ゲロと図書館と近衛騎士
世界は救われた。
勇者―――というか超絶最強無敵マンであるタカシによって。
タカシが召喚されてからすでにひと月が経過した。
あの爆発の後、魔族が一切人間側の領土に攻めてこなくなり、各国は調査団を魔族領まで派遣。するとタカシの撃った超絶最強無敵バスターの爆心地から遠く離れた場所でもなぜか大量の魔族が息絶えているのが確認された。
「タカシ様……? あの、なぜ魔族は爆発の遠隔地でも死んでいたのでしょうか?」
ドリル皇女にそう質問され、同じことを疑問に思ったタカシは脳内にあったバスターの説明書を読んだのだが「なんかそういう、死ぬ」とめっちゃ端折って書かれていたので、脳内でじじいを罵倒しつつ、皇女には「連鎖的に死ぬ呪術が~」とかなんとか適当に中二知識を総動員して誤魔化した。
とりあえずまあ、魔族は全滅した。
人類は救われたのであった。
人類は現在復興の真っ只中であり、どこもかしこも景気と活気で溢れている。
タカシが呼び出されたホルキアス皇国も例に漏れず、城下町は人並みでごった返していた。
そんな中にタカシはいた。
「これからどうすっかなぁ……」
あれからダブルドリル皇女に詳しい召喚までのいきさつを聞いたのだが、当然というか予想通りというか、タカシが呼び出されたのは魔族に滅ぼされそうになっていた人類を救うためであり、その役目を果たしたいま、正直タカシはお役御免でやることがなかった。
もちろんホルキアスはもとより世界各国がタカシを英雄と認めているために、どこに行っても食うには困らない。むしろ「タカシを招きたい」という国はそこかしこにある。
戦力的な意味や、平和の象徴としての意味など国によって様々な思惑はあろう。だが、この世界で歓迎されていることは事実なのだ。現在もホルキアスの国賓として皇帝とほぼ同等の扱いを受けているといって良い。「この国ちょうだい」と言ったら、たぶんもらえるんじゃないかと思うレベルで下にも置かない扱いだ。
「でもなぁ」
正直対人関係の構築が苦手で人見知りでオタクで一人が好きなタカシは「英雄」とか言われても困っちゃうだけなのだ。
英雄とか呼ばれなくていいから魔法将女アレキサンダーガールの続きが観たいし、盆栽コレクションの松フィギュアだってもうすぐアマゾネスの通販で届く予定だったのだ。
はやく元の世界に帰りたい。
「でも手がかりが無いんだよな……」
ドリルに召喚について訊いたものの「召喚陣はあっても送還陣はない」との答えが帰ってきた。そもそも伝説の勇者召喚陣も、文献を紐解いてやっとのことで奇跡的に起動させたというのだから研究などまったく出来ていない状態であった。
「くそー」
あのハゲ送り返す術はあるかもとか適当コキやがって。
「もし、そこの御仁。タカシ様では?」
タカシが街角のすみの、人通りの邪魔にならない場所にあった崩れたブロックの上に腰を下ろし、今後のことをぶつくさ考えていると、どこからか声をかけられる。
覇気のある凛とした女性の声だった。
タカシが考える人のポーズを解いて顔を上げると、そこには腰まで伸ばした長い金髪が特徴的な、見知った顔の女性がいた。
「ああ、アニスさん。どーもです」
タカシに声を掛けたのはホルキアス皇国近衛騎士団の団員であるアニス・ミラフィールドであった。
この世界でタカシが緊張せずに話せる数少ない女性のひとりだ。
「こんなところで、どうされたのですか。いかにタカシ様がお強いとはいえ、護衛もつけず市井を歩くなど」
「いやあ、まあ。散歩というか」
たしか今日はアニスは非番だったはずだ。普段は魔法鎧に身を包んだ騎士としての姿しか見たことがなかったが、本日のアニスは私服である。
白いブラウスにロングスカートといった出で立ちで、腰に手を当てて説教してくる姿は面倒見のいいお姉さん、といった感じだ。タカシは兄弟がいない一人っ子なので、こんな姉がいたらなぁとか思いつつ、アニスの凛とした佇まいと美貌にちょっとドキドキしつつ憧れちゃったりもしているのだ。
「散歩、ですか」
やれやれといった風に肩を落とすアニス。
