35話「交錯する二人の思い」
花宮と別れた後――俺は真っ直ぐ家へと帰った。
家の近くまでくると、メイド姿をした一人の女性が立っているのが見えた。
めんどいな……。
どこかで時間を潰すか?
いや――この人の事だ。
俺が帰ってくるまで、例え夜が明けようとも待っているだろう。
俺はあきらめて、その女性へと声を掛けた。
「何か用ですか、由紀さん?」
俺が声を掛けると、由紀さんはゆっくりとこっちを見てきた。
「お帰りなさいませ、龍様」
由紀さんは、俺の事を観察しているのだろう。
挨拶して以来、ジッとこちらを見たまま、黙り込んでいた。
やがて――真剣な表情のまま、口を開いた。
「正直に、龍様のお考えを聞かせて頂けますか?」
やはりか……。
この人が居た時点で、この話になる事はわかっていた。
「嫌だな、由紀さん。そんな怖い顔しないでくださいよ。きちんと、楓先輩のお父さんに会いに行きますよ」
「本当ですか?」
「……しつこいですね、何をそんなに心配してるんですか?」
「龍様が会いに行く気があるように、見えないからです」
「……」
どうするかな……。
誤魔化すのは難しそうだ。
由紀さんは俺の病気の事も知っているし、正直に話す方が得策か……。
「そうですね、会いに行く気はないですよ」
由紀さんは俺の言葉を聞いても、表情を変えなかった。
俺がそう返すとわかっていたのだろう。
「龍様は、何故会いに行く気が無いのですか?」
「由紀さんもわかっているんでしょ? 俺が会いに行ったって、楓先輩の為にならないからですよ」
「本当にそう思っているのですか?」
「当たり前ですよ。もしここで会いに行って、楓先輩のお父さんに認められたところで、俺にはもう未来が無い。だから、会いに行かないほうが良いんですよ」
「龍様は、病気を言い訳にしているだけではないですか?」
「そんなことありませんよ」
俺は由紀さんから顔を背けた。
この人には色々とお世話になっている。
だから、怒りをぶつけたくなかったのだ。
「では、何故きちんとお嬢様と向き合わないのですか? こんな回りくどいことまでして」
「あの人の泣き顔を見たくないからですよ」
「あなたは卑怯な方ですね」
なんと言われようと、俺は意志を変えるつもりはなかった。
確かに俺は卑怯者だろう。
楓先輩に病気の事を告げる事もしていないし、お別れも言わずに、楓先輩の目の前から消えようとしているのだから。
でも、それでよかった。
何も知らない方が、あの人も幸せだろう。
「卑怯者が大切なお嬢様の前から消えるんです。良かったじゃないですか」
俺はそう言って、由紀さんに背を向ける。
「龍様、お嬢様のお気持ちもお考え下さい! お嬢様はあなたが絶対来てくれると、信じて待っておられます!」
初めて聞く、由紀さんの大きな声に俺は驚いて振り返ってしまった。
丁度月明かりが由紀さんを照らし、その目から涙が流れていたことに気づく。
俺は一瞬、息を飲んだ。
こみあげてくるのは、由紀さんへの罪悪感。
優しいこの人を泣かしてしまった。
だが――俺もここで譲るわけにはいかない。
「由紀さん、あなたこそよく考えてください。今回楓先輩と俺が会えなくなって、楓先輩が落ち込んだとしても、そんなに時間をかけずに立ち直れるでしょう。そのために、俺は花宮を紫之宮財閥へと入れる様に仕向けました。今はまだ楓先輩に興味を示していないあいつですが、これから先楓先輩と一緒に居れば、あいつは必ず楓先輩を幸せにする対象として見てくれます。あいつは俺よりも優秀ですから、必ずや、俺の代わりを務めてくれるでしょう」
花宮は、これからの俺の行動にも協力してくれると言った。
つまり、楓先輩の事をお願いすれば、あいつは聞いてくれるのだ。
そして楓先輩が花宮の事を認め、傍に置いてくれるようになれば、あいつが望む――自分の傍にいてくれる存在へと、楓先輩がなる事になる。
それは必然的に、花宮が幸せにする対象に、楓先輩がなる事を意味する。
花宮の有能性は十分知っているため、楓先輩の大きな力へとなってくれる事を確信している。
「そう言う事を言っているのではありません!」
……まぁ、そうだろうな。
花宮は女子だ。
だから、男としての俺の代わり自体にはなれない。
「ここでもし俺が楓先輩の元へ行き、彼女の望む展開になったとしましょう。それから少しして、俺が病気で死んだらあの人はもう立ち直れないんじゃないですか? 彼女が俺の死を受け入れれるようには思えません。今ここでお別れするのが、お互いのためなんですよ」
「そんな覚悟、お嬢様はとっくに出来ています!!」
なん、だと……?
