1話「別れと出会い」
この作品は、ネコクロの処女作です。
――桜が散ってからどれくらいの月日が流れただろう。
まわりを見わたせば、桜の代わりに雪が舞っている季節。
時が経つというのは、あっという間だ。
どれだけ優れた人間だろうと、時を戻せる者はいない。
取り戻そうとしても取り戻せない。
だからこそ、人は後悔して生きていくのだろう。
かく言う俺、黒柳龍も、過去にたくさんの大切な物を置いてきてしまった――。
2
「お~い黒柳~、もうすぐ二年生にあがってこのクラスともおさらばになるんだから、みんなでこれから遊びにいこうぜ~」
クラスメイトの一人が、俺に声をかけてきた。
「ごめん、今日もこれからバイトなんだ」
俺は悪いとは思いながらも、そう答える。
「またかよ~。いつもお前バイトじゃねぇか。たまには俺らに付き合えよ」
「ごめんな、バイトを休むわけにはいかないから」
そう言って俺は同級生に手を合わせて謝り、教室を出ようとする。
すると、先程のクラスメイトと、近くに居た奴らの話し声が聞こえてきた。
「――なぁ、黒柳ってクラスの仕事を自分から進んでやるし、困ってる奴を放っておかない良い奴だけど、人付き合い悪いよな」
「あ~黒柳君、両親いないからお金に困ってて、バイト漬けの毎日らしいよ~」
「そうだけど、少しは俺らにも付き合ってほしいぜ」
「まぁ、また今度誘おうぜ。今回は俺らだけで遊びにいこうや」
俺も彼らと遊びたいが、そうするわけにはいかないんだよな……。
というか、俺がクラスを出た後に、そう言った話はしてもらいたいもんだ。
俺が彼らの声に苦笑いしていると、慌ててクラスから出てくる影があった。
「りゅう~、一緒にバイトにいこ~」
俺が一番親しくしている、桜井加奈が俺の制服の袖を掴んできた。
加奈は見た目は可愛いが、女子力が皆無な残念系女子だ。
ただ、過去にあった出来事で、俺には甘える仕草を見せており、俺も加奈の事を妹みたいに思っているため、よく一緒にいる。
「一緒に行くのはいいけど、また周りから噂されるぞ?」
俺は苦笑いを浮かべはするものの、加奈の手を振り払ったりはしない。
「とっくに噂になってるんだからいいじゃん。それより、また付き合い悪いってクラスで言われてたよ~」
ちょっと膨れっ面をしながら、加奈は俺の袖をクイクイっと引っ張り、一緒にトレードマークのショートツインテールがピョンピョン動いて、可愛いと思った。
「みんなには悪いと思ってるよ。でも、今はバイトを優先しないといけないんだ」
「それはわかってるけどさ~」
加奈はなんとも言えない表情をしている。
俺に両親がいないということは、あまり親しくない友人たちでも知っていることだが、詳しいことを全て知っているのは、加奈と一つ上の先輩の二人だけだ。
元々は誰にも話すつもりはなかった事だが、ずっと一緒にいてくれる加奈には打ち明けてもいいと思い、自分の過去を話した。
俺の母親は――俺が幼い時に大病を患い、早くに亡くなってしまった。
母親が亡くなった事が原因で、父親は酒におぼれるようになり、機嫌が悪い時は俺と俺にただ一人いた、妹のこのみに暴力をふるっていた。
俺はこのみを守るために、父親の顔色を常にうかがい、機嫌を悪くしないように努めた。
それにより俺は、周りの大人達からも良く出来た少年だと噂される様になっていた。
しかし、決して良いとは言えないまでも、なんとか上手く生きてきた俺達であったが、ある問題が起きたのだった。
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それは――現在より二年前に遡る。
俺のご機嫌とりにより、父親は暴力を振るわなくなっていたが、酒に溺れたままだった。
その末に父親は病を患い、亡くなってしまったのだ。
父親が亡くなって残ったのは、多額の借金だけだった。
ある程度は父親の生命保険で借金を返せたが、それでも300万ほど借金が残ってしまい、当時中学二年生と一年生の俺達では、到底返せる額ではなかった。
そんな中、一人の少女から俺にある話が持ちかけられた。
そして俺はその話をのむことにし、ある決意をする。
『このみと縁を切って、この借金を全て自分で背負い返していこう』と――。
そのためにまず俺がしたことは、このみには内緒で、隣に住んでいる同い年の幼馴染である、水沢夕美の両親にお願いをしに行った。
俺は今の自分たちの置かれている状況を全て説明したあとに――
「このみには幸せになってほしいので、このみの面倒をみてください」
