★神の化身
高校生活最後の夏休み、その初日、早朝。
良く晴れており、既に気温は三十度に迫ろうとしていた。
こんな過酷な条件にもかかわらず、俺は日々の日課であるロードワークを父親に強制させられていた。
手を抜いて走って帰るとすぐにばれて、朝食抜きになるわけで……それが不条理であると気付いたのは、高校生になってからのことだ。
まあ、ロードワークの強制は物心つく前からの事なので今更辛いとも思わないが、今現在、喉が渇いているのはちょっとまずい。
いわゆる熱中症が心配な訳で……スポーツドリンクを飲むことは父親にも勧められていたのだが、この日は携帯していたそれを飲み干してしまった。
自動販売機で五百ミリリットル入りのペットボトルを追加で買ったのだが……そのときに、ちょっと珍しい光景を目撃した。
十メートルほど離れた三叉路の交差点で、白ネコ――まだ子猫なのか、ちょっと小さい――が信号待ちをしていたのだ。
あのネコ、赤信号の意味分かっているのかな? と思って見ていると、不意にこちらに顔を向け、俺の事をじっと見つめてきた。
と、信号が青に変わり、メロディーが流れる。
すると白ネコは信号の色を確認するかのように顔を斜め上に上げ、そして横断歩道を渡りだした。
ちょっと進んだところで、また顔だけこっちを見ながら、そのまま前に進んでいく。
その時……恐らく白猫に気付いていない大型トラックが、かなりの勢いで横断歩道に向けて右折してきた!
「ニャ……ニャーッ!」
悲鳴? をあげる白ネコ。
「危ないっ!」
俺は叫ぶと同時に手にしていたスポーツドリンクを放り投げ、飛び出し、固まっていた白ネコを抱えてそのまま横断歩道を転がるように突き抜けた。
俺が突っ込んできたのを見てトラックもブレーキをかけ、間一髪のところで白ネコの救出に成功したが……抱え込んでいたために受け身が十分に取れず、右肘をちょっと打撲してしまった。
トラックの運転手は驚いていたが、俺が笑顔で、当たっていないし、ネコも無事だったことを知らせると、安心したようにそのまま立ち去った。
白ネコは、俺の事を心配そうに? 見ていたが、軽く撫でてやると、「ニャー」と一鳴きしてそのままどこかへ行ってしまった。
家に帰ると、帰りが遅かったことと、右肘をすりむいていることについて父親に事情を聞かれた。
白ネコを助けたことを告げると、
「まあ、それなら仕方がない」
と、俺の腕を軽く触り、傷の状態と痛がり具合を確認して、
「水道で洗って絆創膏でも貼っとけば治るだろう」
とそっけなく言われてしまった。
ちなみに父親は「柔道整復師」の資格を持つ、接骨院の院長だ。
ロードワークで汗をかいていたのでシャワーを浴び、傷口も洗ってトランクスだけを履き、自分の部屋に入ったその時……。
「お帰りニャ」
と声が聞こえた。
「!?」
混乱して部屋を見渡すが、いつもの俺の部屋だ。
「ここニャ。足元ニャ!」
声につられ、視線を下に落とすと……さっき助けた白ネコがそこにいるではないか。
「なっ……ね、ネコがしゃべった!?」
プチパニック。
夢でも見たのではないか、とほっぺたをつねるが、普通に痛い。
「……そんなベタな反応でボケなくていもいいニャ。安心しなよ、キミがおかしくなった訳じゃない。ボクが普通のネコじゃないだけニャ」
「ボク……っていうことは、お前、オスか?」
「いいや、メスだニャ。別に女の子がボクっていってもいいだろうニャ?」
「……ということは、いわゆる『ボクっ娘』か……って、そこがツッコミどころじゃないっ! おまえ、妖怪か何かか! 俺に取り憑いたのか!?」
「妖怪なんかじゃないニャ。これでもボクは、神の化身だニャ。今朝助けてくれたお礼に来たんだニャ」
「えっ、か、神の化身……そんな事言って、『ボクと契約して、○○になってよ!』とか言って、騙すつもりじゃないだろうな!?」
「……? なんの事ニャ? 純粋にお礼に来たんだニャ。キミには分かっているはずだニャ、ボクが嘘を言っていないことが」
……確かに、どういうわけかこのネコが真実しか語っていないことが、俺には本能的に理解できていた。
「あと、右肘のケガ、治しておいたから。これはお礼っていうより、ボクの義務なんだけどね」
……そう言われて見てみると、さっきまでちょっとズキズキしていた右肘の痛みは取れ、すりむいた跡もなく綺麗に治っていた。
とりあえずジーンズを履き、シャツを着て椅子に座り、改めてその白ネコの話を聞くことにした。
「今朝のは、完全にボクの不注意だった。キミがあまりに特徴的な魂を持っていたから、気になってしまって……トラックに気付くのが遅れたんだ。そのためにキミに迷惑をかけてしまったニャ」
「魂……俺の魂って、変わっているのか? 他の人と、どう違うんだ?」
「うーんと、キミにわかりやすいように言うならば……『見ていて飽きなさそう』な魂だニャ」
……うーむ……それって、褒められているのだろうか……。
「それで、お礼って、何してくれるんだ?」
「簡単だニャ。願いを一つだけ、叶えてあげるニャ」
……これはまたベタな展開だな……。
「へえ……じゃあ、例えば、『現金で一億円欲しい』って言えば、くれるのか?」
「それは自分で頑張るニャ」
「なんだ、無理なのか……」
「無理って言うか、それをすると誰か別の人が一億円損するニャ。対象の人数を広げたとしても、例えば一万人が一万円損して、やっと一億だニャ。君一人を幸せにするためにそれだけの人に損をさせるわけにはいかないニャ」
「……なるほど、じゃあ、『恋人が欲しい』っていうのは? これなら、相手の女の子も幸せになれるんじゃないのか?」
「それも、自分で頑張るニャ」
「えー、なんでだよ! 普通に質素な願いじゃないか」
「ボクの力でキミに彼女が出来たとして、その彼女と結婚して、生涯共に生活するとなったとして、本当に彼女が幸せになるかどうか、責任が持てないニャ」
「結婚って……そんな先の事まで望んでいないよ。まずは彼女が欲しいってだけだよ。健全な男子高校生なら普通の願いだろ?」
「Hが目的なだけなら、なおのこと協力出来ないニャ」
うぐっ……ネコの癖に、正論を言ってきやがる!