「あまりご自覚はないようですが、いちおうですね、タカシ様はこの世界を救った大・大・大英雄なのですから、あまり皇帝陛下や姫様に心配をかけるような、軽率な真似は慎んでいただきたく存じます」
「そんなこと言っても俺のこと知ってるやつなんていないし。それに俺はたいした事してないよ。感謝するならじじいに感謝しなよ」
あと俺は無敵らしいから危険はないと思うよ、というタカシ。
最高神をじじい呼ばわりする大英雄に、なんと言って良いのかわからずアニスは諦めたようにため息をついた。
世界は救われた。
だがその偉業を為したのが勇者であるという事実は広まっていても、表に出る事を嫌ったタカシは顔を公表しなかった。その為この世界の人間はごく一部を除いて「勇者様」の顔を知らないのだ。
皇帝やドリルやアニスらは偉業と言い、英雄とタカシをもちあげるが、タカシがやったことといえば手を水平線に向けてボソボソ呟いただけ。
タカシ的には英雄とかホントそういうのどうでもいいから、そっとしておいて欲しいし、はやく地球に帰りたい。
それだけなのだ。
「だからアニスさんもあんまり気張らないでくださいよ。皇帝陛下だって俺が自由に出歩くのはもう許可してくれてるんだし」
「まあ……たしかにその通りではありますが」
アニスは納得がいかなかったようだが、タカシがこうしてふらふら出歩くのは他ならぬ皇帝自身が認めていることなので、これ以上何かを言う事は出来ない。
ホルキアス皇帝は、救世の英雄たるタカシの行動を妨げる気はないと明言し、国賓として遇するものの、タカシを戦力として囲い込もうとはしなかった。
タカシ的に国王とか皇帝とかいうと、これまでネットで良く見てきた召喚勇者を奴隷にしようとしたりするクズ王のイメージが強過ぎて最初は警戒していたのだが、いまでは話のわかる気のいいオッサンだなという程度の印象しかない。
タカシの自由意志を尊重してくれるし、異世界で身分の保証と食い扶持を与えてくれているしで、むしろホルキアス皇帝には一定の親愛の感情を持っている。まあやたら娘との結婚を勧めてきたり、酔っ払うと泣き上戸になったり、号泣しながらタカシに「タカシ殿、世界を救ってくれてありがとう」とベロンベロンになって絡んできたりするが、悪いオッサンではない。
というか、この世界に来て会った人間はあんまり悪い奴がいない。
魔族との長年に渡る戦いで人類同士の結束力が強くなっていたせいだろうか。この世界の人類は『助け合い』とか『隣人を思いやる』とか、そういった倫理的概念が地球よりよほど発達しているように思えた。
むしろこれまで出会った奴の中で一番印象が悪かったのが最高神なのだから世も末である。
「アニスさんは今日は何を?」
「私は今日は非番なので帝立図書館に向かう予定です」
「てーりつ図書館?」
「はい。初代皇帝陛下がおつくりになられた由緒ある図書館です。世界最大規模の蔵書を誇るんですよ」
えへん。と胸をそらし我が事のように自慢するアニス。
「へー。すごいねホルキアス」
戦時下だったっていうのに図書館の運営なんてことをする余裕があったのか。
タカシは図書館の存在よりもその事実に驚いた。それだけでホルキアスの国力がわかるというものだった。
魔族との戦争で人類がかろうじて拮抗できていたのは、ホルキアスが頑張っていたからのようで、言ってみればこの皇国は地球でいうところのアメ○カのような世界最大規模の力を誇る超大国なのだった。
「ん……? 世界最大の蔵書?」
「はい。あらゆる、とまではいきませんが20万冊の蔵書を誇ります」
「すげー……けっこう印刷技術発達してるんだな」
文明の未発達なこの世界で、地球のちょっとした市立図書館並みの蔵書数を誇るというのはとんでもないことなのではないだろうか。
「もしかして召喚魔法に関する本もあったりする?」
「召喚魔法……ですか? わたしは騎士なので魔法には詳しくありませんが、魔法に関する書籍も豊富であったと記憶していますよ」
「本当!?」
「ええ。ご興味がおありでしたら、タカシ様もいっしょに如何ですか? ご案内いたしますよ」