と、頭を下げた。
「それを受け入れたとして、これから龍はどうするつもりだ?」
夕美の父親は怪訝そうな顔で、俺の方を見ていた。
「僕は遠くに引っ越し、バイトをしながら少しずつ借金を返済していくつもりです」
「それは見過ごせないな。確かに300万というお金は大金だが、それは私たちの方でどうにかするから、このまま龍も一緒に暮らさないか?」
夕美の父親はそう俺に言ってきてくれた。
正直に言えば、それは有難い話だ。
何よりおじさんたちが借金を肩代わりしてくれれば、このみとそして――夕美と離れずに済む。
だが――
「おじさん達にこれ以上迷惑をかけるわけにはいきません。大丈夫です、借金さえ返せたら、また戻ってくるつもりなので」
と、俺は笑顔でおじさん達に言った。
ここでおじさんたちに借金を肩代わりしてもらうなんてこと、俺には選べなかった。
幼い頃からおじさんたちには色々と良くしてもらっていた。
なのに借金まで任せるなんて、そんなことはできない。
それにそんなことをすれば、夕美にも迷惑がかかってしまう。
それだけはどうしても避けたかった。
ただ、そんなことを正直に言っても、おじさんたちは認めてくれないだろう。
だから俺は、借金を返したら戻ってくると言った。
しかし、まだ中学二年生である俺が、借金を返すのは容易いことではないため、俺が戻ってくるのは難しいだろう。
だがこうでも言わないと、許可がおりないと俺は考えたのだ。
「このみや夕美にはどう説明するつもりなの?」
夕美の母親が、口を挟んできた。
「このみと夕美には、全て内緒にして出ていくつもりです。心配はかけてしまうでしょうが、伝えてしまうとこのみがついてくると言うと思うので」
「龍の考えはわかったが、考えを改める気はないのか?」
「はい、今の僕には、こうする事しかできないので」
「わかった、しかし連絡先は教えなさい。それと住む先もな。何か困ったらすぐに連絡してきなさい」
おじさんは、なんともいえない表情をしながら、俺に優しく言ってくれた。
しかし――
「すみませんが、このみや夕美にばれない様にしたいので、それは出来ません」
と、俺は頭を下げる。
「それなら、今すぐに夕美に連絡をとる。そして、このみにも伝えさせるぞ」
おじさんは圧力をかけるように、俺に言ってきた。
俺はどうするべきか悩んだ末に――
「わかりました。このみの事はお願いします」
と言って、夕美の家を立ち去ったのだった。
――それから数日間、俺は自分の引っ越しのための準備と、学校で転校の手続きをした。
その際に、担任の先生には俺が引っ越す事を絶対に――このみにもばらさない事と、誰に聞かれても教えない事を約束してもらい、立ち去ったのだった。
そして転校した先で加奈と知り合うのだが、俺達が仲良くなるのは、それから少ししてからであった。
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――俺は今まで大切にしていたものを全て捨てたせいで、心に大きな穴があいた様な感覚にとらわれていた。
転校したばかりの俺は仲の良い友達を作ろうとはせず、自分とクライメイト達との間に、見えない壁のようなものを作るようになった。
それどころか、段々とこのみ達と縁を切った事が心を蝕んでいき、気持ちに余裕がなくなり、他人に冷たく接していくようになっていた。
周りの人間達は、俺の事を冷たい奴と称し、話しかける事すらしなくなり、俺自身クラスメイト達が自分をほっといてくれる事を、有難く思っていた。
当時の加奈は、そんな俺の事を嫌な奴と思っており、毛嫌いしていたらしい。
5
――ある日、クラスメイト達の会話が俺の耳に入ってきた。
「そうなんだ、加奈の両親、今日帰ってきてくれるんだね」
「良かったじゃん加奈。誕生日を両親に祝えてもらえて」
俺が声のするほうを見ると、桜井と女子二人が話していた。
「うん、今お父さんが転勤してて、お母さんもそっちについて行ってるから、私一人で生活してるけど、誕生日だからって家に帰ってきてくれるんだ~」
桜井はとても嬉しそうな笑顔を浮かべている。
俺はその笑顔を見て、まぶしいと思った。
彼女は俺と違って、幸福な人間なのだと――。
――その夜、スーパーに買い物に来た俺は、暗い表情をしている桜井を見かけた。
最初は関わらないようにしようと思っていたが、学校での桜井達のやり取りを思い出し、気になってしまったため、声をかけてしまった。
「桜井……どうかしたのか?」
「え……? あ、黒柳くん? なんでもないよ」