どうやら、本当に神の化身なのか……嘘は通用しそうにない。
「じゃあ……江戸時代にタイムトラベルしてみたいっていうのはどうだ?」
「……江戸時代? キミ、そんな渋い趣味してるんだニャ」
「何言ってるんだ、日本史の中で一番面白い時代じゃないか! 特に幕末の動乱期。新撰組や坂本龍馬が大活躍する時代、行ってみたいと思ってたんだ」
「……なるほど、やっぱりキミは面白いニャ。でも、幕末だと時代が近すぎて、キミが行くと今の時代に影響を及ぼす可能性があるニャ。最低でも、三百年は空けないと……あと、場所も江戸じゃなく、田舎に限られるニャ」
「なんだ、条件付きか……って、えっ? じゃあ、タイムトラベル、出来るのか?」
「出来るニャ。……ほら、ゲートを作ったニャ」
気がつくと、部屋の中心に、俺がかがんで潜れるぐらいの、楕円形の光り輝く奇妙な空間が出現していた。
「三百年前の日本のとある地方と、この部屋の時空間をつないだニャ。これから一週間の間、キミはこのゲートを使って彼の地に自由に行き来できる。まあ、最初は怖くてなかなか足を踏み入れられないと思うけ――」
俺はネコの言葉が終わらないうちに、このゲートを潜っていた。
……そこは、森の中だった。
半信半疑だったのだが……少なくとも空間は移動している。
そして、あの『神の化身』を名乗るネコは、嘘はついていない。
ということは、恐らく時間も――。
振り向くと、ゲートはすぐそこに存在している。
さすがにこのまま探検するのは装備が心許ないので、一旦戻ることにした。
「……キミって、ボクを助けてくれたときもそうだけど……なんていうか、猪突猛進だニャ。やっぱり見てて飽きないニャ」
白ネコは、半ば呆れていた。
それに対して、俺はとてつもなく興奮していた。
「ほ、本物の時空間移動ゲートだ! すっげえ! ネコ、お前本物だっ!」
「気に入ってくれたら嬉しいニャ。あと、ボクには一応、『エル』っていう名前があるニャ」
「『エル』……なんか、天使の名前の最後につく単語っぽいな……ま、いいや。そういや、俺の名前、まだ言ってなかったな」
「もう知ってるニャ。『沖田勇二』、十八歳。職業、学生。現在のところ、彼女なし。性格は猪突猛進、ちょっと天然。……そんなとこかニャ」
「さすが、自称神の化身。……えっと、そんなことより三百年前って言うと、徳川吉宗の時代か。うん、テレビドラマなんかでもわりとメジャーだな。自由に行き来出来るのなら、観光と思えば良さそうだな……よしっ!」
俺はワクワクしながら、押し入れの奥からとある衣装を取り出した。
「……へえ、キミ、やっぱりそんな渋い趣味なんだニャ? 侍の格好なんて」
「ああ、これは去年のハロウィンのときの仮装用だ。名前がちょっと似てるから、新撰組の『沖田総司』になったんだ」
「なるほど。……でも、その模造刀は置いていった方がいいと思うニャ。変なトラブルに巻き込まれかねないニャ」
「うーん、そうだな……あと、この浅葱色(水色)の羽織も目立つからやめておこうか。髪は後で束ねて総髪にして、足元はワラジ、と」
「うん、刀を持っていないちょっと間抜けな侍に見えるニャ」
「マヌケは余計だけど……まあ、これでいいか」
あと、向こうに持って行くと便利そうな物を何点か懐に収めて、俺はまたゲートを潜ろうとしたのだが……。
「あ、いくつか注意があるニャ。まず、当然のことながら向こうで死んでしまったりしたら、帰って来ることはできないから、十分注意するニャ。それと、さっきも言ったように一週間以内は行き来自由だニャ。でも七日後の朝には、このゲートは閉じるニャ。そのときに向こうにいた場合、やはり二度とこの時代に帰って来られないから気を付けるニャ」
「ああ、分かった。七日後の朝、だな。まあ、七日間の海外……じゃない、時空間旅行だと思うと十分贅沢だ。エル、ありがとな。一応、毎日帰って来るけど……ちょっと、行って来る!」
「いってらっしゃいニャ!」
こうして、俺は三百年という時空を行き来するタイムトラベラーとなった。
そして七日後、ある重大な決断を迫られることになるのだった――。