魔法というもがどんなものなのかさっぱりわからないタカシであったが、召喚魔法について調べればなにか地球帰還の手がかりが掴めるかも知れない。
アニスに案内してもらい、タカシは図書館に向かう事にした。
◆
「お一人様200ホルンになります」
図書館は有料制だった。
ギロリ、と銀縁眼鏡を光らせて言う受付のお姉さんの眼力にタカシはびびった。
なんかすげー迫力のある女性だった。
秘書っぽい。
めちゃくちゃ仕事の出来る秘書っぽい。
アップスタイルに髪を後ろでまとめており、お堅そうに見えるのに色気があるといった感じの女性で、どちらかというとタカシの苦手なタイプだ。
200ホルン。金貨2枚。
大金だ。
タカシは莫大な俸給をホルキアス皇国からもらっていたが、どうせたいして使わないのでポケットに小銭を数枚ジャラつかせているだけだった。
ポケットを探ると、入っていたのは銀貨1枚と銅貨が数枚。
(……もっと持ってくればよかった。どうしよ)
ていうか図書館の入室料が2万円ってなんだよ、とタカシは思った。
召喚されてからの一ヶ月で、ジャンクフード大好きなタカシは城下を散策しつつ色んな店に顔を出している。そのためこの世界の庶民の一般的な金銭感覚はすでに身についていた。200ホルンはイメージ的には2万円だ。
銀貨2枚もあればそこそこの店でちゃんとした飯が食える。そのへんの角材背負ってる肉体労働系のにーちゃんたちの昼飯代は銅貨3枚とかその程度だ。
この図書館ボってんじゃねーの? とタカシは思った。
ちなみに貨幣価値のイメージはだいたい以下のとおりである。
白金貨―――10万
金貨―――1万
銀貨―――1000円
銅貨―――100円
銅貨1枚1ホルンで、だいたいリンゴが1個、もしくは謎の肉の串焼きが露天で1本買える。
「ああ、タカシ様。利用料は気にしなくても結構ですよ。わたしがお支払いいたしますので」
にっこりと微笑むとアニスは小袋から金貨を4枚出し、受付嬢に支払う。
「2名様で400ホルン。確かに頂戴致しました」
タカシが金を払えなくてうろたえていると、受付の秘書子さんはダンボールの底で腐ったジャガイモでも見るかのような、酷く底冷えのする目でタカシを見つめた。
あ。これあれだ。とタカシは思った。
俺しってる、これ、この目。
地球にいた頃もおんなじような目で見られたことがある。
たしかあれは、クラスで友達と話してた時のことだ。
一般人とオタクの境目っていうのは今じゃあいまいになりつつあって、女子にもてるイケメンでもアニメ大好きだったりしてタカシとアニメ話で盛り上がったりすることは良くあった。
そんな時に「あ、わたしもそのアニメ好きー!」とかなんとか、イケメンに擦り寄るように話に混ざってくる女子に勇気を振り絞って「○○さんは、ど、どのキャラが好きなの?」とか話題を振ったときのその女子の目にそっくりだった。「なんでテメーが話しかけてくんだよ」的な、ひどく汚らしいものを見るときの目にそっくりだった。
「あうわあうあああああ」
タカシはトラウマを刺激され脚ががくがくと振るえ胃液が競りあがってくるのを感じた。
テンパると意味不明なうめき声をあげてしまうのはオタクの悲しいさがだ。
そんな反応をすると余計に「なにコイツきもい……」という目で見られてしまうことがわかっていても、でも出てしまうのだ。
「あがうああああわああ」
「た、タカシ様!?」
しかも今回受付嬢さんはおそらく「女に金を払わせる甲斐性なしのクズ野朗」的な意味でタカシを見つめていたため、まったく間違っていないどころか、事実そのものなので余計にタカシのテンパリ具合は加速した。
「ど、どうされたのですか!?」
「す、すすすす゛み゛ま゛せ゛ん゛。お゛金゛あ゛どでち゛ゃん゛と゛返゛し゛ま゛う゛」
「お金!? ああ、料金の事なら気になさらないでください」
「て゛て゛も゛」
「これは経費で落ちますから。タカシ様をご案内した際に発生した料金ですので皇国もちですよ」
アニスはにっこりと安心させるように微笑む。
「あ、あ、そう……? それなら、それならいい……それならいいんだけど」