桜井は笑顔になるが、俺にはそれが作り笑いだというのが、すぐにわかった。
俺は桜井の持っている買い物かごが目に入り、入っているものを見て驚いた。
「それ……カップラーメンばかりじゃん……」
俺の言葉に、桜井はバツが悪そうに――
「私料理できないから、いつもこんなものばかり食べてるの。今日もこれが晩御飯」
と、桜井は少し悲しそうな顔を浮かべる。
「今日、誕生日じゃなかったっけ? 親が帰ってきてくれるんじゃなかったのか?」
「あ~、その話聞いてたんだ……。お父さん達、仕事が忙しくて帰れなくなったんだってさ。でも、仕方ないよ……仕事は大切だから……」
桜井はそう言って、また作り笑いを浮かべた。
……この子は俺と同じ、寂しい思いをしているんだな……。
……ほっとけない……よな……。
「――桜井って、好きな食べ物なに?」
「え……オムライスだけど急に何?」
「じゃぁ、好きなケーキは?」
「チョコケーキ――って、私の質問にも答えてよ」
桜井は俺の顔の前で、大きく両手を振る。
「今日の晩御飯と誕生日ケーキ、俺が作るよ。それで、二人で桜井の誕生日祝おう」
俺のその言葉に、桜井は凄くとまどってしまう。
俺は桜井の表情を見て、失敗したと思った。
それもそうだ。
年頃の女子が、いきなり男子に食事に誘われてしまえば、戸惑うのが当たり前だろう。
ましてや、相手は親しくない相手なのだから。
だけどそれ以上に、やはりほっとけないと言う気持ちが強かった。
「そんなのいいよ。てかなんで、黒柳くんが誕生日を祝ってくれるの?」
怪訝そうな顔で、桜井が俺の方を見てくる。
俺は下手な嘘をつくんじゃなく、正直な気持ちを言おうと思った。
「だって、今の桜井凄く寂しそうじゃん。それに、そんな食事ばかりだと体壊すよ?」
俺の言葉に、桜井は顔をムッとさせる。
「寂しくなんかないし、余計なお世話。それに、黒柳くんいつもと性格違わない?」
そういわれて、俺は考え込む。
確かに、俺がそんなことをしてやる義理もなければ、理由もない。
でも……やっぱりこんな表情をしている桜井は、ほっとけない。
「あ~わかったよ。じゃぁ正直に言うと、俺が一人で食事するのが寂しいんだよ。だから、桜井みたいな可愛い奴と、一緒に食事できると嬉しいなって思ったんだ。そのお礼として、俺が料理とケーキを作るってのでどうかな?」
「か……かわいいって私が!? ないでしょそんなの! てか、黒柳くん料理出来るの?」
「桜井は、誰が見ても可愛いと思うよ。料理は小さい頃からしてたから、得意な方かな」
その言葉に、なんだか桜井は顔を真っ赤にして、あたふたとしていた。
桜井は少し迷ったそぶりを見せた後――
「いいけど、料理作ってくれるなら、私の家にして。絶対男子の家なんかいかないし、私の家すぐ近くだから」
と、そっぽを向いて答えた。
俺はその言葉に頷き、二人で桜井の家に向かうのだった。
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桜井の家に入った俺は、あまりの光景に驚いてしまった。
ゴミ箱に、たくさんのカップラーメンのゴミが捨ててあったのだ。
「桜井……本当にカップラーメンしか食べてないんだな……。病気になるぞ……?」
「し、仕方ないじゃん! 料理できないんだもん!」
「料理が出来ないにしても、バランス良い物を買って、食べたらいいだろ?」
「も~そんなのほっといてよ!」
桜井は涙目で、すっかり拗ねてしまった。
俺はやれやれと、頭を掻きながら、台所に向かう。
「台所のもの、勝手に使ってもいいか?」
「おまかせしますよ~だ」
俺は『わかった』と頷いて、早速料理の準備にとりかかる。
元々桜井は両親と住んでいたということで、調理器具は一通りそろっていた。
だから予め店で買ってきたのは、具材と調味料だけだ。
俺が淡々と料理を作りあげていると、不意に加奈が声をかけてきた。
「黒柳君って、いつも家で料理してるの?」
俺は少し考え――
「あぁ、そうだよ。代わりにご飯を作ってくれる人なんていないからな」
と、答えた。
「もしかして、一人暮らし? 中学生なのに?」
その言葉に、俺は苦笑いする。
「桜井だって、今一人暮らしのようなものだろ?」
「まぁ、そうだけど……私の場合はほら、親が家を留守にしてるだけだから」
「生活力の無い子供を残していくのは、どうかと思うけどな……」
「ちょっ……それはちょっと失礼じゃないかな!?」
「事実だろ?」
俺はそう言いながら笑う。
