ブルマーってなぜ?
ある日、栞は書架のコーナーで、ブルマー姿のみさきに声をかけた。
みさきは栞より早くこのセラピーに入っており、『失敗』もたくさん経験していて、その対応も落ち着いてきていた。今日も久しぶりの失敗にもかかわらず、両脚を擦り合わせたまま、水の滴る音が少ししはじめたかと思うと、すぐに自分から恭子先生に申告した。
「先生、私・・・、おもらししてしまって・・・」
「なんですか?」
「あの・・・おもらししてしまったので・・・」
「みさきさん、おもらしじゃなく『失敗』ね」
「はい・・・」
「じゃあ、先生かごを持ってくるから・・・、しちゃいなさい」
みさきは、はにかみと安堵の表情を浮かべると、身体の動きを止め、『ショォォォ・・・』とショーツにおしっこの音をくぐもらせるようにして失禁した。椅子からはたくさんの水があふれ、大きな音を立てながら床に滴っていった。
みさきは30代後半だが、着替えのときに見せる綺麗なおしりと、ブルマーからすらりと伸びる長い両脚など、大人の魅力に満ちあふれたプロポーションが羨ましかった。
「みさきさんは、学校でブルマーを穿いた世代ですか?」
「うん、小学校、中学校はずっとブルマー。高校でも私の学年まではぎりぎりブルマーだったわよ」
「やっぱり、穿きこなしている感じがしたから。じゃあ、あまり抵抗ないですね」
「ううん、それは違うわ。そのときも男子の視線が恥ずかしかったけど、女子みんなが一緒に穿いていたから良かったの。今日みたいに自分一人だけ、それもおもらししたからブルマーを穿くなんて、恥ずかしくてしょうがないわ」
「ごめんなさい、つい」
「栞さんたちは、その世代じゃないから、なおのことね」
「はい・・・、でも、恥ずかしいのはおんなじなんですね。安心しました」
「これからも、よろしくね」
「じゃあ次は、みさきさん、発表をお願いします」
恭子先生に指名され、みさきがブルマーを穿いた姿で恥ずかしそうに席を立ち上がり、発表のため壇上へと歩いた。
おもらししたあとブルマーを穿かされる理由も、栞は次第に分かってきた。毎日、レッスンの中盤には書架コーナーでの調べもの、終盤には壇上での個人発表があった。その日おもらしした人だけがその後、書架や壇上にて、ブルマーを穿いた姿をみんなに晒すのだった。
社会で失敗を犯した場合、その一瞬だけでなく、そのあとも一定期間、慚愧の念に苛まれるものである。だから、このセラピーでは、おしっこを漏らしたときや、着替えさせられるときだけでなく、書架での調べ物のとき、発表のときと、その日レッスンが終わるまで自分のしたことの恥ずかしさを意識させ続ける。そのすべてを含めて『失敗』でなければいけないのだ。
そのためのツールとして、わざわざ男女問わずブルマーを穿かせるのだ。もし着替えがズボンや短パンなどだったら穿かされても恥ずかしさを感じないだろう。もし裸のままやショーツ1枚でいさせたら性的な虐待につながってしまうし、身体も冷やしてしまうだろう。
でも、ブルマーなられっきとした『体育着』だから性的虐待にはあたらない。それに、肉厚だから保温機能も十分で身体を冷やしにくい。伸縮性に富むため数多くのサイズを取り揃える必要がない。保管の場所も取らず、洗濯も楽で、乾くのも速い。それでいて、着ている者に相応の恥ずかしさを感じさせることができる。これらの点から、ブルマーはこの上ないツールだった。
考えてみれば、自分が会社にいたとき、それまで精一杯背伸びして、格好つけて仕事していながら、大失敗したときには職場でみっともなく髪を振り乱して狼狽していた。そしてその後も誰にも相談できず、孤独のまま肩身の狭い思いをし続けていた。栞はそのときの自分を思い浮かべ、今のセラピーの自分たちと重ねた。