皇帝のオッサンにはむしろもっと好きに金使えと言われているし、国庫から支払われるのならばタカシに否やは無い。アニスの懐から出ていないのであれば良い。
大量の脂汗を流してぜひぜひと喘ぐタカシにアニスは言った。
「ええ。むしろタカシ様をご案内するのに私も入場したということで、私の分の入場料も経費で落としちゃいます」
ペロっと舌を出すアニス。
タカシの同伴ということで自分の分も経費で申請しようと言うのだろう。
実際はタカシに会わずともアニスは図書館には行く予定だったのだから後付の理由ではあるのだろうが。
「あ。アニスさん悪いんだ」
「ふふふ。これを役得というのです」
おそらくこうして言えばタカシが気兼ねなく皇国もちの支払いを受けると踏んでもいるのだろう。
気を使われたのがわかった。タカシは思う。アニスさんありがとう。
「うおっほん!」
チッ、イチャコラしてんじゃねーぞという凄まじい眼力でぎろりとタカシを睨みつける受付嬢さん。
「ひいっ」
「これがッ、入場券にッ、なりますッ! 紛失ッ、なさらぬようにッ!」
「は、はははははい」
語節を強調して威圧しながら入場券を渡してくる受付嬢さんにびびりながらも、タカシは無事図書館に入場するのであった。
◆
「これが帝立図書館かぁ」
タカシはアニスにつれられて無事入場すると、館内をぐるりと見回した。
凄まじい広さを想像していたが、そこまで巨大というほどでもない。地球の市立図書館や大学図書館なんかでは蔵書が100万冊を越すところなんかざらにあるので、蔵書20万冊という数字はタカシにとって中~小規模の図書館というイメージだった。
それでもこの世界基準で考えれば凄まじい。
活版印刷術はある程度発達しており、書店も城下町に何軒か存在するが、それでも書籍は貴重品であり、一冊いくらの捨て値というのはありえない。本は高級品なのだ。ゆえにこの図書館の入場料も高い。
「これって盗難とか起きないのかな」
「そこは魔法で持ち出しを禁じる事ができますからね」
「へえ。魔法って便利なんだね」
魔法。
超絶最強無敵マンの加護を持っているタカシに扱えるものなのかどうかはわからないが、召喚は魔法陣だったのだし、帰還も魔法陣を使う可能性はかなり高いとタカシは考えていた。
今日ここに来たのはその召喚魔法について学ぶためだ。
「というわけでアニスさん、召喚魔法について書いてある本を読みたいんだけど」
「あ、はい。魔法についてはこちらの棚にあるのが全てそうですね。召喚魔法は、これでしょうか」
アニスにつれられて図書館の一角を占有する魔法に関する本棚の前へ向かう。一冊手にとって広げてみると、たしかに魔法に関する内容のようだ。じじいにもらった《 言語理解 》が機能しているのだろう。読書も問題なく出来る。
「じゃあちょっと俺はここの本を調べてみますね」
「そうですか。私も調べものがありますので、何かありましたら声を掛けてくださいね」
「はい」
そうしてタカシは数冊の本を選ぶと閲覧用のテーブルに着席し、しばし読書に励むのであった。
◆
「魔法やべえ……むずい」
タカシが魔法に関する書籍を読み始めてからおよそ2時間。
魔法とは如何なるものか? ということを、おおまかにではあるがタカシも把握し始めていた。
魔法。
人間が持つ魔力と呼ばれるエネルギーを利用した物理法則を超越した現象のことである。
どうもこの魔法という概念は、熱量はもとより時間や空間にも魔力によって干渉できるらしく、その中でも最高位の魔法の一つが異世界召喚魔法であるらしい。
そういえばじじいも魔力を捧げて異世界から人間を引っ張り込むとか言っていた気がする。
他の魔法も基本的に「魔力を使って対象に干渉する」というモノであるようで、熱に干渉したり気圧に干渉したり人体に干渉したりと、その効果は様々だ。
だが、そこまではわかったものの、それ以降がどうにもこうにもにっちもさっちもいかなかった。
内容が難しすぎるのだ。
こうして本を読んでみて概念的な意味や効果はわかっても、どうしてそれが発動するのかとか、そういった細かい学問的部分はタカシにはさっぱりであった。
