21話「不穏な空気」
花宮と話した翌日、俺は紫之宮先輩の家を訪れていた。
後継ぎ問題を抱える花宮の事を相談しに――というわけではなく、ただたんに、紫之宮先輩に呼び出されたからだ。
有無を言わせぬ雰囲気に気圧された俺は、素直に従うことにした。
それに、花宮の事をおいそれと誰かに話すわけにはいかない。
あいつの抱える問題は大事だからだ。
しかし、チャンスがあれば紫之宮先輩から情報をぬきとろう。
「よく来てくれたわね、黒柳君」
俺が考え事をしていると、紫之宮先輩が食堂に入ってきた。
その後ろには由紀さんが控えている。
「いえ、食事にお招き頂きありがとうございます」
……パッと見は、いつもどおりの先輩だな?
昨日の事はもう怒っていないのか?
俺達が席につくと、すぐに食事が運ばれてきた。
とりあえず先に食事をとろうということで、俺は目の前に並ぶ豪華なおかずへと箸を伸ばす。
そうして、おいしい食事に心が満たされていると、先輩が口を開いた。
「最近、悩み相談委員の評判がいいわね」
「ありがとうございます」
俺は素直に、その言葉を受け取った。
実際悩み相談委員は、最初の依頼無しが嘘だったかのように、依頼がくるようになり、それらをすべて解決しているのだ。
「他のメンバーが優秀ですからね。加奈と裕貴が頑張ってくれてますし、夕美と力生の二人が入ってくれたのも大きいですね」
加奈は相変わらずのコミュ力の高さで活躍してくれているし、裕貴は荒っぽいところはあるが、喧嘩などのもめごとにはうってつけだし、何より曲がった事が嫌いな分、真剣に取り組んでくれている。
そして夕美が入ってくれたことにより、解決策を二人で話し合えるようになり、俺が居ないときにも代わりに指示を出してくれている。
力生はイップスを克服する手助けをしたお礼として、悩み相談委員に入ってくれた。
流石強豪サッカー部でレギュラーを張っているだけあって、運動部の悩みごとには良い意見を出してくれるし、女子から人気があるからか、力生が入ったことにより、悩み相談委員の名前が広がった部分もある。
「妹さんが悩み相談委員に入らなかったのは意外だったわね」
「そうですね」
確かに俺も、夕美が委員に入ったときにこのみも委員に入るものだと思っていたが、何故かこのみは入ることを拒んだ。
俺は理由がわからずに考えていたが、昨日の花宮の言葉がそれのヒントになるのかもしれない。
「まぁ、このみには委員会で頑張ってもらうより、学園生活を楽しんでほしいですから、これでよかったと思います」
「あら? それは悩み相談委員が楽しくないって事かしら?」
「いや、そういうわけではありませんが……」
この人、本当人のあげ足をとるな……。
「妹さん、いっつも柊さんと手をつないで歩いてるわよね? いつもべったりだし、仲が良いというか……まるで恋人みたく見えるわ」
――そう、そうなのだ。
このみが何をしているかはわからないが、それよりもっと気になっていたこと。
それは――このみと桃華ちゃんが女の子同士で付き合っている可能性があるという事だ。
桃華ちゃんは男に興味が無いと言っていたし、夕美が言うにはこのみは男性恐怖症になっているらしい。
今では、このみに言い寄る男どもを桃華ちゃんが追い払って、このみを守っているらしく、はたから見ても、このみは桃華ちゃんに好意をもっているようにしか見えない。
「頭痛くなってきましたよ……」
「そう、やはりそういうことなのかしら?」
「わかりませんけどね。事実を確かめるのも怖いです」
俺が頭を抱えていると、後ろから不意に声をかけられた。
「――それは、本当に悪い事なんでしょうか?」
「由紀さん?」
俺は驚いて、由紀さんの目を見つめる。
「恋愛は自由ですよ? 悲しいのは相手が見つからない事です。好きになれば男も女も関係ないと思いますよ」
由紀さんはそう言って、ほほ笑む。
「由紀さんはやっぱり大人ですね」
俺はそんな由紀さんの事を、凄いなと思う。
「そういう由紀は、彼氏いないのかしら?」
紫之宮先輩は、興味本位でそんなことを尋ねる。
「残念ながらいませんね」
由紀さんはゆっくりと首を横に振る。
「由紀さんは出会いがないだけじゃないですか? 由紀さんのような人なら、普通彼氏がいてもおかしくないと思いますし」
「いえいえ、龍様。私には縁の遠い話ですよ」
由紀さんなら、本当に彼氏がいてもおかしくないんだけどな――。
「ふふ、黒柳君? 由紀が彼氏いないって聞いてすぐ口説こうとするなんて、中々良い度胸してるわね?」
気づけば目の前で食事をしている紫之宮先輩が、素敵な笑顔でこちらを見ていた。
――もちろん、恐怖を感じさせる方の笑顔だ。
なんでこの人って、怒ると笑顔になるの……?
