年下のお兄ちゃんに甘えたいんだもん☆
割と女性がひどいとこあります。
俺には妹が一人いる。
「お兄ちゃんお帰り〜!プリン買ってきてくれた?」
「...ただいま〜。買ってきたよ、ホラ」
制服のネクタイを緩めつつ、妹にスーパーのビニール袋を手渡す。
「あれ、一個しかない。お兄ちゃんのぶんは〜?」
買ってない、と答えながらゆったりした部屋着のワンピースを着た明らかに成人した女性を見る。
「え〜二人で食べたかったんだけど」
むくれた様子で言う彼女にごめんごめん、と適当に返し、うちにいる中学生になった実の妹は「二人で」なんて言わないな〜と思った。
「土曜日なのに学校なんて高校生は大変だよね〜」
「でもまあ、半日で終わるし」
彼女が学校に通っていた時代と異なり、今は公立の小学校でも土曜に登校することもあるのだが...言わないでおこう。
「午前中は何やってたんだ?」
「う〜ん、宿題。難しくって...お兄ちゃん教えてくれる?」
チラ、と視線を向けた先の机に「TOEIC900点台への必勝法」と書かれた問題集があった。資格試験はやったことないがムリだろ...英語の成績は悪くないが、一介の高校生では教えられそうにもない。
「...お兄ちゃんは学校で勉強してきて疲れてるからダメだ」
「えー、じゃあDVD借りたから一緒にみて。」
優しい命令口調で言われて見始めたのは、誰もが知っている名作アニメ。最後に主人公の少年と犬が死ぬ話ということしか知らなかったが、見始めると最初から少年が不遇な境遇で、涙腺にきた。
泣いてしまっては兄としての威厳が保てないのでなんとか堪えたが―横を見ると彼女はすやすやと寝ていた。
自分から一緒に見ようって言ったのに...自分の方が夢中になって見てしまったみたいで、肩をすくめる。
勝手知ったる隣の寝室から、タオルケットを持ってきて彼女に掛ける。
もうこの1LDKの部屋も随分慣れてしまった。一か月前には合鍵すら貰ったが、俺は何でここにいるんだろうか...恋人でもないのに。
目の前にいる10も年上の女性から、兄になって欲しいと言われてから数ヶ月。
彼女と出会ったのは俺が高校に入学して「田鼓」駅横のコンビニを使うようになってからだが、1年前の自分はこんなことになるとは想像もしなかっただろう。
いつも朝同じコンビニを使っていた。
このあたりはオフィスなんてそんなにないから、乗り換えに使っている駅なんだろう。
20代半ばくらいのスーツを着た女性は、高いヒールの靴を履いているのに足元がちっともぐらつかない綺麗な立ち姿が印象的だった。
ピンク色のシャツがよく似合う顔だちは甘い感じもするのに、話しかけやすい雰囲気かというとそうでもない。
友人から「お前ってベビーフェイスだけど、意外と愛想ないのがギャップあるから最初緊張した」などと言われた自分と似ているなと、勝手に親近感を覚えた。
少し慌ただしい感じでその人は大抵おにぎりやサイドウィッチと共にサラダを買っていた。
コンビニのサラダなんて消毒で全部栄養流れちゃってるんですって、という母の言葉を思い出して、「栄養、ないらしいですよ」といらぬ口出しをしたい気持ちに駆られていた。
―要は何でもいいから話しかけたかったのだ。
洗練されたOL然とした彼女がサラダ(学生の自分からみると割高だ)を手に取る姿は、菓子コーナーで休み時間に友人と交換し合う新作のチョコやグミを見つくろう同世代の女子とは違っていて、「女性らしい」行為に見えた。
たまーに現金ではなくクレジットで買い物するところも、親がスーパーで買い物するときに使っているときとは違う雰囲気に思えてしまって。
まあ要するに、そんな細かな造作すら目で追ってしまうくらいには気になる存在で、高校生男子らしく「オトナの女性」に憧れを抱いてしまったのだ。
淡い気持ちは「あ、この人またいるな」というところから始まり、週二回会えればラッキー、くらいの遭う遇率だが少しでも彼女と会いまみえるようにほぼ毎日コンビニに立ち寄るくらいに膨らんでいった。
昼飯は母親から弁当が渡されてるが、飲み物やパンなんかを買って一日100円くらいコンビニに貢ぐハメになっている。
少額ながらも毎日となると地味に痛い出費だが、彼女と会えたときは変に気持ちが高まってもう一品買ったり、適当に選んだキワモノの期間限定ジュース(塩と麦のフレーバー、ってなんじゃそら)も美味しく思えてしまった。
この少しストーカーじみた習慣を続けながらも季節は移り変わり、朝から肉まんを買うことも増え、冬休み前の期末テストが迫っていた頃。