「ダメだ。さっぱりわからん」
異世界なんだし、レベル上げればファンファーレ音とともに「ファイヤーボールの魔法を覚えた!」とかなるのかと思ったがあてが思いっきり外れたタカシ。
この世界の魔法とは、完全なまでに学問であった。
勉強し、習得し、修練し、実践し、徐々にその精度を上げていく。そんな努力と才能の世界が垣間見える。
タカシとて魔法の習得が目的であるのなら努力する事もやぶさかではないが、目的は地球への帰還であって魔法使いとして大成する事ではないのだ。
しばらくは初歩の魔法書を参照していたタカシだったが、しだいに「これは専門家に質問した方がてっとりばやいんじゃないか」と思い始めた。
「タカシ様、目的の本は見つかりましたか?」
そこへアニスがやってくる。
「いやぁ。見つかりはしたんだけど……」
相対性理論の本を見つけても物理学者にはなれませんでした。って感じだ。あたまが悪くてごめんなさい。
「タカシ様は魔法に関する書籍を参照していらっしゃったみたいですが、魔法の習得が目的なのでしょうか?」
「魔法っていうか、俺もとの世界に帰りたいんだよね……」
タカシは説明した。
もともと自分は異世界の人間で、召喚されてこの世界にやってきたのだけれど、向こうには家族もいるし、数少ないが友人だっているのだ。それになによりもアニメも漫画もネットもペペシコーラもこちらの世界にはない。盆栽コレクションの松ちゃんにだってもう会えないのだ。ああ、松ちゃん。松ちゃん可愛い。ぺろぺろ。
「そうだったのですね……」
アニスはタカシの話を聞くと悲痛な顔をした。
「ご家族と切り離された事だけでもおつらいでしょうに。あにめやまんが、ねっとというのは寡聞にして存じませんが、それに触れることが出来ないのはタカシ様にとって、きっとご家族に会えないこと同様におつらいようですね」
「いや、うん、まあ……」
別に間違ってはいないのだが、そんな風に言われるとなんだか家族とアニメを同じ天秤に載せちゃったような気がして収まりが悪い。オタク的にアニメを見れないのはヒッジョーにつらいので、間違ってはいないのだが。……間違ってはいないのだが、いまの会話を両親に聞かれたら、ブン殴られる事も間違いなしだ。
「マツ様……というお方はタカシ様の良いお人なのでしょうか?」
「え……? いや、良いひとっていうか、」
「タカシ様の恋人のような印象を受けましたが」
「あ、う……まあ、そ、そんなかんじ……かな?」
見栄張りやがった。
松ちゃんとはタカシが一目惚れしたオンラインゲーム《 盆これ 》に登場する女の子で、盆栽を擬人化したキャラクターが多数登場するそのゲームの人気キャラクターのひとりだ。巫女服とミニスカートを合体させたようなきわどい衣装に、思春期のオタク少年ドストライクの黒髪ヤマトナデシコっぽい清楚なイメージが組み合わさり、至高とも言える萌えを醸し出しているのだ。
人気フィギュアメーカー・山陽堂のゲボルテック・シリーズからもフィギュアの発売が決定し、タカシも予約開始と共に保存・鑑賞・ペロペロ用にと3個注文していた。
アニスは「やはり……」と呟くと顔をしかめた。
そして何を思ったのか、椅子に座るタカシの傍まで来ると図書館の床に土下座をしはじめたではないか。
「うえッ!? あああアニスさん!?」
「申し訳ございません。この世界を救っていただくために、我々はタカシ様にどんな仕打ちをしてしまったのか。頭では理解していたつもりでしたが、いま漸く実感いたしました」
「ちょおッ!? そんな、顔あげてくださいよ!」
「いえ。私ごときが頭を下げてどうにかなる問題ではない事は、重々承知しております。しかし愛する方と離れ離れにされ、それでもなお私どもに文句の一つも仰られずに、憎き魔族を倒し、世界を救ってくださったタカシ様には頭を下げる事でしか感謝の意を示す事ができないのです!」
やべえ。
アニスさんなんか勘違いしはじめた。