逆に怖いんだけど……。
「違いますって先輩! 素直に思ったことなんです!」
「そう、素直に口説こうとしたのね?」
「だから違いますって!」
俺達のそんな様子を、由紀さんは楽しそうに笑ってこちらを見ていた。
笑っていないで助けてください……。
「最近黒柳君、節操がないんじゃない? 次から次へと女の子に手を出しているわよね?」
「それも全部誤解です!」
「本当に誤解なのかしら?」
「俺に恋愛する余裕がないことは、先輩が一番ご存知でしょ?」
「そうね――卒業までは待っていてあげてるけど、借金は返してもらわないといけないわ」
そう、俺が借金を返し終わるまでは、俺に自由はない。
借金返済を待ってくれている紫之宮先輩と愛さんには、本当に頭が上がらないな。
「それまでは――あなたは私の道具ということになるわね」
「え……?」
道具だと……?
俺はその言葉に驚いた。
今まで先輩は、一切そんなことを言わなかったからだ。
俺は先輩の顔を見る。
――先輩の表情には、余裕がなくなっていた。
普段クールな先輩からは、想像がつかない姿だ。
その姿に、由紀さんも困惑の表情を浮かべている。
「紫之宮先輩、本気で言っているんですか?」
「なにが?」
「本気で、俺の事を道具だと思っているのですか?」
「ええ、そうよ。あなたは大きな借金を抱えている。それを返すことができない以上、あなたは私の道具よ」
……俺は心底失望した。
今まで憧れていた先輩に、そんな風に思われていると思っていなかった。
「――そうですか」
俺は先輩の顔を見る事ができず、荷物をまとめて席を立つ。
「どこに行くの?」
「帰らせていただくんです」
「そう、わかったわ。由紀、車を手配して」
「よろしいのですか?」
そう言う由紀さんは、悲しそうな顔をしている。
「いいのよ」
先輩はそう言って、部屋を出て行ってしまった。
その後姿は、いつもの凛々しい姿だった。
先輩は、本気であんな言葉を言ったのだろうか?
仲良くなっていたと思っていたのは、俺の勘違いだったのか?。
あの人にとって、俺は本当に道具でしかないのだろうか?
――そんな悪い考えばかりが、頭に浮かんでしまう。
「龍様……少しよろしいでしょうか?」
俺が呆然と立ち尽くしていると、由紀さんが俺の顔を覗きこんできた。
「なんですか?」
俺は慌てて顔を背け、由紀さんに問いかけた。
「こちらへ来てください」
そう言った由紀さんに連れてこられたのは、女性の部屋だった。
「ここは?」
「私の部屋です。誰にも聞かれずに話をするには、ここが良いかと」
「話とは何ですか?」
「お嬢様の先ほどの非礼についてのお詫びと、知っておいてほしいことがあります」
そう言うと、由紀さんは頭を下げた。
「やめてください! 由紀さんが悪い事をしたわけではないんですから!」
「主人の尻拭いをするのも、勤め人の役目なのです」
「本当にやめてください!」
俺は由紀さんの肩を掴み、顔をこちらに向けさせる。
「お嬢様について、龍様はどのようにお考えで?」
俺はその言葉に一瞬動揺してしまったが、正直に思っている事を言う。
「――厳しくて冷たい人だけど、本当は優しい人だと思っていました。ですが今回の事で、ただの冷酷な人間かと思っています」
俺はそう言って、目を閉じる
すると、先ほどの光景がすぐ浮かんできた。
「お嬢様は普段から性格を偽っておられるのです。紫之宮の人間としてふさわしくある様にと育てられ、使用人たちの前でも一切弱みを見せない凛とした人間を演じています。でも、本当の楓ちゃんは凄く甘えん坊で、優しい泣き虫な女の子なんです。その姿を知っているのは、私と愛と白川様だけです」
「そうですか、例えその話が本当だとしても、俺には関係ありませんよ。先輩が俺にその姿を見せないという事は、俺の事を信用していないからでしょ?」
俺は自分でもわかるくらいイラついていた。
もう一人にしてほしいのに、由紀さんは帰らせてくれようとはしない。
「それは違います。お嬢様は龍様が男の方なので、距離感を掴みきれていないだけなのです。よくお嬢様は龍様の話をされるんですよ?」
