001
ふと、壁にかけてある時計を見る。
時計の針は午前2時を指している。
「やべ、そろそろ寝ないと」
築城 朋典はそうつぶやくと、パソコンをシャットダウンし、翌日着ていく服の準備をはじめた。
明日も仕事だが、幸い祝日のため私服出勤が許可されている。
社会人になって数年たつものの、スーツは何年来ても慣れないので、私服出勤日は自然とテンションが上がる。
スーツなんてモノを発明した奴を俺は一生恨む、と心の中で悪態をつきつつ、翌日の準備を完了させ、そのままの勢いでベッドへ潜り込む。
「おやすみ」
自分に言い聞かせるように呟いて、部屋の電気を消した。
ふと、寝苦しさで目を覚ました。
目覚まし時計を確認すると、午前4時の表示。
起床予定時刻は午前8時ちょうど。いくらなんでも早すぎる。
「とりあえずトイレ行くか」
ベッドから起き上がり、部屋を出てトイレに向かう。
トイレを済ませ、ドアを開けようとするが開かない。
鍵を確認してみるが閉まっているわけではない。
「ん? おっかしいなぁ」
何度もドアノブを下に押し込もうとするが、一向にドアノブが動く気配がない。
寝起きで力が入ってないのだろうかと考えたが、意識ははっきりしているし寝ぼけてるわけでもない。
その上でドアノブが壊れるくらいに押し込んでいるというのに、まるで瞬間接着剤で固められたかのようにびくともしない。
「どうなってんだよこれ……!」
腕だけではらちがあかないので、全体重をドアノブにかける。
家族全員から「痩せなさい」と言われてるくらいの俺の体重なら、さすがのこいつも開かざるを得まい。
そんなことを考えながら体をドアの方向へ倒し、力の限りドアノブを押し込んだ瞬間、ドアが勢いよく開いた。
ドアは開いた。しかし朋典は喜ぶことができなかった。
目の前に広がっていた風景が、今まで見たこともないものだったからだ。
「なんだこれ?」
そんな独り言を呟いてしまうほど、目の前の光景はにわかに信じがたいものだった。
辺りを見回してみるが、広がるのは一面緑の風景。風で草が揺れ、鳥のさえずりがあちこちから聞こえる。
上を見上げてみると雲一つない青空に、赤い太陽がまぶしく照りつけていた。
いったい、これは、なんなのだ。
「これって、もしかして夢か?」
そう言いながら自分の頬をつねってみるが、痛い。めっちゃ痛い。
どうやら夢ではなさそうだ。
夢でないなら、一体ここはどこなのか。
脳の理解が追い付かず、しばらく目の前の景色に見とれて動けないでいたが、この状況を打開する方法に気づくのにそれほど時間はかからなかった。
「そうだ、戻ればいいんだ」
そう言いながら後ろを振り返るが、後ろにあったはずのドアは跡形もなく消えていた。
最初にして唯一の解決法は完全に断たれてしまった。
対処法を失い呆然と立ち尽くしていると、突然後ろから大声が響いた。
「おにいさん!危ないよ!」
声のした方向へ振り返ると、大きな馬車が自分へ向かっていることに気づいた。
声の主は馬車の運転手のようだった。
やばい、と思うより早く体が動いたようで、気が付いた時には自分の体は生い茂る草に倒れこんでいた。どうやら間一髪で避けることができたようだ。
「君! 大丈夫かい!?」
2回目の大きな声に気づいて振り返ると、さっきのおじさんが血相を変えて駆け寄ってきた。
顔は青ざめており、手振りが凄いことになってて焦っているのが丸わかりだ。
「大丈夫かい? けがはないか?」
「あ、いえ、大丈夫です」
道の真ん中に突っ立ってた俺が悪いんで、と言いたかったのだが言葉が出てこなかった。
どうやら、パニックになってるのは俺も同じのようだ。
「本当かい? 痛いところがあれば見せてみなさい。こう見えても私は医者なんだ」
「いや、本当に大丈夫です。お気遣いどうも」
そう言いながら倒れた体を起こしてみる。うん、どこも怪我してはないようだ。
その場で立ち上がり、おじさんの方を見て笑顔を作ってみる。問題ない、という証である。
「うーん、それならいいのだが……」
おじさんはなおも半信半疑である。こちらの体を見回した後、ぶつぶつと独り言を言っている。
元々はこちらの不注意が原因だというのに、ここまで心配させてしまい逆に申し訳ない気持ちになる。
おじさんはその後もしばらく立ち止まっていたが、無言で無事をアピールする俺の様子を見て、ようやく納得してくれたようだった。
「本当にすまなかったね。そうだ、これは迷惑料として取っておいてくれ」
そう言っておじさんは持っていた金貨を1枚、俺に差し出した。
「こんなものもらえないですよ」
「いいからいいから」
そう言いながら私の手に強引に金貨を押し付けてきた。
負けじと押し返そうとするが、予想外のおじさんの力強さに負け、結局金貨を受け取ってしまった。
「それじゃあ、気をつけてな」
そう言うと、おじさんは止めてあった馬車の方に歩き出した。
歩き出してからも何度かこちらを振り返っていたが、乗ってきた馬車に近づくとそれも止んだ。
「押しのつよいおじさんだったなぁ」
そんなことを思いつつ、立ち上がって歩き出そうとした瞬間、右足に激痛が走った。
「痛てっ!」
あまりの激痛に再び草地へ倒れこんでしまった。
どうやらさっきのダイブの際に右足首を変な方向に曲げてしまったらしい。
立ち上がった時は何ともなかったのだが、これはすぐには歩けそうもないな。
なんてことを考えた瞬間、さっきのおじさんが小走りで戻ってくる。
「おい! やっぱり怪我してるじゃないか! 見せてみなさい」
あー、さっきの聞こえちゃったかー、と心の中で後悔した。
何とかごまかそうと考えたが、このおじさん相手では無理だと観念し、
こうなってしまっては仕方がないと覚悟を決めた。




