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コーヒーがちょうど二人ぶん入ったところで、さくらさんが浴室から出てきた。マグカップを両手に一つずつ持って振り向けば、さくらさんはじっと立って私を見下ろしている。なぜ半裸。
「ミルクと砂糖いりますか?」
「いや」
「服、着られなかったですか? サイズ小さかった?」
「いや」
さくらさんの手が肩にかけたタオルから、私へ向かって伸びる。マグカップを捨ててナイフを掴みそうになったが左足で堪えて、その右手の行方を待った。
さくらさんの手が、私の首に、触れる。指先は冷たかった。手のひらが触れる。あたたかい。親指に一瞬力が込もって、抜けた。首を掴むような動作に、対処を迷う。殺すだろうか。殺すべきだろうか。指先が髪を絡ませる。
「さくらさん」
「ああ」
「付き合ってください」
私が告げると、さくらさんの瞳の、殺気まじりの哀れみは、ゆっくりと驚きに色を変えた。
「何を、突然。会ったばかりだ。好きかどうかなんて」
「突然? でも、また会えるかもわからないもの。それに、恋人でもない人に撫でまわされるのって、どうなんでしょう」
バッと手が首から離される。さくらさんは正気に戻ったような顔で、浅く息を吸っては何かを言おうとして言葉にならない息を吐き、それを何度か繰り返した。
「……悪かった」
「いいですよ。付き合ってくれるなら、好きにしても」
「そういうことは、無闇に言わないほうがいい。……無惨に殺されても、文句は言えない」
そうですね、と答えようとして、あまりいい返事ではないと思い止まった。好きにしていいとも言われずに殺した私には、答えるべき正しい言葉はない。正論は、それを正しく使える人だけが口にすべきだ。人を攻撃するために正論を使うような人間ではなく。
「無惨に殺されてもって。好きにしていいなんて言わなくても、殺人鬼はお構いなしですけどね」
「そうだな。もらうよ」
さくらさんは私の手からマグカップをひとつ取り、猫舌に優しくなったコーヒーに口をつけた。