよ」
「来てくれたほうがいいです…!!」
「おや、つれない人だ」
王子がすっと目を細め、瞳の光が消えた。悪い予感にひやりとする。
(こ…怖い…!)
逃げようと腰を浮かせると、ぐっと両手を引き寄せられて、王子の膝に横向きに座らされてしまった。
すかさず腰に回された腕はやはり動かない。
王子はそっともう片方の手で私の頬を撫でた。手の熱さにぞわりとする。
「お戯れを…!」
「少し、普通の愛情表現もしてみようか」
「は…!?」
思わず王子の顔を見上げて固まってしまった。王子は意地悪そうに口元を歪めて笑っていた。恐怖の予感に涙が出てきそうだ。
(…愛情表現するときの顔じゃないんだけど!?)
徐々に王子の顔が近づいてくる。
「リンデル…」
「…!」
目をつぶってしまったが、意外にもその唇が触れたのは頬だった。
顔にかかる髪の毛と柔らかな唇の感触に、一気に顔に血が上る。
(い…今頬にキスされ…)
全く火照りがおさまらない。何も言わない王子をそっと見上げると、目を瞠って意外そうな顔をしていた。
「見たことのない顔だね、赤くなってる」
「はひ!?」
赤くなった顔を指摘されて声まで裏返ってしまった。
王子はふんわりと笑って頷いた。
「ふうん。こうすればいいのか…」
「な…何を納得されているのでしょう!?」
「いや、怯えた顔もいいけど、そういう顔も可愛いと思って」
「か…可愛いって…」
まともに誉め言葉を聞いたのは初めてだ。王子の視線を受け止められずに、うつむいてしまった。
「ちゃんと見せて。リンデル?」
嬉しそうな声が上から降ってくるが、顔を上げられるわけがない。
(む…無理無理無理!!)
頑なに下を向いていると、耳元にふと息がかかった。
「リンデル…?こっちを向いて可愛い人」
耳に微かに触れる唇と、鼓膜に響く甘い声にびくっと震えてしまった。
「んっ…」
「可愛い反応…耳が弱いんだね、リンデルは…」
それからたっぷり三十分は耳元で甘い言葉を囁かれ、何度も口づけを落とされた。
恥ずかしくて死ぬかと思った。
その日から、二人きりになるとそういうことをされるのだから、私もほだされてしまった。
何故か一向に口にはキスをされず、不思議に思って聞いてみたら、王子から「そういうことは結婚してからね」と至極ごもっともなことを言われてしまった。
あまりにまともなことを言うので本当に驚いたら、ちょっと拗ねたようだ。
そんな彼を意外と可愛い奴だと思ってしまったのだから、私も王子に惚れてしまったのだろう。
私たちの結婚式は、盛大に行われた。
来賓としてアデル様とエリック・ダグラスとその二人の両親も揃って出席していた。
二人はついこの間婚約したのだとか。アデル様とエリック・ダグラスには身分差はない。
アデル様がルーイ王子の婚約者であるということ以外に、問題はなかったのだ。
しかし、ルーイ王子とアデル様の同意があるとはいえ、婚約破棄騒動は問題視された。これで王家と有力貴族であるハワード家に確執があると思われては一大事。だが、アデル様とハワード侯爵夫妻が王子の結婚式に出席すれば、王家とハワード家はきちんと和解していると思われるだろう。
エリック・ダグラスの横で、アデル様は相変わらず儚げに微笑んでいた。
(アデル様も、よく考えたら強かなお方よね…ある意味王子と似た者同士なのだわ…)
ルーイ王子とアデル様。
はたから見ればお似合いな二人が恋に落ちなかったのは、同族嫌悪もあったのだ。
手を回して狙った相手を手に入れるのに躊躇いがない。なんとも恐ろしい人たちだ。
結婚式は滞りなく進んだ。
王族の結婚式なので、調印などの手順が多い。
お互いに誓約書にサインをしたあと、ぽつりと王子が呟いた。
「さぁ、これでやっと君は名実共に僕のものだね」
「…やっぱり怖い!!」
ちょっと逃げ腰になったが、すかさず王子に肩を抱かれてしまった。
無事に調印式が終わり、わっと来賓の歓声が聞こえる。
にっこりと来賓客に笑顔を向けて手を振る王子が、引きつった顔をした私に囁いた。
「逃げてもいいけど、…逃げ切れるとは思わないように」
覚悟は決めたつもりだったが、怖いものは怖いのだ。
「も、もう逃げません…………」
私がそう言うと、王子は嬉しそうに初めてのキスをした。
読んでくださり、ありがとうございました!
また別人物視点で書くかもしれませんので、どうかまたよろしくお願いします!
多くの皆様に評価やブックマークしていただいてすごく嬉しいです!
言葉遣いを少し修正しましたが内容は変わりません。