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「うーん、もしかしたら骨が折れているかもしれないな」
医者のおじさんの所見は骨折の疑いあり、だった。
痛みの具合から察するに恐らく捻挫だと思ったが、医者の所見に素人が意見しても良くないと思い飲み込んだ。
「とりあえず私の馬車に乗りなさい。私の診療所で治療をしよう」
「あ、いや、なにもそこまで」
「いいかい、骨が折れているとなるときちんと治療しないと取り返しのつかないことになるんだ。こんな状態の君を放っていくわけにはいかない」
おじさんからの使命感にあふれる視線と言葉を浴びせられ、もうどうにでもなれ、と思った。
■
馬車に乗せられてから30分ほど経っただろうか。
窓から外を見ると、いくつかの小さな建物が見えてきた。
「見えたかい? あれがエン村だ」
医者のおじさんが声をかけてきた。村に着いたことで安心したのか、声が少し弾んでいるようだ。
馬車での移動の間、おじさんと話ができたおかげで、この奇妙な事態を少しばかり理解することができた。
おじさんの名前がカール = ダイソンであること、今から向かう場所がエンという小さな村であること、そして、今いる場所がブーフという大陸の一部であるということ。
心の奥底では認めたくない自分がいた。ただ、これだけ聞けばもう受け入れるしかない。
俺は、異世界に来てしまったのだ。
異世界について知らないわけではないが、あくまで漫画や小説、アニメの世界でのみ成立するフィクションの話であり、現実で起こることわけがない、そう信じていた。
だが、目の前に広がる光景は、自分が異世界に来たという事実を突きつけるには十分すぎるほどだった。
そんなことを考えているうちに、馬車は既に村の中に入っていた。
地面は砂利道になっているようで、お世辞にも整備されているとは言い難かった。
ただ、それなりに賑わっているようで、道の両脇では八百屋や肉屋、雑貨屋などが並び、買い物をする人々で人だかりができている。
馬車から見える人影を確認する。ある人は剣を背中に背負い、またある人は大きな斧をかついでいる。
外を歩く人達の非現実的な格好を目の当たりにし、俺は大きくため息をついた。
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村に入ってから数分で、馬車の動きが止まった。
「着いたぞ。ここが私の診療所兼自宅だ」
そう言われ窓から覗いた目の前には、恐らく一般人が考える中世の典型的な一軒家が建っていた。
正直、診療所だと言われないとわからないくらい、普通の一軒家に見える。
「少し待っててくれ。君を迎える準備をするのでね」
カールさんはそう言うと、勢いよく馬車から降り、診療所へと入っていった。
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数分待たされた後、カールさんが診療所から出てきた。
「さぁ、中まで案内するよ。歩けないだろうから君はそのままで」
そう言うと、カールさんは俺を背中で担ぎ上げた。いわゆるおんぶの状態である。
カールさんの予想外の力強さには驚いたが、ここは大人しくしておく。
診療所の中に入ると、病院特有の強い薬のにおいが鼻をついた。
どこの世界でもこの臭いには慣れそうにない。
右手にベッドらしきものが2つある。お世辞にも寝心地は良さそうとはいえないな、と思った。
ベッドに座らされると、カールさんは自分の鞄を開き、中身を外に出し始めた。
出てくる道具を見る限り、どうやらあのカバンの中に治療用の道具が入っているようだ。
「テオドラー、ちょっと手伝ってくれんかー」
カールさんは突然、診療所の奥にあるドアに向かって声を張り上げていた。
テオドラ、というのは名前だろうか。となると、看護師さんを呼んだのか。
「はーい、今行きまーす」
奥から返事が返ってきた。声を聞く限り、どうやらテオドラさんは女性のようだ。
女性に怪我の手当てをしてもらうなんて、高校の時の保健の先生以来じゃなかろうか。
「お待たせしましたー」
そうこうする内に奥の扉から出てきたその「女性」の姿を見た俺は、驚きを隠せなかった。
女性、の予想は当たりだった。ただ1点、俺の想像とは違っていたからだ。
彼女の頭からは、愛らしい耳が2つ、生えていたのだ。
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奥から出てきた女の子ーー名前をテオドラというらしいーーの姿を見て、俺は言葉が出てこなかった。
頭の上にある2つの耳、それが彼女が人間ではないことを証明していたからだ。
「どうした?そんなに獣人が珍しいかい?」
カールさんが後ろから話しかけてきた。どうやら治療のための準備が終わったようだ。
やはり獣人なのか、と俺は納得した。
珍しい、というか見たことないというのが正しいのだが、それを正直に言って怪しまれても面倒なので、顔だけ振り返って
「いや、想像以上の綺麗さに見とれていただけですよ」
と素早く答えた。するとすぐに
「おっ、上手だねキミ」
という返しが別方向から返ってきた。
声の方向に再度振り返ると、いつの間にかテオドラさんがすぐそばに来ていた。
遠目で見てもはっきりと確認できた耳が目の前で強烈な主張をしている。
女性と接する機会自体が久しぶりな上に、獣人の女性との突然の接近に緊張して、俺はそれ以上会話を続けることが出来なかった。
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治療自体はものの数分で終了した。
薬は使わず、患部を冷却する方法で治療は進められた。
鎮痛のために冷却という手段を取るのはどの時代でも変わらないのだろう、と1人で納得する。
「すいません、いろいろご面倒を」
「なに、私は仕事をしただけだよ」
右足首に包帯を巻きながら、カールさんはこともなげに言った。
「よし、これでいい。骨に異常はなかったから、単純な捻挫だったようだ。多少なら動かしてもいいが、出来るだけ無理はさせないように」
どうやらカールさんの想定が外れたようで一安心。
まぁ、痛みの感じで折れるところまではいっていないとは薄々感じていたが、医者のお墨付きがあると安心感が違う。
カールさんにあらためてお礼を伝えようとしたとき、俺は1つの重大な事実に気づいた。
ここは異世界。出発点は家のトイレ。
つまり、何も持っていない、ということである。
俺は意を決して、カールさんへ切り出した。
「あの、実は俺お金持ってなくて」
「ははは、まさか私が治療代を請求するとでも?」
「えっ」
「こちらが起こした事故だ。こちらが支払いをすることはあっても、君が支払いをすることはないよ」
カールさんはそういって大きくほほ笑んだ。
あぁ、なんていい人なんだろうこの人は。
良かった。どうやら治療代の支払いはしないで済みそうだ。
しかし、これ以上好意に甘えるわけにもいかない。そう思った俺は立ち上がり、頭を下げながら謝辞を述べる。
「本当にありがとうございました」
そう言って、入口へ体を向けた、その時、
「おいおい、何をしてるんだい?」
立ち上がろうとした俺を見て、カールさんは肝をつぶした。
「えと、今日泊まる宿を探しに行こうかと」
「いやいや、今日1日はここで安静にしておかないと。そうだ、今日は泊まっていきなさい。その足で歩くのは危険だよ」
「いや、さすがにそんな訳には……」
俺は慌てて首を振った。無料で治療してもらった上に無銭飲食・宿泊なんて虫が良すぎる。
「悪いが、君に選択権はないよ。医者として、怪我人を放置するなんてことは絶対できないからね」
カールさんはそう言うと、俺の肩へ両手を置くと、一気に力を入れ、俺の体をベッドへ座らせた。
俺はまたも抵抗は無駄だと判断し、それ以上の抵抗をやめた。




