おもらしの意味
それからもセラピーでの日々は続いた。数日おきに男女問わず誰かが失敗した。
教室でのレッスンが最初に1時間ほどあり、その時間中に失敗してしまう場合がほとんどだったが、その後の調べ物の時間に、書架に行く途中で力尽きてしまったり、中にはみづきさんのように教室に戻らないままその時を迎えたりなど、失敗してしまう場面は様々だった。
2時間という時間は、どうにか我慢しきれるかもしれないと期待させるものがあり、なんとか失敗を回避しようとする人間の意思が、そういう結果をもたらすのだろうと、栞は思った。だが、茶菓子に含まれる利尿作用の成分は、人によって最適となるよう薬学的によく調合されており、その2時間の間、我慢しきれる人はひとりもいなかった。そうして日々、栞は人の失敗を目の当たりにし、日によっては栞自身がその失敗の当事者になった。
「先生、あかねさんが、また・・・」
レッスンの終盤近くになって、あかねが椅子に座ったまま、力尽きた表情で、ブルマーからたくさんの水を滴らせていた。最近セラピーに入り、今日はじめて失敗したばかりだった。本人は知らないが、入所したばかりで利尿成分の調整が不十分だったか、あるいは、はじめての失敗によほどショックを受けた彼女の精神状態が、そうさせたのかもしれない。
「あら・・・また失敗しちゃった? 立って」
「・・・」
「あかねさん、ファイト! 私だって先週おもらし、いえ失敗したんだから」
さっき穿かせてもらったばかりのブルマーを濡らしてしまい、それを再び脱がされているあかねに、栞は明るい声をかけた。あかねは放心状態だったが、入所してまだ日が浅い栞には、あかねの気持ちが痛いほど分かった。
特に同性である女性が失敗したときには、栞は気休めとは分かっていても、その子を励ました。男性であれば心の中でその人にエールを送った。
でも、いざ自分が失敗する時になると、人からの励ましなんてとても前向きに感じることができず、ただ身体が震えた。他にいっしょに失敗してくれる人がいればまだ少しは楽かもしれないが、その日失敗するのは自分ひとりだけだ。
《あ・・・これはもしかしたら・・・》
《私・・・今日、漏らしちゃう日?・・・そんな・・・》
《我慢できない・・・、あ・・・漏れる、漏れる、漏れる・・・》
「先生、栞さんが、おしっこしちゃった」
頭が真っ白になり、身体が力尽きて、ふわっとショーツの中が温かくなり、椅子から大きな音を立てて水が滴り落ちても、ずっと言い出せずに栞が黙っていたところ、うしろのあかねが栞の失敗を恭子先生に告げた。
「栞さん、今月は2度目ね」
栞は、目を伏せたままこっくりとうなずくことしか、まだできなかった。
《しちゃった・・・》
「じゃあ・・・他の人はこのまま作業を続けてくださいね。栞さん、いい?」
《仕方ないよね・・・》
何度目かの失敗を経て、こうして教室でおもらしをして、その場で立って衣服を脱がされる自分のことも、栞はようやく受け止めることができるようになった。しかし、その最中も、みんなの視線を痛いほど感じた。
とりわけ恥ずかしいのは異性からの視線だった。男性の前で美しく、可愛らしく、淑やかでありたいといううわべの虚栄心を、見事に粉砕させられているからだった。それでも、
「綺麗な女性たちの前で、失敗なんて恥ずかしいわね」
翔や他の男性たちが失敗して、若い女の先生にそう冷やかされ、女性たちの視線を浴びながら衣服を脱がされるとき、女性の前で強く、逞しく、格好よくありたいという男性の誇りを、どれほど傷つけられているのだろうと、栞は気の毒に思った。それに比べれば、女性の自分が男性の前で失敗することは、まだ許されるほうだと思った。
《こうして失敗を重ねて、それに慣れていくということなのか、あるいは何かの対処法を見出させるということなのか・・・》
「ねぇ、翔くん、どうしてそれが『みんなの前でおしっこを漏らす』っていうことなの?」
あるとき栞は再び翔に訊いた。
「いきなりどうしたの? どういう意味?」
「なにも、おしっこを漏らさなくても、失敗の経験だったらもっと他にさせる方法もあるんじゃないか、って思って」
「ああ、なるほど。でも考えてみて。例えばひっかけ問題の教材とかをつくって、失敗させ恥をかかせることもできると思うけど、頭のいい人は引っかからないし、最初は引っかかった人もだんだん学習して回避できるようになってしまうでしょ? そうさせないためにはどんどんレベルの高い新しい問題をつくらなきゃならないし」
「それは大変そうね」
「それに、頭で失敗しても慣れちゃうしね。かといって肉体的な暴力やわいせつ行為で辱めるのは問題だし、相手への怒りや憎しみも生んでしまうと思うんだ」
「そうかぁ」
「でも、それがおもらしだったらどう? 最初に失敗したときを思い出してみて。栞はまさかその日自分が漏らす、って思った?」
「ううん、小学校でだって漏らしたことなかったし、まさか自分がおもらしするなんて」
「そうなんだ。誰もまさか自分が失敗するなんて想像すらしていない。でも、失敗する日は誰でも100%必ず失敗しちゃう。まず、そういう経験がきっと大事なんだろうね」
「うん」
「それに、おしっこを漏らしたのは自分だから、自尊心を打ち砕かれてもあくまでそれは自分のせい。しかも異性たちも見ている前で自分一人だけが漏らすのって、他に比べようがないほど恥ずかしい」
「そうね、こればっかりは慣れるなんて、絶対にムリ。人間の本能っていうか」
「そんな理想的な『失敗』っていうのは、やっぱり『おもらし』以外にはないのかもよ」
「でも、ほら、あれは? その場で立たせて衣服を脱がせるじゃない? あれとか、わいせつなんかじゃないの?」
「そう・・・もし普通にただ脱がせておしりに触ったり、あるいは自分で脱いだりしたら、強制わいせつとか公然わいせつになるんだろうけど、あくまでおもらしした人の衣服の処理、いわば介護みたいな目的のためにするのだから、大丈夫なんだろうね」
「そうなの? じゃ、せめて、別の部屋に連れて行って、脱がせることはできないの?」
「そうすると、その部屋までの床におしっこの足あとがいっぱい付いちゃうしね。みんな限界まで我慢するから、おしっこの量だってものすごいでしょ? すぐ床を拭かないとどんどん広がっていっちゃう。それに、その場ですぐ着替えさせれば、レッスンもほとんど中断しないし、その人の身体も冷やさないし・・・」
「翔くんって、すごいね。ほんとに尊敬する」
「尊敬されてうれしいけど、でも、また、いつか栞の前で失敗しちゃうんだから、全然格好つかないけどね・・・」