「どういうことですか?」
俺は由紀さんの目を、真っ直ぐ見据える。
「龍様が病院へ行っている理由をお尋ねした日、私は楓お嬢様にその事を報告しているんです!」
「――っ!!」
俺との約束を破っていたのか!
だか――それならばおかしい。
楓先輩が俺の病気の事について知っているようなそぶりは、一切見えなかった。
「嘘を言わないでください……それでは辻褄があいません」
「嘘ではございません! 龍様ならお判りでしょう!? 楓お嬢様は、知っている事をあなたに悟られない様に、過ごしていたのです!」
……普通なら不可能だ。
だが、楓先輩ならありえる。
あの人の本当の性格は甘えん坊だったのに、俺はその事を由紀さんから聞くまで知らなかったし、気づかなかった。
それどころか、自分にも他人にもとても厳しい人で、律するのが得意な人だと思っていた。
それほどの演技力を持っている人。
おそらく幼いころから紫之宮の人間として――相応しい人間として、演技し続けていたからだろう。
だから、病気の事を知らない様に演技をしていた可能性は十分あり得た。
「なぜ――なぜ俺にその事を聞いて来なかったんですか!?」
普通そんな事を知れば、誰だって問い詰めてしまう。
俺が同じ状況なら絶対にそうした。
「龍様が手術を望んでいなかったからですよ――! ですから楓お嬢様は何も言わずに、龍様の傍にいらっしゃったんです!」
「ですが、覚悟が出来ているつもりになっているだけですよ! 本当に目の前で大切な人が死ねば、想像を絶する思いになるんですから!」
俺は親を二人とも亡くしているんだ。
それがどれだけ辛い事かを知っている。
その辛さは、夕美やこのみが傍にいてくれなかったら、俺は今ここにいなかったかもしれないくらいだ。
実際――父さんは、母さんの死で別人の様に変わってしまった。
酒に溺れ、それが原因で死んでしまうほどに。
「そうですか、龍様はお嬢様のお母さまについて聞かれていないのですね……」
「どういうことですか?」
「楓お嬢様も大切な人を亡くしているんです。しかも、ご自身の目の前で……。楓お嬢様のお母さまは、10年前にお病気で亡くなっているのです。確かに、龍様のおっしゃる事もわかります。事実、旦那様は奥様を亡くされて以来、仕事にとりつかれたようになられています。ご家族の事も、会社のための道具にしか考えられていないほどにです。ですが楓お嬢様は、大切な人を亡くす辛さを知っていてもなお、龍様が手術をせずに、今を大切にして最期を過ごすというのなら、お望みどおりにさせてあげたいとお考えです」
「……」
俺は何も言えなかった。
色々な情報により、気持ちの整理がつかないのだ。
呆然としている俺の事を気にせず、由紀さんの言葉はまだ続いている。
「もちろん、それは手術の成功率の低さも相成ってでしょう。いくらお金がかかろうと、成功率が高いのなら、お嬢様も手術をするように説得されていたはずです。『成功率が低く、失敗して死ぬ可能性があるのなら、黒柳君が手術を望まない限り、最期を迎えるまでの残り少ない時間を、一緒に過ごしたい。悔いが無い様に色々な事をして、幸せな思い出を二人で一杯作りたい』と、そうお嬢様はおっしゃられていました。しかし今、このような状況になって、お嬢様の思いはどうなるのです!? そこまで覚悟を決めてらっしゃるあの方を、あなたは見捨てるのですか!?」
知らない間に、俺の目からも涙が流れていた。
楓先輩が急に甘えるようになったのは、俺に心を許し、甘えれる対象として見たからこそ、本性が出てきたのだと思っていた。
だが実際は――俺と幸せな時間を過ごし、たくさんの大切な思い出を作ろうとしてくれていたのだ。
あんなに甘えてきたのは、今しか甘えれる時間が無いことを理解していたからだったのかもしれない。