友人の柴田(顔も柴犬っぽい)に誘われ、柴田の彼女とその友達の女子も含めて勉強会をしたので、珍しく帰りが遅くなった。
「今日はありがとう!町田くんっていつも大人っぽいっていうか孤高っていうか、近寄りがたい感じしたんだけど意外と話しやすいんだね!」
...孤高?ぼっちってことか?確かに積極的に友達作る性格じゃないけど。
友人は彼女と徒歩で帰って行ったので、俺は山下さん(同じクラスだがまともに話したのは今日が初めてと思われる)と駅に向かって歩いていた。
「話しにくい、かな?別にフツーだと思ってたけど」
「あんま男子とかとバカ騒ぎしないし...町田くんはイケメンだから、高嶺の花感があるんだよね~女子にとって。彼女とかいないの?」
クラスの女子にイケメンと評価されたことにちょっと意外さと喜びを感じる。てかその割に全然話しかけられないんですがね女子には。自分から話しかけることもないけど。
今日一緒にいた友人なんかは彼女いて羨ましいな~と思わなくもないが、自分が彼女作ってキャッキャと下校したり休日にデートしたりすることが想像できない。
いや正確には妄想はしてる。いつもコンビニで会うあの年上の女性と、付き合ってお弁当作ってもらったりとか、部屋に呼んでもらえたりとか...。
あの人がどんな性格なんて実際知らないけど、妄想の中では包み込むような優しさがありながらも、真面目なのでシャッキリしない学生の俺を時には嗜めたりしてくれる人格者という設定だ。
『町田くん、いちゃいちゃするのは学校の課題終わってからだからね?』
彼女が抱きしめようとする俺を諌めるところを想像したが、違う、こんな陳腐な台詞じゃなくてもっと社会人の女性特有の...
「町田くん?」
「あ、ごめん。彼女ね、いないよ」
彼女は中学生のときに3回できたが、どの子もむこうから告白してきたのに何故か数週間でフラれていた。
あのコンビニで会う彼女と付き合ったらなんてことも妄想のなかが限度だ。その妄想すら上手くできないくらいの、現実感のなさ。
「そうなんだぁ。たまに告白されたりしてない?」
ちょっと意外そうに山下さんが言う。
確かに告白されることはあるが、特に親しくもない女子と付き合いたいとも思わないので、すべて断っている。「付き合っているうちに好きになってくれればいい」と言って食い下がってくる子もいるが、関心のない相手と会ったりメールするのは大変苦痛なんだと中学時代に勉強した。
「俺のこと気に入ってくれるのは嬉しいけど、軽い気持ちで女の子と付き合うのは嫌なんだよね」
「誠実なんだね!私もそういう真面目な男の子と付き合いたいなあ」
「真面目ってわけでもないけど。あ、ごめん俺コンビニ寄ってから帰るから、じゃあね!」
山下さんが下から伺うように甘えた目線を向けてきたので、俺はできるだけ爽やかな笑顔を彼女に向けつつ、目に入った件の朝行くコンビニに逃げ込んだ。
帰りにこのコンビニに入るのは初めてかもしれない、と思いつつ所在なく雑誌コーナーで適当なファッション誌をめくる。「何贈る⁉︎彼女へのクリスマスプレゼント☆」という特集が目に付いたが、俺はさっきのような調子で今後彼女なんてできるんだろうか...。
ふんわりとした不安が押し寄せたとき、横の自動ドアが開き、軽快な入店チャイムが鳴った。
あの人だ。
朝しか見れたことのなかった、あの社会人の女性がコンビニに入ってきた。
後になって考えてみれば、出勤時も使うんだから帰りも立ち寄ってもおかしくはないのだが、その時自分はとんでもなく奇跡的な偶然であると思った。
だからか、彼女がコンビニから出た瞬間、咄嗟に声を掛けてしまった。
「っあの、いつもこのコンビニ使ってますよね...?」
「はい、そうですけど…」
彼女は少し目を見開いて、当然ながら怪訝な顔をした。
「僕も、この店朝使ってて、町田和樹っていいます。その、貴女のことを時々お見かけして、」
テンパりすぎて、自分が話しているのに勝手に言葉が先に出てきてしまう感覚だった。
何でこんな急に話しかけようと思ってしまったんだろうと後悔の念に襲われるも、今まで自分だって話したことのない子に告られたりしたじゃないかーと己を励ます。
「その、気になってます。好きです。」
どうにか相手の目を見て言うことができた。
もちろん付き合って貰おうなんておこがましいが、せめて引かないで欲しい…と冷や汗をかきながら反応を待つ。
彼女は一瞬ぽかんとした顔をしたが、それから穏やかな笑みを浮かべて言った。
「君とは付き合えない。けどもし、私のことに興味があるなら」
「私のお兄ちゃんになって欲しい」
え??????????何????
