卒業、そして・・・
「おめでとう、卒業だね」
乾いたブルマーを翔に穿かせてもらい、そのまま連れて行かれた書架で、栞はそう告げられた。
「普通はあの場で泣きながら、何もできない子がほとんどなんだ。だけど、栞はよくがんばった。本当の『失敗』にきちんと対処できたんだ。偉いよ」
栞は驚いて、訊ねた。
「翔くんって・・・セラピストだったの?」
「セラピスト、ていうか、スタッフだね。いままで栞に黙っててごめん」
「え、だって、翔くん、いつも・・・」
「セラピーといっても、クランケ(患者)と先生だけじゃダメなんだ。セラピーにふさわしい場の雰囲気を形作ったり、失敗した人を上手にフォローしていくようなスタッフが必要なんだ。クランケの気持ちを忘れないまま、一つ上の視点でクランケに寄り添うような。だからクランケといっしょで、実際に失敗もするんだ。恥ずかしいけど、それが役目だからね」
「そうだったの?」
「組織でいえば、プレイング・マネージャーみたいなものかな? でも僕から栞に教えられることはもう何もないほど、栞は成長したんだ。だからここを卒業できるよ」
「そんな・・・私なんて。翔くんにはずっとたくさんのことを教えてもらってきたし、まだこれからも・・・」
「もう栞は仕事に復帰しなくちゃ。栞ならやれる」
「こんなに急にお別れしなくちゃいけないの・・・?」
「ずっと栞のこと、応援してるからね」
「・・・」
「じゃあ僕はレッスンに戻る。衣服が乾いたら着替えて、恭子先生から書類を受け取ってね。そして今穿いてるブルマーは、洗濯して、いつでもいいので持ってきて、ね」
あっけにとられてその場に佇んでいた栞だったが、思い出したように翔を呼んだ。
「ねえ」
「なに?」
「翔くん、忙しいの?」
「うん、じつは、みづきさんが・・・」
「え、また、みづきさん? みづきさんが、どうしたの?」
翔はそのまま行ってしまった。翔とみづき、もしかしたら『特別な関係』なのかもしれない・・・栞はさっき感じた翔の温もりを思い出し、ちょっと切なくなった。
それからひと月が経った。
栞は、以前とは違う、別のセラピーの門を叩いていた。通用口から案内され、お茶を頂きながら説明を受けたのち、書架が並ぶコーナーに来た。ふと、先月まで通っていたセラピーの書架を思い浮かべた。そこでどれほどの間、悩み、恥ずかしみ、迷い、そして嬉しい気持ちになっただろう。
《私の心が帰れる場所》
栞は書架の奥の窓辺で、当時を振り返りながらしばらくの間佇んだ後、ふと見計らったように、その場にしゃがみ、壁を背にして座り込んだ。
やがて、見知らぬ若い女性が1人、栞に近づいてきた。
「栞、さんですよね? どうしたんですか?」
栞はわざと、少し取り乱したふりをして答えた。
「ううん、なんでもないわ・・・ちょっと休んでただけだし」
そして、あとに続いて先生がやってきた。翔先生だ。
「栞さん、こんなところにいてはだめだ。教室へ戻りなさい。さ、立って」
「あ、でも・・・、や・・・イヤぁっ・・・」
びっくりした表情のまま、女性の視線が栞の下腹部に注がれるのを認めると、栞はそう叫んでみせた。
そして、思った。
《あなたにとって、これからきっと長い道のりだけど、がんばれ・・・。私も、翔先生といっしょにがんばるから》
栞は心の中で彼女と自分にエールを送った。そして、ジーンズに閉ざされたショーツの中に、温かい水を溢れさせていった。
女性は驚いて、程なくその場から姿を消した。
「タイミングぴったりだったね、さすがは栞」
久しぶりの翔の言葉に、栞は目を伏せながらこっくりと頷いた。そして勇気を出して上目遣いに見上げた翔の顔は、窓辺の陽の光に照らされてまぶしかった。
「・・・おしっこしちゃった。やっぱり翔くんの前でおもらしするのって、恥ずかしい・・・」
「栞、おもらしじゃなくて、『失敗』だよ。お疲れ様。立てる?」
栞は彼の手に引かれるようにして立ち上がった。ぐっしょりと濡れた衣服の衣擦れを感じる傍ら、翔の手の為すがままにジーンズのホックが外され、ファスナーが下されていった。
《この服は翔先生が着替えさせてくれる。このあとも、そしてこれからも・・・》
栞にとって、それは陽だまりだった。
(終わり)