あれ王子?
デール。それはスラムでの呼び名で、もう私をそう呼ぶ人はいなくなったはずだ。
「…何故、その名前を…!?」
「君はあの時、デールと名乗った」
「あの時?」
「シュルツ教会で、僕と君は出会っている」
「シュルツ教会!?下町の!?一体いつ…」
いつと言っても、私が下町のシュルツ教会に行ったことがあるのは、スラムにいたあの頃だけだ。
(確か、時々シュルツ教会で施しをしてくれたから、行ったことがあったような…)
そうだ、確かその日はすでに施しは終わっていて、入り口の階段でぼんやりしていたのだった。エレナは別の仕事でリーダーに連れられていたから一人だった。
「ねぇ、僕と一緒に遊んでくれない?」
そう声をかけてきた子供がいた。自分と同じくらいの年の男の子。とても可愛らしい顔をした、身なりのいい少年だった。だから最初は、ぼろを着た少年姿の自分に、ちょっと気おくれしたのだった。
「君、いいところの子でしょう?僕なんかと遊んでいいの?」
「いいんだ。たまには外に出るのもいいと思って。夕方までにここに戻ればいいし、街の中を見て回りたいんだ!」
そう言って愛らしく微笑んだ少年を見て、気が緩んだ。
街に下りたことがないということは、よほどのお坊ちゃまなのだろう。
街の中なら確実に私は詳しい。案内してあげようではないかと立ち上がった。
「それなら、夕方までこの街を案内するよ」
「ありがとう!僕のことはルイと呼んで」
「僕はデールだ」
私は彼の手をとって、街のあちこちを回った。
店が並ぶ商店街から寂れた裏路地、今思えば危険なスラムまで。暗がりに潜む男たちを見て、怯えた顔をしたルイがおもしろかった。
日が傾くころ、その街に流れる大河にかかる橋を見に行った。夕日がきれいに見えるだからだ。
「ルイ、ほら夕日だ。綺麗でしょう?」
「わぁ…川が光を反射してる!」
私は、ずっと走り回っていたから、暑くて帽子を脱いだ。
ルイはきょとんと眼を見開いた。
「デール。君の髪の毛、すごく綺麗だね。それに、瞳も緑色だ!」
「そう?派手だからいつも隠してるんだ」
「もったいないよ…それに…」
「何?」
「君、女の子じゃないの?髪の毛、伸ばせばいいのに」
「…!」
ルイには、私が女の子だとばれていた。いや、思い返してみれば、リーダーもその他の子供たちも黙っていてくれただけなのだ。
私はぐっと眉間にしわを寄せた。
「僕はスラムで暮らしてる。女だと都合が悪いんだ」
「そうなの。デール、行くところがないなら、僕の家に来たらいいのに」
「何言ってんだ。無理に決まってるだろ。そもそも、もう会えないだろうしな」
ルイは悲しい顔をした。そして何か思いついたように私を見た。
「じゃあ、もし…もし次に会えたら、僕とずっと一緒にいてくれる?」
「はぁ?」
「僕、君が気に入ったから」
「なんだ、メイドにでもしてくれるのか?」
「メイドがいいならそれでもいいけど」
「まぁ、次会えたらな」
「約束だよ。僕のデール」
ルイはゆっくり微笑んだ。可愛い笑顔だったはずなのに、何故か背筋が寒くなった。
「ほら、もう夕方だ。シュルツ教会まで送っていくよ」
「ありがとう」
また手をつないで道を戻り、シュルツ教会の階段で、私たちは別れた。
私は誰かに見つかって叱られないように走って帰った。
そんな私を、ルイは見えなくなるまで手を振っていた。
(なんか変わった奴だったな。まぁもう会うことはないだろ)
そう思って、私はすっかり忘れていたのだ。
あの笑顔。夕日が逆光になっていたが、確かにあの微笑みは目の前の王子のものだ。
「もしかして…ルイ…!?」
「やっと思い出してくれたね、デール」
「まさか!王子がなんであんなところに…」
「僕の父上である国王陛下が、シュルツ教会に慰問に行っていたんだよ。子供である僕は、無理を言って着いて行ったんだ。そこで監視の目を盗んで君と出会ったってわけ」
「にしても、本当にまた会うなんて…すごい偶然…」
「君が気に入ったって言ったろう?実は、本気で専属メイドにでもしようかと思って、君の身辺を調べたんだ。孤児なら、攫ってしまえばいいしね」
「さらっと怖いこと言った!!」
「だけど、実は没落したカティック伯爵家の次男とフォーン男爵家の三女の娘というじゃないか。二人が駆け落ちしたのは有名だ。それに、水面下で男爵が君のことをずっと探していることも」
「…そうです。伯父様はあのスラムに使いをよこしてくれて…」
「その情報を与えたのは僕だ」
「は?」
そういえば、ジョンは『とあるところからの情報で…』と言っていた。それがまさかこの王子からだったとは。
「な…なぜそんなことを…」
「現フォーン男爵は優しい人だ。君を養女に迎え入れたら必ず学園に通わせると思ってね。そうしたら、攫わずとも学園で再会できる」
「確かに伯父様はそうするでしょうが、さっさとメイドにしても良かったでしょうに」
あの時、男爵家の迎えがなければ、自分たちはいずれ野垂れ死ぬか娼婦になるしかなかったはずだ。下働きとしてでも雇われるなら喜んで着いて行った。
王子はなぜそんな事を聞くと言わんばかりに顔を顰めた。
「そうしたら、君を娶れないだろ。さすがに僕の相手は貴族じゃないと困る」
「へ…!?」
「君を気に入ったと言ったじゃないか」
「や…やっぱり、そういう意味で!?」
「そういう意味で」
「信じたくないですが、学園でもやたら殿下に付きまとわれたのは…私を好きだったから…!?」
「やっとわかってくれたね愛しい人。さぁこれで気持ちが通じたようだ。そのストロベリーブロンドの髪も、緑の瞳も、嫋やかな体も全て私のものだ」
そう言ってルーイ王子は私の手をとって口づけた。
「ひぎゃ!?」
「そう怯えないでくれリンデル。もっと虐めたくなる」
王子のくっくっと笑いをこらえる顔は、今まで見たことがないくらい楽しそうだった。
(いや!何も通じ合ってないよ!?捕まったらヤバイ!!)
私の本能が逃げろと言っている!
とっさに馬車の扉を開けて逃げようとするが、腕をつかまれ強引に王子の膝に乗せられてしまった。するりと腰に回された腕は動かない。
背中に押し付けられる体温に羞恥を煽られる。
もがこうとした私の耳元に、ルーイ王子はささやきかけた。
「…君が逃げてしまうと、エレナがどうなるかわからないよ」
「ふぐっ」
「リ、リンデルお嬢様…」
あまりの衝撃にすっかりエレナのことを忘れていた。
彼女を見るとぶるぶると震えて捨てられた子犬のような顔をしている。幼い時から支え合ってきた親友を置いていくことはできない。
この王子のことだ。ガチでどんな目に合わせられるかわからないではないか。
動かなくなった私を抱えなおして、王子はコンコンと馬車の天井を叩いて御者に言った。
「このまま王宮まで行ってくれ」
「えぇ!?」
「もう君を離さないよ」
「そんな!!私は一言も同意しておりません!」
無情にも馬車は走り出した。
一番の被害者はエレナさん…