「だったら、さっきのはなんだったんですか!」
とうとう俺は怒鳴ってしまった。
「お嬢様は今追い詰められているんです」
由紀さんは辛そうにうつむいてしまった。
「後継者争いですか?」
由紀さんは俺の言葉に、バッと顔をあげる。
「ご存知だったのですか?」
「たまたま耳にする機会がありましてね。今紫之宮グループは三つに分かれているんですよね?」
「そうです。愛様を後継者として推薦するグループ、楓様を後継者として推薦するグループ、そして、第三者の人間を推薦するグループ」
ここで、第三者の名前を出さなかったのは、由紀さんなりの気遣いなんだろう。
俺が三つのグループとあえて口にしたことで、由紀さんは第三者の人間が誰であるかを俺が知っていることに気づいているはずだ。
「普通なら、長女である愛さんが後継者になるんじゃないですか?」
「確かにそうかもしれません。しかし、愛様は自由奔放な性格なうえに、拘束を嫌います。今複数の会社の社長をしてはいますが、当主となる事を嫌っていて、楓様に譲るお考えです」
「紫之宮先輩は?」
「愛様の意見を尊重して、後継者となるおつもりでした。大学を卒業と同時に後を継ぐ準備を始めるということで、今まで落ち着いていたのですが……」
「後継者にふさわしい第三者が見つかったと?」
「その通りです。行方不明になられていたはずの方が見つかったのです。その方のお母さまが、重役の方々から大変慕われていた方だったので、重役の方々はその方を当主にしたいとお考えなのです。しかし、それを良しと思わない愛様達のお父様は、楓様を追い込んでしまっているのです」
「紫之宮グループほどの大きな会社になると、社長一人の判断では後継ぎは決められないということですか?」
「その通りです。そして、現社長は楓様に権力を持つ婚約者をつけさせ、後を継がせる考えなのです」
そこまで話が膨らんでいるとは……。
やはりこの問題は難しいな……。
だけど――
「――だから何です?」
「龍様?」
「俺には関係のない話ですよね?」
俺の言葉に由紀さんは驚いた表情をして、ソッと顔を背ける。
そして、弱々しい声で口を開いた。
「確かに龍様には関係のない話かもしれません。しかし、今回の事でお嬢様を嫌わないでもらいたいのです」
「なんでそこまで俺にこだわるんですか?」
「龍様なら、お嬢様を救ってくださると信じているからです」
由紀さんは澄み切った瞳をしている。
「ただの一学生でしかない俺には、どうしようもありませんよ」
どいつもこいつも勝手だ。
人に勝手に期待して頼ってくる。
頼られた方が、どれだけしんどい思いをするのかも知らずに。
……どれだけ頑張って、期待に応えているかも知らないくせに。
「お嬢様が他の殿方にとられてもいいのですか?」
由紀さんの口調は、先ほどまでの優しい口調ではなかった。
「龍様は優しいお方ですから、お嬢様が好きな相手と結ばれるのなら、心からお祝いされるのかもしれませんね。でも、今お嬢様は好きでもない人と結ばされそうになっているんです。それでいいんですか?」
――良いわけがない。
しかし、先ほどの先輩の言葉が心に刺さっている俺としては、どうしようもない。
あんな言葉が今も心に深く刺さってしまっているのは、それだけ先輩の事を想っていたということなのか……?
「これは勝手なお願いです。どうかお嬢様の傍にいてあげてください。お嬢様は龍様に傍にいてほしいと思っています。道具だといったのはそう言えば――借金を盾にすれば、龍様が傍にいてくれると思っていたからです。お嬢様はそんな事の判断もできないほど、追い込まれているんです。どうか傍にいてあげてください、お願いします」
そう言って由紀さんは頭を深く下げた。
元々あいつとの約束があるため、今回の後継ぎ問題を傍観するつもりはなかった。
何が正しいか俺にはわからない。
それなら――俺が正しいと思うことをしよう。
紫之宮先輩とあいつが望む方向にもっていくのが、俺の役目だろう。
ただ、そのお礼として借金はチャラにしてもらう。
そしてこの問題が片付き次第、紫之宮先輩とは縁を切ろう。
――俺に恋心は邪魔なのだから。







