19話「地獄絵図」
花宮さんがバイト先に来るというメッセージを受け取った俺は、ある人に電話をかけていた。
「――もしもし?」
「もしもし、黒柳です。すみませんが、今日そちらにお伺いすることは無理そうです」
俺がそう話した直後、電話口から聞こえてきたのは――プー……プー……プー……っという通話が切れた音だった。
まじか……。
まともに話も聞いてもらえないとは思わなかった。
俺がどうしようかと頭を抱えていると――突如スマホの通知音がなった。
スマホの画面に目を落とすと――
『私が話があって、バイトが終わった後でも大丈夫だからって事で昨日から約束してたのに、ドタキャンとはいい度胸ね?』
と、明らかに怒りを募らせているメッセージが届いた。
「は、はは……」
もう苦笑いしか出てこない。
俺が電話するからってことで離れていた華恋ちゃんが、俺が困った表情を浮かべていたせいで、心配そうにこちらを見ていた。
「華恋ちゃん行こうか」
俺は心配をかけないように、華恋ちゃんに笑顔を向ける。
華恋ちゃんは俺の様子が気になっているようだったが、気配りができる子だから聞いてくるような事はしない。
華恋ちゃんと並んで歩いていると、二人組の男女が手をつないでいる光景が目に入った。
高校生としては珍しい光景ではなかったため、華恋ちゃんの方を向きなおそうとしたが、その時ある事に気づいた。
手を繋いでいた二人は――桐山君と花宮さんのグループの一人だったのだ。
その事に気づいた俺は、今まであった違和感が繋がった。
なぜ――花宮さんは、あの時一人笑顔だったのか。
なぜ――今日俺にあの質問をしてきたのか。
なぜ――華恋ちゃんを身体的ではなく、精神的においつめたのか。
まさか……でも……そんな事が可能なのか?
しかし、それが可能だったからこそ、今桐山君と花宮さんのグループの女子は、手を繋いでいるのだろう。
結果論と言えば済む話かもしれない。
でも、花宮さんのあの態度は確信を持っていたはずだ。
俺は驚愕の事実に、額から流れる汗を拭くことも忘れ――ただただそこに立ち尽くしてしまった――。
2
俺は駅まで華恋ちゃんを送ると、そのまま急いで喫茶店さくらまで行った。
今日はフロア担当だったので、ウェイター服に着替えて出ると、テーブルの1つに思わぬ人物が私服姿で座っていた。
――先ほどの電話相手の、紫之宮先輩だった。
「し、紫之宮先輩……?」
「あら黒柳君、今日バイトだったの?」
白々しい……。
「今日はおひとりなんですね? いつも来られるときは会長も一緒なのに」
「ええ、何故か急にここの紅茶が飲みたくなってね。一度家に帰った後だったから、いきなり誘うわけにもいかないでしょ?」
俺の問いかけに答えた紫之宮先輩は、満面の笑みだった。
でも――目が笑ってない。
普通にこわい……。
あの電話の後、すぐ行動したって事だよな……?
それだけムカついたって事か……?
「ねぇ、注文したいのだけど、いいかしら?」
「あ、すみません、ご注文をどうぞ」
「キャラメルラテとチョコケーキで」
「かしこまりました」
俺は頭をさげて、先輩から離れる。
紫之宮先輩って、いかにもブラックしか飲まない大人の雰囲気を出してるけど、実は子供舌なんだよなぁ。
「りゅう~」
俺が先輩の事を考えてると、トレードマークのツインテールをピョンピョンと跳ねさせながら、加奈が近づいて来た。
「どうかしたか?」
「今日さ――バイト終わったら、一緒に買い物ついていってあげる」
加奈は笑顔で、一緒に買い物に行こうと誘ってくれた。
――そういえば、最近加奈には先に帰ってもらってて、いつも一人で買い物してたな。
一人より二人で買いものしたほうが楽しいし、献立も考えるのが楽だから一緒に買い物に行きたいんだけど――。
「ごめんな、加奈。今日は予定があるから一人で外食でもしてくれないか?」
「えぇ~。……もしかして、今日紫之宮先輩と一緒に食べるの?」
加奈は不満そうに頬を膨らませ、紫之宮先輩の方をこっそり睨む。
「違うよ、他の用事だ」
「誰と?」
「まぁ、後でわかるよ」
花宮の手紙通りなら、バイトが終わるまでの間に顔を出すだろうから、隠しても無駄だけど、今説明すると加奈の事だから絶対めんどくさくなる。
それに万が一にも、紫之宮先輩の耳には入れれない。
……先輩、はやく帰ってくれないかな……?