そんな俺の顔を、桜井はジッと見つめてきた。
「どうかしたのか?」
俺は料理を続けながら、桜井に尋ねた。
「いや、黒柳君が笑う所初めて見たなって思って。良い顔で笑うんだね」
桜井はなんだか嬉しそうにしている。
俺はこのみ達と別れてから、自分が笑うことはなかったなと思い返す。
それから二人の間で会話がなくなったものの、気まずい雰囲気はなく、寧ろこの沈黙を俺達は心地よく感じていた。
そんな中、料理が完成し、部屋の中で良い匂いが広がる。
桜井の眼は、凄くキラキラしていた。
「はい、簡単に作れるものばかりだけど、召し上がれ」
俺は、先ほど桜井が好きと言っていたオムライスに、野菜のスープを机に並べた。
「凄く美味しそう。いただきます」
桜井は、オムライスをスプーンで一掬いし、口に運ぶ。
桜井は無言のまま、口に含んだオムライスを食べていた。
「もしかして、口にあわなかったか?」
俺はおいしくなかったのかもしれないと、心配になり、尋ねてみた。
俺の言葉に、桜井は凄い勢いで首を横に振った。
「ううん、美味しすぎて言葉が出なかった。なにこれ……卵はふわふわで少し甘みがあって……中のチキンライスは、味がしっかりしてるのに、濃い過ぎず食べやすいよ」
桜井は満面の笑みを浮かべて、幸せそうに食べている。
そんな桜井を見てて、俺は自分の胸に、温かい気持ちが広がっているのを感じていた。
「気に入ってくれたみたいでよかったよ。そっちの野菜スープも、良かったら飲んでみてくれ」
桜井は俺の言葉に従い、野菜スープを飲んでみる。
「このスープも凄くおいしい。これなら野菜をいっぱい食べられるよ」
その言葉に、俺はまた笑ってしまう。
「おいおい、もしかして野菜嫌いなのか? 子供かよ」
「そ、そんなことないよ? 野菜好きだよ?」
桜井は、慌てて否定する。
「ふ~ん?」
俺は加奈の顔をジッと見る。
「あ、その顔絶対信じてない顔だ! 嘘じゃないからね!?」
そんな桜井を見て、俺は笑いながら自分も料理に手をつける。
桜井もふてながら、俺と同じように料理を口に運ぶ。
桜井はその度に幸せそうな顔を浮かべてくれて、俺はその事に喜びを感じていた。
早く食べ終わった俺は、桜井に『ゆっくり食べてて』と言い、また台所にたっていた。
それから少しして、俺はケーキを桜井のとこに持って行った。
「じゃあ、これで誕生日を祝おうか。誕生日おめでとう、桜井」
と、桜井の前に、ショートケーキにカットしたチョコケーキをおいた。
「え!? ケーキも本当に作れたの!?」
「昔、妹のために色々作ってたからな」
「へぇ、妹さんが居るんだ。なんか妹さんがうらやましいな……。こんな素敵なお兄ちゃんがいるなんて――」
俺は桜井の言葉に照れてしまい、桜井から顔を背けてしまう。
桜井も自分が漏らした言葉に照れてしまったのか、しばし、気まずい雰囲気になってしまった。
「まぁ、ケーキを食べよう」
沈黙に耐えられなくって、俺は桜井にケーキを勧める。
「あ、うん――このケーキも凄く美味しい! 黒柳君凄いよ!」
「ありがとう。喜んでもらえて嬉しいよ」
「なんか、途中まではまた一人だけの誕生日かぁって思ってたのに、黒柳君のおかげで素敵な誕生日になっちゃった」
と、桜井は少し涙を浮かべながら笑う。
「まぁ、強引に誘ったから、喜んでもらえてよかったよ」
「本当、強引すぎるよ。普通あんな事する人いないよ? もしかして、そういうのに手馴れてる?」
桜井は、訝し気に俺の事を見る。
「手馴れてなんかないよ。あの時だって、声かけるかどうか迷ったんだから」
俺は慌てて、桜井の言葉を否定する。
「ふふ、わかってるよ。ちょっとからかってみただけ。でも、本当にありがとう」
そんな桜井の笑顔に、俺は思わず見とれてしまった。
あの時は誘うために適当に言っただけだが、桜井って本当に可愛いよな……。
「あ、あのね……。もし黒柳君がよかったら、またご飯作ってほしいなぁ……なんて」
桜井は上目遣いで、チラッチラッと、俺を見上げながら、そんなことを言ってきた。
「はは、いつでも作ってあげるよ」
「ほ、本当に? 毎日でも?」
桜井は、俺の言葉に凄く嬉しそうに聞き返してきた。
「桜井さえよかったら――いいよ。俺も一人でいつもご飯食べてて、寂しいしさ」
「じゃぁ、約束だからね。こんな美味しいご飯が毎日食べられるなんて、凄く嬉しいよ」
嬉しそうにそんな事を言ってくれる桜井に対して』このみとはタイプが違うけど、なんか妹みたいだな』と、俺は思った。
その後は食器を二人で洗い、俺は家に帰ったのだった。