俺の脳が追いつかないうちに、彼女はコンビニの袋からレシートを取り出し、さらさらと何かを書き始める。
「もし受けてくれるなら、土曜日の3時にこの駅にきて」
にっこりと笑って彼女は去っていった。
渡されたレシートの裏には俺とは同じ路線だが反対方向の駅の名前とカタカナで「クニナカミナミ」と書いてあった。
試されているんだろうか?と思いつつ、俺はまんまと言われた通りそこに行って、「お兄ちゃんになって欲しい」という言葉は聞き間違えじゃなかったのだと再び愕然とした。
「あ~今日も疲れちゃったよお。お兄ちゃんが作ったごはん早く食べたぁい」
...とはいえ、なんでこんなことになったのだろうか。ジャケットを脱ぎ捨てながら美波さんが甘えた声を出す。「今日のごはん何?」と聞く姿は俺の実の妹(13歳。思春期盛りの生意気盛りに突入した)よりよっぱど無邪気であどげない。
本人曰く、俺の前では超お兄ちゃん子の「みなみちゃん・9歳」になっているそうだ。
「...ハンバーグにしたよ。みなみの好きな冷凍のポテトも付けてる」
「わぁい!みなみの好物じゃん!どうしたの、嬉しい~!」
「今日は会社で大事な...っ学校で皆の前で発表しなきゃいけないって言ってたじゃないか。緊張する~ってずっと言ってたから、頑張ったご褒美だよ。」
「そうなんだよ!頑張ったんだあ。上司や同期からも褒められてね、さすが国仲さん~とか言われちゃった。ありがとね~お兄ちゃん!」
「みなみちゃん」のときの美波さんは小学生の設定なので通っている場所も「学校」での話という体で話すことになっている。
それにこちらも合わせているのだが、ちょこちょこ出てくる「上司」とか「プレゼン」だとかの単語に「美波さん」の実生活が垣間見えて嬉しい気持ちがするのと同時に、こっちはそっちの小学生プレイに努めてやってるんだけど!?というモヤっとした感情がない交ぜになる。
「う~んお兄ちゃんまた腕を上げたね。ハンバーグすごくふっくらしてて美味しい」
幸せそうな顔でみなみは俺が作ったハンバーグを食べる。あまり好きじゃないと言っていた人参も家からこっそり持ち出した型抜きで星形にしてやったら喜んでくれてよかった。
「みなみのはキレイなやつだったけどお兄ちゃんのはちょっと形崩れてない?大丈夫?」
うっ、気付かれたか。俺自身は腹を満たせればいいので、俺の皿には若干焦げたハンバーグや荷崩れして星の先端が欠けてしまった人参が乗っている。
「いいんだよ、みなみが喜ぶために作ってるだけだし」
やや照れつつ答えると
「みなみ、お兄ちゃんのそういうとこ好きだよ」と美波さんはテーブルから前に身を乗り出しやや低めの声で微笑んだ。
...妙な色気出しやがって。こうやって時折年下をからかうような表情も使ってくるから、振り回されてんなーと思いながらも、満更でもない。俺は本当に救われないバカだと思う。
「ね、頭なでてよ」
食後、ソファに寝転がっているみなみに甘い表情で見つめられた。
俺は無言でソファにどかっと座ってから、みなみの綺麗な三日月になった目を隠すように頭をぐしゃぐしゃにしてやった。
手慣れた男ならこのままキスでもするんだろうけど、俺はそんなことできないし、しない。
この関係は決して男女の関係とは言えないけれども、不思議な高揚感を与えてくれるものだから。
壊したくはない。
私には兄が一人いた。
といっても、話したこともなければ会ったことすらない。彼は母のお腹の中でその生涯を終えた。
母が私を生む前に男の子を流産したと知ったのは、大人たちの話を立ち聞きしてしまった小学校3年生の頃。
「男の子が生まれていたら、うちももう少し賑やかだったかしら」
母が家に遊びに来ていた叔母に漏らした。
「今からでも作ればいいんじゃない?」