時折、こちらに凄く冷たい視線を送ってくる紫之宮先輩と、顔が合わないようにしよう……。
目の前では話をはぐらかす俺に対して、不満いっぱいになっている加奈が頬を膨らませたままだし、早く帰りたい……。
3
――もうすぐ閉店の時間となる喫茶店さくらの中で、俺は非常に焦っていた。
理由は単純――未だに紫之宮先輩が帰っていないのだ。
おいおい、暇人かよ……。
当の紫之宮先輩は、参考書を片手に勉強をしていた。
おそらく受験勉強なのだろう。
ただ、相変わらずこちらに冷たい視線を向けてくることをやめようとはしない。
俺がこの後どんな予定が入っているか、把握がしたいという事なのだろうか?
女の子と会う予定だってバレたら、どんな目にあわされるのだろう……。
しかし、帰ってくださいとは言えないし、どうすれば……。
――結局悩んだ末、俺はそれとなく帰るよう悟らせる事にした。
「紫之宮先輩? もう遅い時間なのでそろそろ帰らないと、家の方に心配をかけてしまいますよ?」
俺の言葉を聞いた先輩は、参考書から顔をあげ、呆れた表情を浮かべる。
「私の家には家族が居ないってこと、知っているでしょ? だから、心配してくれる家族はいないの」
「でも、執事の方やメイドの方達は、心配されてると思いますよ?」
「大丈夫よ。由紀には伝えてきたから」
由紀さんとは、俺より5つ上のお姉さんで、代々紫之宮家に仕えている家系出身らしく、先輩とは幼馴染にもあたり、小さいころから先輩の面倒を見ている人だ。
そのため、あの冷酷で有名な紫之宮先輩も、由紀さんには心を開いている。
由紀さんは俺と紫之宮先輩が食事をしている時も、いつも先輩の傍に立ち、俺達を優しい瞳で見守ってくれてる優しい方だ。
「黒柳君は私が帰らないと困るのかな?」
紫之宮先輩は意地悪そうな顔を浮かべて、こちらを見ている。
流石にそうだとは言えないため、どう返そうか悩んでいると、俺が悩んでいる原因の人物がついに登場した。
「やっほ~、クロヤンきたよ~」
お店に入ってきた人物に加奈は驚きの表情を見せ、俺の方を見る。
そりゃあ、そうだよな……。
加奈にとってはそれほどありえない人物の登場なのだから。
そして、目の前の先輩と言えば――。
「へぇ~、女の子。そう……私の約束を断った理由は、別の女の子と約束があったからなんだ。ふ~ん?」
笑顔を浮かべていたが、口元と目元がピクピクしている。
相当お怒りの様だ。
もうこれは無視するしかないだろう。
だって、下手に何か言えば、どんな目にあわされるかわからないから。
「クロヤンってなんだよ?」
俺はそう言って、今回の中心人物――花宮さんに視線を向ける。
「君のアダ名だよ? あ、桜井さんってここでバイトしてたんだ! それに、副会長がいらっしゃるとは奇遇ですね! 私、これからクロヤンと予定がありまして、クロヤンをお迎えに来ました!」
そんな風に笑顔で周りをつつく花宮さん。
やめてくれ……。
後で俺が殺される……。
俺は、加奈と紫之宮先輩二人の怒りがこもった視線を感じ、背中を流れる冷や汗がとまらないのだった――。