いや勘違いではない。じっさいに元の世界と切り離されて、親とも友人とも会えないのは事実だ。しかしタカシは基本ドライに物事を考える人間なので、彼らと会えないこと自体は「まあ会えないのなら仕方ない」と割り切っていた。どちらかというとアニメや漫画などのサブカルチャーが恋しくて帰りたい! というのが帰還を望む理由である。
『アニメが見れないから女の子に土下座をさせる』
『コーラが飲めないから女の子に土下座をさせる』
そんなやつ鬼畜以外の何者でもない。
「私の両親は……魔族に殺されました」
「―――!」
「だから、愛する人を失う悲しみはわかっているつもりです! 私にとってタカシ様は救世主であると同時に、両親の仇を討ってくださった方でもあるのです! 私の悲願はタカシ様のお陰で成る事が叶いました」
何度お礼を申し上げても足りません、とアニスは言った。
「ですがこの世界に来たせいで、タカシ様はマツ様と離れ離れに! なんということでしょう!」
「いやそこは気にしなくても……」
「いえ気にします! もとより魔族討滅に費やす筈であったこの命、私はタカシ様に捧げとうごさいます。如何様にでも好きにお使い潰しください!」
「はあ!?」
やばい。
なんかすっごい重い話が出てきた。
「ちょ、ちょっと待ってください。とりあえず顔あげて……」
この一ヶ月間。傍付きとして、右も左もわからないタカシをいろいろと世話してくれたのがアニスだった。
最初はドリル皇女の命令でやらされているのかと思っていたし、打ち解けてからは純粋に世界を救ったタカシに感謝してくれているのだろう程度に思っていたのだ。
その裏にこんな激しい感謝の意が隠れていたとは。
どうやらアニスの両親も騎士だったらしい。話を聞くと両親を魔族に殺されたのち、その仇を討つためにアニスも軍人を目指したんだとか。本来なら近衛ではなく前線に向かいたかったんだとか。
そういう意味ではたしかにタカシは仇を討った恩人といえなくもない。
だけれど、タカシ的には仇を討ったつもりなどまったくないし、神のじじいの言うとおりに窓辺から超絶最強無敵バスターを放っただけで、労力など全くかかっていないのである。
命を捧げるとか、まじやめてほしい。
アニスはつねにタカシを気遣って親身にしてくれていたので、タカシも緊張せずに会話が出来る数少ない女性のひとりだったのだが……。
タカシはだんだん緊張で横隔膜がせり上がってくるのを感じた。これパニックの前兆だ。
「タカシ様!」
やめて。
「おぼぼ……」
アニスに『タカシ様』と呼ばれるたびに胃液が食道をかけあがってきちゃう。
そんな他人の命とか背負えないもん。
チートハーレムのルートにほいほい乗れるぐらい図太い神経をしていたら、そもそもじじいの言うとおり異世界キタコレって思えただろう。
でも、ダメ。タカシ的にそういうのダメなのだ。女の子に命を捧げられるとか、妄想の中でならまだしもリアルにやられるとストレスがマッハでヤバイ。
「ア゛ニ゛ス゛ざ ん゛」
「タカシ様ッ!」
胃液の苦しみに涙目になりながらも、なんとか声を掛けると、アニスってば名前を呼ばれて感動したのか、顔を上げながら目を潤ませ、ほんのりと赤く頬を染め、土下座の姿勢から三つ指ついてタカシをみつめちゃって、もう主従関係の主を見つめる目でやばい。
「私では松様の代わりにはなれませんが」
信じられるか……?
はやく家に帰ってアニメが見たいってだけで、女の子に土下座させてるんだぜ。俺。
「タカシ様がいつの日か元の世界にお戻りになり、あにめやまんがを存分に見ることができるよう、このアニスも微力ながらお手伝いいたします。タカシ様の手足としてお使いください」
すでに陛下の許可も得ておりますゆえ、ご安心ください。
そう言ってにっこり微笑むアニス。
真にタカシのことを思い、献身的かつ無私奉公の精神を発する彼女に、タカシの罪悪感はついに限界を迎えた。
「おろろろろr」
「たっ、タカシ様ッ!? 大丈夫ですか、タカシ様―――ッ!?」
アニメ見たさに女の子にこんな真似をさせる俺、最低。
そんな気持ちがタカシのぽんこつメンタルに打撃を与え、図書館の床に嘔吐させるのであった。
もちろんあとで受付嬢さんにすっげー叱られた。