「今は無理よ。私達夫婦の仲を知ってるでしょう?美波の前に妊娠してた子が生まれてたらってこと」
それから母はつらつらと、臨月になっても家事を全く手伝わなかったとか流産したときも責められただけだったとか、父への恨みの言葉を並べていった。
母が流産したのは一般的には悲しい出来事だったのかもしれないが、その話は不思議と私を嬉しい気持ちにさせた。
わたし、いもうとだったんだ。
それから私は何かにつけ、兄がいたらという甘い妄想をした。
ーみなみ、やりたくないのに委員長になっちゃったの。人前で話すのすごく苦手なのに。
ーそうか。でも、みなみが委員長に推薦されたのは、成績も良くてしっかりした性格が見込まれたからだろう?辛くなったらお兄ちゃんが慰めてあげるから。
ーお父さんとお母さん、最近口をきいてすらないみたい。このまま離婚するのかな?
ーどうだろう。分からないけど、もし離婚して離れ離れになっても、お兄ちゃんはみなみのことを思ってるよ。みなみは大切な妹だから。何かあったらすぐ助けに行くからね。
両親からもこんな言葉を貰ったことがないのに、どうしてか私は砂糖塗れになった優しい言葉を妄想のなかのお兄ちゃんからたくさん聞くことができた。
両親が離婚し、私が母に引き取られた後もそのお兄ちゃんは私を支えてくれた。母が再婚して私より年下の女の子が連れ子としてやってきたりー父も再婚して新しく子どもができたらしいと聞くようになっても、私はただ一人の妹としてお兄ちゃんに甘やかされた。
妄想の兄ではなく恋人に甘えればいい、と考えられたら楽だったのだろうが、幼い頃両親から人一倍優秀さ・自律した姿を求められてきた身としては、恋人の前でも背伸びした自分を捨てきれなかった。
付き合っている相手にこそ完璧な自分を見せたい気持ちもある。それが理由でいくつかの別れに至った面もあるがー。
町田和樹くんと会ったのは、新しく恋人ができたころだった。
相手は取引先の男性で、紳士的な態度に経済力も申し分なく、どこかのアナウンサーのように爽やかな笑顔を浮かべる、女性だったらみんな結婚したいと思わせるような人。
ーそして、甥っ子をとても可愛がっていて、結婚して子どもを育てるのをとても楽しみにしていると折に触れて言っていた。
だからこそ私は行き詰まっていたのかもしれない。
告白してきた高校生に突拍子もないことを言ってしまった。
まだ無条件に甘やかしてくれる人が欲しい、と思っている私が家庭を持つなんて無理だ。
でも、今...もしそうしてくれる人がいたら。
今だけでいい、お兄ちゃんに思い切り甘やかされることができるなら、私は妄想のなかの兄に縋ることが無くなるかもしれない。
食後、上げ膳下げ膳で自分はソファに寝転がる。ー今日もごはんおいしかった。ハンバーグに星型にんじん、ファミレスに出てきそうな冷凍ポテト。「みなみ」が好きそうなメニューだ。
最初彼は、仕事から帰った私にお弁当やお惣菜を用意してくれた。それもとても嬉しかったのだけど、そのうち手料理を作り始めた。
正直言って自分の方が料理は上手くできる。元々家事は手伝うように躾けられた上に、両親が離婚してからは自分一人で台所に立つことも増えたのだから、年季が違う。
だけども、味にムラがあったりしてもー彼が作ったご飯は箸が進んだ。
私のために作ってくれたのだと思うと、美味しく感じてしまうということだろうか?
「ね、頭なでてよ」
お兄ちゃんはやれやれ、といった様子でソファに座って私の頭を掻き回す。
この子はどうして、無茶な願いを聞いて側にいてくれるのだろう。
年上の女らしいこともしてやれないし、たいした見返りはないだろうに。でも。
この関係がもっとずっと続いたらいいのにー
私は刹那的な幸福感に目をつむり、陶然とした。