俺はそんな人を自分の勝手な思い込みで、裏切ろうとしていた。
それどころか、あの人を嵌める様なことを俺はしていたのだ。
自分がやってしまった過ちに、今更ながら後悔していた。
「龍様、もう一度お尋ねします。楓お嬢様と旦那様にお会いして頂けますね?」
「…………は……い……」
俺がなんとか絞り出した声は、情けなく震えた小さい声だった。
しかし、由紀さんはそれで満足してくれたようで、優しく微笑んでくれた。
――自分がした事に対して、後悔していても遅いだろう。
それならば、未来につながる事を今からすべきだ。
楓先輩のお父さんが、素直に俺の事を認めてくれるとは思えない。
多分、今度会うのもただの形式でしかないだろう。
だから、何か手を打っておかなければならない。
「――由紀さん、一つお尋ねしたいのですが、紫之宮財閥の会長は、今回の事をどうお考えなんでしょうか?」
紫之宮財閥の会長とは、楓先輩のお爺さんだ。
現在では、楓先輩のお爺さんは隠居している様なもので、名貸しをしているようなものだとは前に聞いていた。
だが、今でも大きな発言力を持っている事は間違いない。
ならば味方につけるとすれば、この人だ。
「会長は楓お嬢様の軟禁について、難色を示しております。ですが、おそらくは結末まで見届けるでしょう。先ほどもお話しましたが、旦那様は奥様を亡くされて以来、人が変わってしまっています。会長はそんな若くして奥様を亡くされ、仕事しか見えなくなった旦那様を不憫に思われて、好きにさせるようにしていらっしゃるのです」
なるほど……。
軟禁について良く思っていないのだったら、味方につけるのも難しくないと思っていたが、そういう理由なら難しいかもしれない。
だが、やってみる価値はあるだろう。
もし駄目ならば次の手を打たないといけないため、すぐにでも動き出したい。
「会長とはどうやったらお会いできますか? 花宮……。いや、愛さんに口添えして頂ければ、お会いできるでしょうか?」
俺の質問に、由紀さんは首を横に振る。
くっ……。
愛さんの口添えでもダメなのか……。
なら、また役員達に頼むか?
だが、そんな時間あるのか……?
俺がどうするか考え込んでると、由紀さんは笑っていた。
なんでこの状況で笑えるんだ?
「多分そんな事しなくても、龍様ならお会いできますよ?」
「え?」
俺は予想外の一言に、すっとぼけた声を出してしまった。
「龍様のお名前を出して頂ければ、会長はすぐにでもお会いしてくださるでしょう」
どういうことだ?
――ああ、そうか。
俺が後継者争いで糸を引いていた事は楓先輩のお父さんも知っていたんだから、会長が知っていてもおかしくない。
その功績で会ってくれるという事か。
「わかりました。明日にでもお願いできますか?」
「それは会長のご予定を確認致しませんとわかりませんが、予定がわかり次第、連絡させて頂きます」
「ありがとうございます」
俺はそう言って、頭を下げた。
「お嬢様の為にしている事なので、気にしないで下さい。龍様、どうか楓お嬢様をお救いください」
お救いか……。
俺がこれからする事は、本当に彼女を救うことになるのだろうか?
むしろ、彼女を地獄へと導こうとしているんじゃないだろうか?
何処かの大手企業の御曹司とこのまま結ばれた方が、彼女のためなんじゃないだろうか?
未だにそんな考えが浮かんでくる。
だが――もうそんな事はどうだっていい。
楓先輩が俺の事を望んでくれているのなら、俺も自分の気持ちに素直になろう。
それがここまで俺を信じ、覚悟を決めてくれているあの人への誠意に――いや、理由づけをするのはもうやめよう。
俺があの人に会いに行きたいのは当然なんだ。
だって、俺はあの人の事が好きなのだから――。







