59話「眠れる獅子」
「――みなさん、ありがとうございました」
交渉が終わり店を出た後、俺は今日来てくれたみんなに頭を下げて、見送っていた。
クイクイ――。
ん?
「どうした、佳織――え?」
いつも通り、佳織が俺の服を引っ張ったのかと思って振り替えると、そこに居たのは綺麗な金色の髪を長く伸ばした、アニメの世界から出てきたような少女だった。
「失礼しました。――アリスさん、どうしましたか?」
俺の服の袖を握ったまま、ボーっと俺の方を見上げているアリスさんに声をかけてみる。
「体……無理……よくない、よ?」
「え?」
「死に……たいの?」
「――っ!」
アリスさんは心配そうな表情で、あり得ないことを言ってきた。
俺は慌てて佳織の方を見る。
佳織は俺達の方を見ていたが、俺の体調を気にした様子はない。
……馬鹿な――俺の病気の事を知っている佳織でさえ、今俺が頭痛を起こしていることに気付いてない。
しかも、今回はそこまで頭痛は酷くなかった。
なのに俺の頭痛が命に関わる物だって事、なんでわかるんだ?
ここに来る前に調べてきたのか?
ある程度は俺についても調べてきてるだろうが、その情報を得ているのなら、アリアさんが利用してこなかったのがおかしい。
あの子は、相手の弱味をつきながら交渉を進めるタイプの人間だ。
つまり――この情報はアリスさんしか得ていないということか?
しかし――それなら何故アリアさんに進言していないんだ?
一緒に付いてきたと言うことは、少なくとも仲は悪くないはずだ。
考えられるのは、先程得た情報だから伝える暇がなかった――つまり、俺が頭痛を起こして気付いたと言うことだ。
あり得ない事実に、俺の背中を冷たい汗が流れる。
「クロ……アリスと……来る?」
アリスさんは可愛らしく首を傾げながら、俺の顔をジーっと見ていた。
「クロって、俺の事ですか?」
コクッ――と、アリスさんは頷いたが、その後に言葉は続かない。
俺にした質問に対する答えを待っているのだろう。
一緒に来るかどうか聞いてきたと言うことは、話の流れ的に、手術を受けるかということか?
いや、でもこの子は不思議な子で有名だし、全く関係ない可能性も……。
「それは、手術を受けるためについてくるか――ということですか?」
「そう、だよ……?」
やはり手術の事だったか……。
しかし、何故この子は俺にそんな提案をして来る?
これがアリアさんなら――十中八九、紫之宮財閥側につく俺を抱き込んで、今後有利に事を運ぶためだろうが……。
――駄目だ、先入観からかこの子の考えが読み取れない……。
こんなにも考えが読めない子は初めてだ……。
ただ一つわかるのは、紫之宮会長と話がついている以上、この話を受ける必要はないということだけだな……。
「心配していただき、ありがとうございます。ですが、大丈夫ですよ」
俺はそう言って、アリスさんに笑顔を返した。
「そう……」
アリスさんは俺の返事にシュンっとしてしまった。
うっ……罪悪感が物凄い……。
「お姉ちゃんー、帰るよー!」
少し離れた所から、アリアさんがこちらに呼び掛けていた。
「クロ……バイバイ」
そう言って、アリスさんはアリアさんの方に振り返って歩きだした。
「アリスさん」
俺はそんな彼女を引き留める。
これだけはどうしても確認しておきたかった。
「……?」
アリスさんはキョトンっとしながら、俺の方を振り返ってくれた。
ただ、一々絵になる子だな……。
俺はそんな馬鹿な考えを振り払い、彼女に質問をする。
「あなたは俺の策について、何処まで理解してますか?」
俺の言葉を聞いたアリスさんは、俺の顔を見つめてきた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「だい、じょうぶ……期待……してる……」
そう言って、アリアさんの方に歩いて行った。
「ハハ……」
なるほどな……彼女は不思議ちゃんなんかじゃない――周りが勝手に勘違いしてたんだ。
彼女の言葉が極端に少ないせいで、その言葉の意図を理解できずに『わけのわからない、不思議な事ばかり言う子』だと判断してしまったんだ。
さっきのアリスさんの言葉は『その策なら"大丈夫"、結果を"期待してる"』と、なっていたはずだ。
そして俺の質問が『策についてどこまで理解していますか?』だったが、その答えは、『"その策なら"大丈夫』というとこで、全て理解していると肯定している。
本当苦笑いしか出てこない……。
誰だよ、アリスさんは気にとめるも必要がないって言ったやつは……。
真逆だ――あれは化け物だ。
しかし、彼女は争い事を好まないというか、興味がないのだろう。
だから表舞台に立たない。
『能ある鷹は爪を隠す』ということわざがあるが、おそらく彼女の有能さを隠しいてるのはアリアさんだ。
だからあの時、彼女はあんな誤魔化し方をした。
ほとんどの交渉事はアリアさん一人でしているのは間違いない。
彼女自身かなり優秀だ。
だが、最終的な判断はアリスさんがしているのだろう。
おそらく、アリアさんの策が失敗しそうだったら、アリスさんが口を挟むという、ストッパー役を務めているのではないだろうか?
だから、今日もアリアさんはアリスさんを連れてきた。
こういったことに興味がないアリスさんも、妹のためなら力を貸すと言ったところか……。
しかし――『眠れる獅子』か……そんな言葉が似合う相手を初めて見た……。
アリスさんは間違いなく、俺より頭脳も観察眼も数段優れている。
はっきり言って敵わない……。
これは俺の失策だったな……。
「ねぇ――ねぇってば!」
気付けば、佳織が頬を膨らませながら、俺の服の袖を引っ張っていた。
「あぁ、どうした?」
「いや、なんで無視するの!?」
「済まない……考え事をしていた」
俺はそう言いながら、佳織を見る。
「ど、どうしたの?」
「いいか、もしアリアさんから何か連絡があっても、俺が傍に居ないときは無視しろ。それと、向こうが接触してきたら取り合うな。すぐに逃げろ」
「え? え?」
佳織は俺の言葉に凄く戸惑っている。
だが、俺はそれ以上は佳織に話さなかった。
――あの好戦的なアリアさんが、この先何かしてこないとも限らない……。
いくら向こうにメリットがある提案だったとはいえ、紫之宮財閥にダメージが与えられるとしたら、何かしら仕掛けてくるおそれがある。
そしてそれで狙われるとしたら、この場にいて一切口を開かなかった佳織だ。
なにも話をしなかったのに、こんな歳の少女が居たということは、紫之宮財閥の関係者だと言うことはバレているだろう。
それに調べれば、佳織がどんな立場にいるかわかるだろうから、紫之宮財閥の中枢に迫れる人間でありながら、もっとも裏切りやすそうな立場にいる人間だと考えるだろう。
そこに佳織の性格についての情報はないが、何か仕掛けてくるとしたら、絶対に佳織に接触してくる。
佳織が裏切る事はまずないと思うが……アリアさんなら、断れないように外堀を埋めてくる可能性がある。
何より、そこにあのアリスさんが加わるとなれば――くそ……佳織をこの場に同席させたのは、致命的なミスだ。
こうなってしまっては、向こうが素直に今回の件を見届けてくれることを祈るしか……。
俺はアリスさんという、自分が勝てないと思う存在を見落としていた事を後悔するのだった――。







